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  • 5月23日 ギンガムチェックの傘

    5月23日 ギンガムチェックの傘

    雨上がりの街。
    水面に残った雨が、水飛沫となって車の後を追っている。
    やがて、静かに空へと舞い上がり、またいつの日か地上に落ちてくるのを待っている。雲の隙間から、ぼんやりと。

    そんな循環を思い浮かべたのは、ついさっき思い出した、死んでしまった母のことがあったから。
    火葬の日、火葬場から舞い上がる煙のようなものが空に昇っていくのを見た。
    それはどこまでも舞い上がっていくように見えたけれど、そのまま宇宙まで飛んでいくとは思えず、どこかの雲に紛れて、母は小さな塵になってしまったのだと思った。
    そうしてまたいつの日か、私の傘にぶつかる雨音が、母の戻ってきた時を感じさせるのだろう。
    それは私にとって楽しみな出来事で、大好きだった母が、私の傘だと思ってくれるように、母が選んだギンガムチェックと同じ模様を何回も買い続けているのだ。

  • 5月7日 今の自分は意外と悪くないのかも、と自分に言い聞かせる日

    5月7日 今の自分は意外と悪くないのかも、と自分に言い聞かせる日

    雨。猛烈な雨。
    昨日の真夏日から一転、肌寒い一日。

    今日は柏レイソルの試合があった。
    アウェーで、アルビレックス新潟と。
    大雨のなか、選手たちはピッチ内を駆け巡っていた。
    結果は0-0のスコアレスドロー。
    勝てなくて悔しいような。けど負けなかったから勝ち点1が入り、それで満足かといえば首を縦に振るような状況。
    なんてったって勝ち点1だって欲しいような状況だもんね。

    昨日から、司馬遼太郎の竜馬が行くを読み始めた。
    最初に読んだのは5年くらい前だろうか。
    彼は、興味を引くものには目がなく、当時は船が大好きだったと書かれており、ペリーが乗ってきた黒船見たさに自分の領地から脱走みたいに抜け出し、見に行ったとのこと。
    そこまでの情熱が、今の自分にはあるだろうか。

    また、先ほどBSでフォーミュラEのレースを放映していた。
    ベルリンの、空港跡地で行われていたそれは、40周を数十台のフォーミュラカーが駆け巡っていた。
    そういえば私は中学の頃に友達から借りたF1の録画ビデオを観て、当時は取り憑かれたように、食い入るように見ていた時期があったなぁーと思い出す。
    あの頃は、黒船見たさに藩を脱走した竜馬のような情熱があったのかもしれない。
    高校の頃は、自動車関連の仕事に就きたいと考え、それ系の大学に入ったけれど、そこから紆余曲折ありそれ関連の仕事には就かずに現在へと至っている。
    未練はある?と聞かれても、首を縦に振るようなことはないだろうなぁ。
    時折運転するくらいで十分だね、と返答するような気がする。

    今日でゴールデンウィークが終わり。少し気分は沈んでいる。
    満喫したさ、と思い込むようにしている。
    本当に満喫したと胸を張って言えるようになるためには、何が必要なんだろう。
    どこに行ったって混んでいるだろうから、結果疲れ果てて帰宅するのは目に見えているのに。
    だから、あまり出歩かず、ベランダにいる植物やメダカを愛でたり、こうして自分を振り返る日記を書いたりして気力を復活させようとした方向性について賛同すべきで、こんなはずじゃなかったと後悔しているようでは、せっかく戻りつつあった気力がまた減ってしまうじゃないか。
    自分を肯定するのは、自分を勇気づけてあげることということだ。
    誰かと比較し、私は何も経験をしていないと卑下しているようでは、いつまで経っても大人になれないぞ。どうしても何かと比べたいのなら、過去の自分を比較対象にすべき。意外と、今の自分、悪くないかもよ。

