タグ: 価値観

  • 考えすぎないという知恵

    考えすぎないという知恵

    ──仕事に追われながら、心が少し救われた話。

    今の仕事になって、もう三ヶ月が経ちました。
    あっという間でした。時間が長く感じたことは一度もなく、それだけ覚えることが多く、仕事を回すのに必死だったということだと思います。そう考えると、たくさんの仕事があるのは、決して悪いことではないのかもしれません。
    なぜなら、余計なことを考えずに済むからです。

    たとえば、「なんのために生きているのか」という問い。
    誰もが一度は考えたことがある、けれど簡単には答えられないテーマです。私はその問いに、まっすぐ答える術をまだ持っていません。
    答えようとするたびに、相手の価値観と自分の価値観の間にあるズレが気になってしまうし、結局「今の自分はきちんと生きているのか」という自己否定のような考えに行き着いてしまうからです。

    けれど、そうした深い問いを考えること自体は、悪いことではありません。
    むしろ、自分に足りない部分を見つけ、成長へつなげるきっかけになることもあります。思索は、行動の芽を育てるものです。

    ただ、考えすぎると、思考が自分を追い詰めてしまう。
    仕事が落ち着いて時間ができると、つい考えすぎてしまって、出口のない迷路に入り込むような感覚になることがあります。
    だからこそ、手を動かし、目の前の仕事に集中している時間は、案外、心を守ってくれているのかもしれません。

    中途半端に考えること。
    それは怠けではなく、むしろ健全なバランス感覚なのだと思います。

  • コミュニケーションのために使う労力を惜しまないか、その逆か

    コミュニケーションのために使う労力を惜しまないか、その逆か

    これは私の場合に限るのかもしれませんが、頑張ればコミュニケーションをきちんと取ることができて、つっても年相応の、45歳の普通の社会人って感じの程度ではあるのですが。

    だけど、そんな風にコミュニケーションをたくさん取った時、例えば会社の社員交流会みたいな、いわゆる飲み会みたいな場を経て、帰宅したらどっと疲れを感じることが多いです。

    シンプルに、コミュニケーションを頑張って取った証な気がしていて、例えば、コミュニケーションの強者みたいな人って、疲れたりしないのかな、と思いました。

    コミュニケーションは疲れる?

    本来、人が構成する社会生活って、コミュニケーションがあってしかるものだから、そこに払うコストってしょうがない、払わなきゃいけないような気がするんですけど、そもそも、コミュニケーションって疲れるものなんですかね?

    生きていくには必要なコストって今言ったばかりですが、果たしてそれは本当なのかと。

    というよりも、コミュニケーションって、頭を使う?のかもしれないですが、どういう時に頭を使うんでしょうか。

    • 雑談をする時、(いい意味で)適当な話題を探す時
    • 雑談をする時、相手が気持ちよく話せるように相槌を打つ時
    • 仕事をする時、みんなで課題に向かって解決策を練る時に、いい感じのアイデアを出す時

    いや、3番目のやつは厳密にはコミュニケーションのためのコストではないか。

    どちらかというと問題解決のためのアイデアを考える時ですね。

    私の場合、私はどちらかというと聞く方に回りがちなので、その時の相槌の打ち方、話を引き伸ばしたほうが良いのか、終わり二持っていくべきなのかみたいな時に、結構頭を使っているような気がします。

    疲れるけど、それが必要なコストかどうか

    ぐだぐだと書いてしまいましたが、肝心なのって、自分にとって、それが必要かそうではないか、という価値観なのかもしれません。

    不要だわ、そのために消費するカロリーがもったいない、という人はだんだんコミュニケーションの頻度を下げていき、最終的には殻に閉じこもってしまうのでしょう。

    私は、私の中での最上の理想はそっちがわなんですけど、それだと生きていくために得る必要のあるお金を手に入れることができなくなってしまうので、「頑張って必要と感じているコスト」と思っているような気がします。

    生きていくには社会生活に溶け込む必要があって、それには必要なコミュニケーションを取って、そうやって自分をすり減らして生きていくことになるわけですが、一方で、やっていくと慣れていくってこともありますよね。

