4月17日

エンタメ小説は、売れることを目的にしている。
純文学と呼ばれるような小説は、自分の内面から湧き出る想いを文章という形で可視化し、周りに読んでもらうことを目的にしている、ような気がするんだよなぁ。

昨日の朝ラン中、そんなことを考えたんだった。

いや、けどそういうカテゴリーはどうでも良くて、私が昨年くらいから描いている小説はその両方に当てはまるような気がしてて。

そうそう、そもそもカテゴライズしたくなっちゃう病ってのがあんま良くなくて、私のネガティブ思考に関連する話でもあるんだけど「そのどっちにも当てはまらない状態」を認めるのが、すごく気持ちが悪い。イエスかノーか。赤か青か。プラスかマイナスか。そういう教育を受けて育ってきたから?よく分からない。

グレーを認めると言うのは、多様性を認めるということにもつながる。もしかしたら私の中で、多様性というものを認めたがらないのかもしれない。いろんな考え方があって然るべきだし、58億人の考える、自分の中にある正義や信念に基づいて生きているだろうから、そのことに異議を唱えるつもりはなく、みんなそれぞれ自分の正義や信念を信じて、他人の邪魔をすることなく生きていったら良いのにな、と思ったりします。
朝食も、ごはん派、パン派だけじゃないと思うんだよね。食べない人、お茶だけ飲む人とか、いろいろいるもんね。