  • 3月24日

    3月24日

    晴れと雨、どちらも愛すことが、真理。

    少年は、晴れだけが好きだと言った。
    そんな彼は外で遊ぶのが好きで、雨だと遊べないからだと言う。

    確かに雨だと洋服は濡れるし、行動が限られてしまう。

    だけど考えてみよう。雨の後に訪れる晴れ間のことを。
    それは雨が降るからこそ、そのありがたみが分かるのだから。
    または、雨音のことを。
    あの独特な、パラパラという音は心を癒してくれるではないか。
    多分、むかーしむかし、洞窟の中に住んでいた頃、
    雨宿りをしている中で、ぼんやりと外を見ていた時の自分は、
    早くやまないかなぁと思う一方で、なんとなく心を落ち着かせていただろう。
    そうやって、人間は生きてきたじゃないか。

    別に晴れだけが好きっていうのも一つの価値観だからね
    それを否定するつもりは毛頭ないんだけどさ、
    もうちょい違う視点で見てみると、雨も悪くないなぁって思ったりするんじゃないかなぁ。

  • 3月23日

    3月23日

    少し湿った空気。午前にバーっと雨が降った。

    雨が降りそうな空のことを「今にも泣き出しそうな空」と表現することがあるけれど、雨=空の涙と誰が決めたのだろう。
    そんなことを思いながら歩いていたら、大きな水たまりに気づかず足を踏み入れてしまって、買ったばかりのスニーカーが濡れた。まさか、おろした日に水たまりへ侵入するなんて、このスニーカーを作った人ですら思いつかないだろう。

    前を向いて歩くとか、上を向いて、下を向いて、いろいろな方向を見ながら歩くことができるけど、首は180度回転するわけではないから、後ろを見ながら歩き続けることはできない。
    自分の足跡が残されているはずで、その足跡はつまり、あなたが今ここにいるという存在証明になるのだ。だけどその存在証明をはっきりと見ながら生きることができないのは、人間の欠陥なのかもしれない。

    生きる目的を、欲しがる。生きがいも、生きる目的と同様か。
    そんなもの、欲しがる必要なんてないということを理解しているはずなのに、どうしてもそういうものに縋りたくなってしまう。
    自分が、ここに居るということに、自信を持てないから。

    君の足を見てごらん?と空から声が落ちてきた。空耳?と思ったけど周りは時速50Km/hくらいで走る車だけ。もしかしたら誰かが窓を開けて喋ったのかもしれないけど、私にはそのように聞こえた。
    足には、さっき濡れてしまったスニーカー。
    思わず、後ろを振り返る。私の目はすぐに、私のスニーカーを濡らした水たまりを捉えた。
    そうだ、そうなんだ、私の靴は、私があの水たまりを超えたという証明になるんだ。

  • すげぇ雨

    奥さんの買い物を、車内で待つ

    今年は雨が多い印象です。

    午前にバタバタと片付けたキャンプ、雨に降られなくて良かった

  • 時には雨が降ったって

    時には雨が降ったって

    関東地方は、なんとなく久しぶりな感じの雨。まとまって降ることが少ない季節なので、雨が降ってしっとりした空気になると少しだけ嬉しい。

    雨は煩わしい。傘を持つのが嫌いなので、なるべく雨の降る日には外出したくないと思ってしまう。服が濡れるとか、いろいろ面倒だと思ってしまう。

    そんなに嫌われる存在ではないだろう、本当は。ベランダでいくつかの植物を飼っているので、彼らにとってまさに恵みの雨なはずで(雨がかからない場所に置いているから、本当に恩恵を受けている訳ではないにせよ)、雨の良さというものは理解しているつもりだ。

    もっと言うと、晴れの良さを実感することもできる。イベントが雨で中止になり、まさに雨に泣いたことだっていくつかあったはず。そんな時に、晴れていれば…という気持ちにだってなったはずだ。

    また、雨は、感情や状況の比喩表現として使われることもある。クヨクヨしている人に対して「やまない雨はないよ」という声かけ、などは典型的な例だろう。そんな風にして、雨は、なんとなくぐずつくイメージを持っている。

    雨に対しての先入観をなくし、もっと肯定的になれれば。雨を味方につける、というと言い過ぎだろうけど、雨を愛することで、もしかしたら全天候に対してポジティブに、さらに天気が良かろうが悪かろうが機嫌を損ねることはなくなるのではないだろうか。