    慣れてくるとコストが下がっていくので、気にするほどでもないレベルまでコストが下がっていけば、それはコミュニケーション強者ということになるのでしょう。

    これって難しいですよね。十人十色の考え方の中で、相手はどんな人かっていうのを見極め、今までの経験の中から同じタイプを思い出し、その引き出しを開け、そこから出てくる「雑談の作り方」や「相槌の打ち方」みたいな素材を、相手に合わせて出していく必要があるんです。

    慣れていけば、その引き出しがどこにあるかを瞬時に見つけることができるから、探す手間とか、そういうコストは最小限になるのでしょう。

    コミュニケーションを多く取っていく人は、どんどん強くなっていく

    コミュニケーションを取っていけば、相手がある程度の種類に分かれていくワケで、上述のいわゆる引き出しがどんどん増えていくんですよね。

    それは相乗効果で、ロジカルに考えるとこんな感じかな。

    1. 会話を開始する
    2. 相手を見極める
    3. 新しいタイプ?
      1. 新しいタイプを受け入れる
      2. 引き出しが増える
    4. 既存のタイプ?
      1. 過去の引き出しの中を見に行く
      2. その人に合った素材を出し、会話に合わせていく
    5. 次のターンへ

    こうして、コミュニケーションを多く取っていく人は、どんどん引き出しが増えていくんですよね。

    タモリさんなんてのは何十年も色んな人とテレホンショッキングをしてきた人なので、ものすごく膨大な引き出しを持っているのでしょう。

    どっちがいいとか、そういう話ではないので、自分に合ったペースで、コミュニケーションの幅を増やしていくと良いのでしょう。

    生きていくのって難しいです。

  • 朝を味方につけたい

    朝を味方につけたい

    朝が弱いです。とてつもなく弱いです。布団から出るのが辛くて。在宅勤務の日は、始業時間ギリギリまで布団の中で寝ています。良くないですよね。起きてすぐ仕事なんてできないし。普通に考えたら最低でも1時間くらい前には起きておいて、朝食を摂ったりして、始業に合わせて気持ちを作っていく必要があるのではないかな、なんて思うんです。

    睡眠時間が短い?

    そんなことはなくて、ほぼ毎日、22時には布団に入ってるんです。つまり、22時から翌朝9時まで、10時間くらいは寝ている計算になります。それって45歳男性的には、だいぶ寝過ぎなのではないかと思ったり。だけど私は心療内科で睡眠薬をもらって飲んでいるので、それのせいもあったりするんだろうなと思います。理想的な睡眠時間ってどうなんでしょうね。出社してた頃はだいたい7時間くらいで日々、暮らしていました。それくらいで十分だったような気がします。つまり今は4時間くらい多く寝ているということに。そんなに寝てどうするんでしょうね?どうせその4時間、浅い眠りなはずなんだから、寝なくても良いような気がします。

    疲れが取れていないのか

    私はIT業界で生きる人間ですので、身体的に疲れるということはほぼなく、あるとしたらたくさん頭を使った日に感じる、頭の糖分不足くらいです。ので、少しでも多く寝て疲れを取りたいぜ、ということは考えていないはずです。疲れが取れていないということはなく、

    私の、朝の理想

    理想は7時に起き、次男が学校に出るのと一緒に家を出て(7時40分くらい)、自宅周辺を10kmランニングする、というものです。この時期(1月)はとても寒いので、家を出るのが億劫になりますが、ランナーにとっては今の季節が一番良いことは、私も過去の経験から理解しているつもりです。また、私には「痩せる」という大きな目標があり、それがモチベーションになって、早起きからのランニングというのを今すぐにでも始められるんだよなぁ。

    朝を味方につけるためのステップ

    まず一度、頑張って7時に起きて、走ってみる。目覚まし時計を使う。二度寝しないように気をつける(これが一番難しそう)。走る距離は5kmとかでも良いんだけどこれは自分の感覚で、たぶん大丈夫。朝7時に起きるのが難しいなら8時に起きて、そこから走るでも良いですが、一般的に、7時起きって早起きの部類には入らないですよね、だからいったん7時で。

    もしかしたら目的を見失っているから?

    ちょっと難しい話になるんですが、私が長く寝てしまうのは私の欲望を満たしているからで、別に、私の身体をいじめているワケではないんですよね。私の欲望を満たすために長く寝ているだけで、それは果たして悪いことなのでしょうか。私の目的の設定次第なんですかね。善く生きる、自分が気持ち良いと感じるように生きる、なのであれば、10時間というロングスリープは決して悪いことではないはず。だけど私の中で、それは正しいことだと思っていなくて。だって10時間も寝ちゃったら、残りの14時間でやりたいことをやり切る必要があるから。14時間のうち、8時間は仕事で使っていると、残り6時間でやり切る必要がある、と。これにランニング(+シャワー)で2時間使うと、残り4時間。これでは足りないですね。ゲームしたいし、小説を書きたいし、本を読みたいので。いや、けど、ここで気持ちを切り替えてみよう。10時間を7時間まで減らしたら、24-7=17時間、ここから仕事の8時間を差し引くと残り9時間も残ることができます。これはデカい。

    そもそも睡眠薬を処方されている身体をなんとかすべきでは?

    睡眠薬を飲んでいても、出社して仕事してた頃は7時間睡眠でなんとかなってたんですよね。私の睡眠薬は、長く寝るためではなく、寝つきを良くし、睡眠の質を上げるために使っているから、睡眠時間を減らすことに対しては目的と逆行している、とは言えないです。

    考えがまとまってきた

    考えるより行動を早くしよう、という気持ちが芽生えているので、明日から早速やってみようかな、と思います。二度寝厳禁。そこだけ注意だなー。ここまで考え抜いて、で結局寝ちゃいました、ってことも十分にあり得るからなぁ。今まで何百日も同じようなことを考えてきて、あとはもう行動に移すだけ、まで来たところで足踏みってなってるのが多かったから、今度こそは。ここに書いているという「有言実行性」も私に良い効果をもたらすということを信じて。

  • 9月2日 やる後悔とやらない後悔

    9月2日 やる後悔とやらない後悔

    人間最大の敵は「めんどくさい」と思うこと。
    なぜ、人間はめんどくさいと思ってしまうのでしょうか。
    気分が乗らない時、なんとなく体を動かすのが億劫な時などに、めんどくさいと言い訳をして物事を手に持つのをやめてしまう。
    それでいったい、どれくらいの時間を無駄にしたんだろう。

    やる後悔とやらない後悔では、後者の方が後悔の度合いが高いという話をよく耳にします。個人的にはどっちも同じくらいの度合いの強さな気がしています。
    やる、方は自分から動くということ。その先に、失敗があるとも知らずに、自分の持ちうるパワーを発揮して物事を成功へと導くべく力を注ぎます。
    一方、やらない、方は動かないという選択肢を選んだ場合のこと。動くことで失敗が見えていると予測し、だったら動くのをやめよう、と考えて結果を待つ時にはこっちですね。
    また、ここには「めんどくさい」という考えも含まれていたりして、要はダルいから動くのやめよっと、ということになるのかと思います。

    さて、やる後悔とやらない後悔では、私はどっちも同じくらい後悔の度合いがあるんじゃないかと前述しましたが、それは、やる後悔の方って自分でエネルギーやお金を使って行動を起こしたという点を考慮すべきだと思うからです。
    エネルギーとか、お金が無駄になっちゃうので、それを回復させるために時間が必要だったりします。だから、やる後悔の後に、それを回復させるための時間を考慮すべきなのではないでしょうか。
    逆に、やらない後悔の方、それはマイナス点として「行動しなかったことで経験が積み上がらない」という点に注目しているような気がします。
    そりゃ、できることならいろんなことを経験して成長していくべきでしょう。
    だけどそれは意識の高い人がやるべきで、私みたいにあんまそういうところに着目していない人にとってはやらなかったことで減らなかったエネルギーやお金を、違うことに回せることだってできるのでしょう。

    最近の私の事情でいうと、会社の同僚から山登りに誘われていて、確かに数年前から山を登ってみたいと思っていたところだったのですが、それにはデカいリュックや、小さくなるテント、トレッキングシューズなど、様々なギアを買わないといけないのです。同僚曰く、トータル10万円くらいかな、ということでしたが、それを買ってしまうと私は山登りを趣味にしなくてはいけなくなります。また、うちはマンションなのでそういうものをしまっておくスペースのことを考え、計画的に進めていかなければいけません。
    そういうところから、結局はそのお誘いを断ってしまいました。
    本当は行きたかった。だけどそれの代償になるものがちょっとある、という瀬戸際で、私はやらない方を選択したのです。この選択がどんな後悔につながってくるかは未知数ですが、生暖かく見守っていきたいと思います。

  • 8月30日 そういう日もある

    8月30日 そういう日もある

    そういう日もある。
    自分に何かを諦めさせようとするこの言葉。
    この言葉は不思議な魔力を持っていて、それは言霊とも言えるのかもしれないけれど、そういう日もある、と自分に言い聞かせることで、私が今日やってきたことであまり上手くいかなかったことがあったとしても、それを水に流してしまおうという魂胆なのだ。

    私は常日頃から考えていることがある。それは、自分の中で障害となっている物事に立ち向かう必要がある場合、ある程度のパワーを必要とするが、それに打ち克つには大量のパワーが必要だということ。そのパワーを充電する余地がある際、何日もの日々をやり過ごし、パワーがみなぎるのを待つ。その際、私は気が弱いところがあり、待ちきれずにその障害のことを案じて不安になり、パワーがみなぎる前にそれを諦めてしまったりすることがある。
    気が熟す、と昔から言われている言葉を信じ、それを待つということも自分の仕事(仕事というのは給料をもらうための仕事ではなく、人生を賭けた仕事のほうの意味)なのだろう。だけどそれを待つことができない。もしかすると私はせっかちなのかもしれない。そういう時にこそ、「そういう日もある」と自分に言い聞かせることが肝要なのではないだろうか。
    また、障害に真っ向から向かうのではなくどこかを迂回して進むなどの戦略を考えることも必要だったりする。ただ真っ向から勝負し成功するのは、よほど自分に自信がある時のみだけだろう。その、対症療法ともいえる戦略を駆使し、障害を少しずつ削っていくことで、だんだんと小さくなっていき、気づいたらひょいっと乗り越えることだってできるかもしれないのだ。
    そう考えると、戦略というのは非常に重要で、特に今の自分の実力では到底敵わないような物事に対して綿密な戦略を考え、それを粛々と実行し、やがて打ち克つことができるだろう。

    戦略と聞くと、例えば国同士が戦うレベルでの戦争や、スポーツの世界で良く言われることのように思うが、実は自分が挑もうとする課題に対しても有効なのだ。こんなに身近に、戦略を立てることの重要さがあるとは。この投稿を執筆する中で気付けて良かった。

  • 8月29日 失敗から学ぶこと

    8月29日 失敗から学ぶこと

    ベランダでタバコを吸っていると、急に猛烈な雨が降ってきた。
    それはまるでお盆をひっくり返したかのような勢いで、私は驚き、ただ呆然と空を眺めることしかできなかった。
    自然の脅威。言葉で表すといかにも安っぽい印象のあるそれは、今まで幾度となく人間を恐怖のどん底に陥れてきた。今、日本で暮らしている人の大半の脳裏に焼き付いているのはやはり、宮城県沖で起きた2011年の大地震だろう。あの頃を思い出すと、日本はこの先どうなってしまうのかという不安に苛まれていた日々を送っていたように覚えている。私は仕事先のオフィスから自宅まで数時間かけ、徒歩で帰宅した。
    途中、大きな橋を渡る時、先が見通せる角度のところを垣間見ることができたのだが、まるで亡霊が三途の川を渡るように、皆一様に、前をぼんやりと眺めながら歩みを進めていた。
    あれは地獄だったと言っても過言ではないかもしれない。事実、私よりも震災被害の多かった地域の人の中では、自分以外の家族がみんな行方不明になってしまい、途方にくれた人もいたであろう。家族と、さよならも言えずに永遠に引き裂かれる思い。その人の心境になって少し思いを巡らせてみようとしたけれど、今の私が、私の家族と離れ離れ、一生会えないということを考えただけで胸が苦しくなった。
    そうやって考えることすらも地獄の一つなのかもしれない。
    逆に、今ここに家族と一緒に過ごせていることが一つの奇跡で、幸せを体現しているようなものだから、それをきちんと噛み締めて生きていくべきであろう。
    そういう私ではあるが数年前、自ら命を殺めてしまいたいと思うことがあった。あれはどのような経緯でそう思い至ったのか、あまり詳しく覚えていないし、もしかすると思い出したくはない出来事なのかもしれないけれど、今考えると、その、一時の衝動みたいなもので自分の命を殺めることなくやり過ごせて良かったと思う。今の、私の家族を含めた、私を取り巻く環境がものすごく幸せで、それを噛み締めることができなかっただろうから。
    と、今ではそう思うのだけれど、あの頃の自分のことを思うと、それが最善だったのかもな。それくらい私は追い詰められていて、大好きな家族に気を回すことなんてできていなかったかもしれないな。
    そう考えると、人間が抱く気持ちにも天災のような出来事が意図せずやってくるのかもしれない。こっちは全くもって準備なんてしていないのだから、そいつがやってきたことで自分の気持ちをうまく整理、コントロールすることができず爆発し、自分の意識では取り返しのつかないような事態を招いてしまうのかもしれない。
    それは、その時点で見てみると、決して良いことではないように思う。だけど人間はその出来事を生かし、成長していくではないか。
    それが糧となり、同じような事態がやってきた時に、ものすごく高い防波堤を作ることで、その波を抑えることができるのではないだろうか。
    なんでもかんでも物事をポジティブに捉えるのは個人的にはいただけないのだけれど、そうやって考えると、津波から学び、次からは失敗しないようにすることができるはずだ。人間だもの。

  • 8/15 お盆が終わる

    8/15 お盆が終わる

    外資系の会社に勤めているせいというのもあってお盆に決まって休みというわけではない私は、今年は実家に帰らずに仕事をしています。
    これまでも何回かあって、その度に少しだけご先祖様に申し訳ない気持ちがありつつも、しょうがない自分の生活を守るためだと割り切って、仕事を優先している日常を考えると、別にご先祖様を蔑ろにするつもりはないんだけれど、なんとなく心に小さなしこりができるのを感じます。

    というのも、私は関東のどちらかというと田舎で育ち、お盆や正月、お彼岸などはお墓参りをしたり、なんやかんやで線香をあげる機会が多くあったものです。
    そんな環境で育ったから、ご先祖様に対する尊敬というか、畏怖する気持ちというか、そんなものが心の片隅にいつも眠っていて。
    ご先祖様と言っても私にとってのそれは私の祖父、祖母くらいなもので、それより上の世代については、正直なところ遺影を見るくらいであまり記憶にありません。同じ空気を吸った時期もあったんだろうけどね。

    私が、その祖父、祖母からもらったものは一体なんだったんだろうか。
    どこかのブログか本で、祖父、祖母と一緒に暮らすと優しくなれるというのを目にしたことがあります。
    それはだんだんと老いていき、今までできていたものができなくなってくる人間という存在を見つめ、一緒に過ごし、彼らができないことは代わりにやってあげるとか、なんらかのサポートをするような行動が自然と生まれてくるからなように思います。
    それだけではなく、彼ら自身も優しかったということもあり、彼らのアイデンティティみたいなものを私も受け継いでいる、ということもあるかもしれません。

    私はそれを絶やすことなく、かといってそれに固執するわけでもなく、私は私なりに軽やかに生きていければいいんだろうな。
    近いうちに実家へ線香をあげに行くというのも良いのかもしれんね。

  • 8/3 旅の疲れを自宅で癒す

    8/3 旅の疲れを自宅で癒す

    8月1日、2日と有給休暇を取って家族旅行をしてきました。
    車で静岡へ行ったものの首都高、東名高速ともにエグい渋滞。
    こんな時に事故を起こす人の気持ちがわからなくなりますね。うんざり。
    だけどそんなことで機嫌を悪くして自分もその仲間に入るわけにはいかないので、好きな音楽を聴いて自分の機嫌を取りつつ走りました。
    しかし車ってすごいですね。こんな暑いのにきちんと走ってくれるんだから。技術の発達にありがたみを感じざるを得ません。

    家族旅行をしていると、案外「自分だけの時間」を手に入れることが難しくなります。
    私は喫煙者なので、タバコを吸う時はそんな時間を確保することができましたが、まぁ、それも家族サービスの一つなのかなって思うようになりました。
    別に自分を制限するわけではないのです。
    考え方を変えてみて、家族が喜べば自分も嬉しいと感じるようにしました。
    これを矯正と捉えるか否かは自分次第。

  • 6月22日 なんもしてない土曜日

    6月22日 なんもしてない土曜日

    休日は、平日で被った仕事の疲れを癒すためにあるべきです。

    休日に予定をガンガン入れる人、なるべく予定を入れたくない人、それぞれだと思います。
    予定をガンガン入れて誰かと会う、どこかで過ごすという場合、これは自分以外の人と関わることで現実から逃避し、平日の仕事に打ち勝つためのパワーを充電するんだろうなぁ。
    私はどちらでも良くて、これってもしかするとHSS型HSPの特徴なのかもしれないですが、家族でどこかに行って何かを体験するとか、または自分でこんな感じで日記を書くことで自分の気持ちを可視化するとか、そんな感じで平日の仕事から離れているような気がします。

    てか、そんなに重要なんだろうか、仕事って。
    私は重たく捉えてしまうのかもしれないです。仕事のために英気を養うってさ、なんか休日を犠牲にしている気がするよね。
    休日は休日で、余暇なんだから、自分のしたいことをするべきでしょ。
    そう考えてみると、今日は昼にパスタを料理して食べたし、さっきメダカの水槽を掃除して気持ち良くなったし、実は仕事で被った疲れっていうのをあまり気にしていないのかもしれません。

    今年は手書きの手帳を使っておらず、それはそれで自由な感じがして良いんだけど、一方で今年4月にどんなことを考えて、やってきたのかを思い出すのが難しいです。
    いや、全部の記憶を背負って死んでいくことはできないんだから、自分にとって気持ちの良い思い出だけを両手で抱えていければいいんだろうなぁ。

    人の記憶をコントロールするのは難しいですよね。
    嫌だった過去、忘れたい過去はそれを時々思い出してしまうからこそ、いつまで経っても忘れることができないと言います。
    そんなことをいつまで経っても忘れずにいるのをやめて、楽しかった記憶を定期的に思い出してみることが、人生を明るく過ごすのに必要なことかもしれません。

  • 5月24日 最近の私

    5月24日 最近の私

    なんでもかんでも理想の自分、理想の生活を送ることを願ってやまないのだとすると、それが成長のためのモチベーションになっているならともかく、そうではないという状態なのだとすると、ちょっと変に固執しちゃってるんじゃないかな、って思いますよね。

    はい、私のことです。

    いつも何かが気に入らない。

    自分の思い通りにいかないから気分が悪い。

    いや、流石にここまでの感情を抱いているわけではありませんが、その、現実に対する不満を抱きながら生きていくのはとにかくストレスが溜まるんですね。

    更に悪循環なのは、そのストレスによってメンタルやフィジカルの体調を崩し、更に悪い方向へと向かっていくという様。

    分かってる。分かってる。

    私がここで「不満を抱いているんです〜」と言ったところで、解決するわけではない、ということを。

    先日読んだ本

    先日図書館で、「うつヌケ」という本を借りました。

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    うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち [ 田中 圭一 ]
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    この本を置いてくれた私の市に感謝です。

    この本はうつを体験した人たち、またはまだ完全に抜けきれていない人たちの体験談を漫画で紹介したもので、結構有名な方の話とか載っていてびっくりしました。大槻ケンヂがうつになっていたとはね。
    さて、その中で、私が「なるほどなー」と思ったのが、

    うつの原因になったものを根本から絶やすのはかなり難しい。それよりかは、そのものと一緒に暮らしていくことを考えていくべき。

    うつヌケに載ってたのをなんとなく自分で解釈したもの

    そうなんですよね。

    私、きっかけってなんだろうって考えたりするんですが、現実に対する自分の無力感だったり、生きてる意味とは、、、?みたいな問いだったり、そういうのに打ち克つのってなかなか難しいですよね。

    前者、現実に対する自分の無力感については、冒頭に書いた内容にも近しいのですが、今の自分が置かれている境遇や現実をきちんと受け入れることがまず大切なんではないかと。成長につながるような思いだったらいくら抱いてもいいと思うんです。

    もっとプログラミングのスキルをつけたいぜ!とか。英語もっと上達したいぜ!とか。

    だけどそっち側に気持ちを向けるのだってなかなか難しいですね。

    めっちゃ力使うし。

    後者、生きる意味とは、、?については、考えてもしゃーない、という書きっぷりでした。確かにそうなんすよね。なので私も、その考えに乗り、考えてもしゃーないことは考え続けないようにしていこうと決めました。

    お酒だって飲みたいし。食べたいものたくさん食べたいし。とは言え体は太りたくないからなんとか理想の体型に近づけたいし。

    最近の私はずっとこればっか。

    幸せな悩みなのかもしれないですが。