カテゴリー: 読書感想文

  • 漁港の肉子ちゃん 西加奈子 ★★★★☆

    漁港の肉子ちゃん 西加奈子 ★★★★☆

    昨年の秋くらいから、まるで取り憑かれるように西加奈子さんを読んでいます。最初に読んだのはサラバ!で、今風の言葉、適切な言葉をあまり深く考えずに言うと「エモい」作品だな、というのが率直な印象だったのですが、そのエモさが私にとって妙にぴったりで、もっと読みたい!と思ったのを、数ヶ月経った今でも心に残っています。彼女の描くエモさには、何が含まれているのでしょうか。私は、彼女が持つ筆記具を握る指が、爪がめり込んで血が滲んでいるように思えるのです。彼女の全身全霊を賭して、文章を書いているような気がします。
    一時、「作家は自分の経験をもとに作品を作り上げるのだろうか」と疑問を持つことがありました。だけどその疑問はすぐにNo、という結論で払拭されました。もしそうだとしたら、殺人事件を描くミステリー作家は、何人もの人を殺しているはずで、そんなことは常識的に考えてありえないと思ったからです。
    だけど、西加奈子さんは、登場人物になりきって、「登場人物がこの状況に置かれたら、きっとこういう思いを抱くはずだ、そしてこういう行動を取るはずだ」というのが理にかなっていて、それがとても自然なように感じるのです。これとはまた違う作品ですが「夜が明ける」という作品では、(ネタバレになるので多くは語りませんが)登場人物が貧乏生活を送るシーンがあるのですが、その真実味が、ホントに貧乏生活を経験しなければ描けないであろう描写、熱量で描かれていて、私はこの人の才能に嫉妬しました。私はたまに小説を書くことがあり、どうやったら面白い、エモい小説を書けるのだろうと日々考えている中で、西加奈子さんの描く文章を読むと、絶対に勝つことができない、と考えるようになりました。
    小説なんてものは作者の個性を十二分に発揮できるもので、その個性で勝負すべきであり、比べるものではないと思います。伊坂幸太郎さんと東野圭吾さん、どっちが面白いかなんて考えるべきではないし、「面白さ」の観点なんていくつも考慮すべきポイントがあり、そういう意味で公平に比べることができないからです。伊坂幸太郎さんにはキャラクターの愛嬌があり、会話のウィットさがあり、時折洒落た知識展開があり、一方東野圭吾さんには伏線の奥深さがあり、ストーリーの美しさがあったりと、ちょっと考えただけでも比べるなんて到底できないと思うのです。

    西加奈子さんの好きなところ

    これは伊坂幸太郎さんにも近しいところがあるのですが、登場人物を丁寧に、愛情を込めて描くところが好きです。良い点だけではなく、性格や生き方が抜けているところ、常識的な人間をベースとして考えた時に、欠けているところも余すところなく描き、それがまたキャラクターの愛嬌につながっているんだよな、と読んでて感じます。
    あと、冒頭にも述べたのですが、情熱的に文章を描くところが好きです。これまた良いところだけじゃなくてエグいところ(適切な言葉が思いつかない)、沈むところもとことん沈ませるところとか。登場人物のことを書いていて、軽いストーリー展開をつけたら、それだけでひとつの作品になるんだろうな、なんて思います。
    だけど、それを、決して軽々と描くのではなく、西加奈子さん自身が幾多の葛藤を経て、作品を上梓まで作り上げているんだろうなと感じるところが、また好きです。一生懸命に作り上げています、という雰囲気があるというか。

    漁港の肉子ちゃんの感想(ここからネタバレを含みます)

    だいぶ前置きが長くなりましたが、漁港の肉子ちゃんは、ストーリーに大きな魅力があるとは思えませんでした。よくある話、とまではいかないのですが、ストーリー展開が良かった!とは思いませんでした。キクりんの出生が最初の頃ぼやけて描かれているから後半で暴かれるんだろうな、とか、出生に関するエピソードが始まったあたりでピンと来たし、伏線を張るには軽いなとか、そんな風に感じました。だからストーリーに関しては分かりやすく、叙述的な描き方をされているなと思いました。
    私が★4つをつけたのは、キャラクターの描写、外見や心理の描写が緻密で、読者の知りたい!欲をちょうど満たしてくれる程度のボリュームで、そしてなによりみんな幸せそうに暮らしていて、そこがとてもあたたかくて良かったです。小説はこうでなくちゃな、読み終わった時にどんよりした気分だと読んだ!良かった!と思わなくなってしまうし、この作家さん、次はないな(私は読むことがおそらくない)、と思ってしまうと作家さんとしても売れなくなってしまうから、こういう終わり方で、正解なんだろうなと思います。読んだあとに心があったかくなるのって大切だよな。

  • 夜が明ける 西加奈子 ★★★★☆

    夜が明ける 西加奈子 ★★★★☆

    西加奈子さんを読むのは3作目です。サラバ!、まく子、そしてこの「夜が明ける」。
    どの本を読もうかと言うのはあらかじめ決めているわけではなく、図書館で在架されているものをパパっと見て、そこからジャケ借り、という感覚で、この本を手に取りました。

    いやぁ、壮絶でした。
    西加奈子さんの想像力にただただ圧倒されるばかり。
    サラバ!も、まく子も、かなり熱量の高いお話でした。
    だけどこの夜が明けるは、個人的には、それらを凌駕していると感じました。

    西加奈子さん、もしかすると壮絶な貧乏体験をしたのかもしれませんが、それだとしても、貧乏なことを適切な言葉で表現することがいかに難しいか。それを、西加奈子さんの筆力をもって読者に届けようとする気持ちがすごい。
    特に凄かったのは、貧乏のところと、パワハラのところ。
    少しは救われてほしいなぁと読者側として思わずにいられないほどの、貧乏+パワハラと言う両輪で襲ってくるところは、正直読むのがしんどかったです。
    私は、幸か不幸か、そのどちらも壮絶なレベルでは経験したことがないので、それらは想像するしかないんですが、私が主人公だったら辛すぎて自殺してしまうと思います。それくらい辛かった。
    最初の40ページくらいまではだらだら読んでいたのですが、それ以降は一気に読んでしまいました。次が気になってページを捲る指が止まらない、というのを感じた久々の作品でした。
    読んだ後、思わず、重たいため息。

    プロットをぼんやり考えてみると、二人を主人公と読んで差し支えないでしょう、彼らが生きようともがく気持ちを持つキャラクターが立ち、彼らを取り巻くような、少なからず彼らには迎合しない人たちがいる感じ。ストーリーについてはネタバレになっちゃうので詳細までは描きませんが思春期の頃から青年へと、そして33歳に至るまでの紆余曲折、紆余曲折なんて四文字熟語だけでは語りきれないほどに大小さまざまな波が押し寄せてきます。
    私の中では冒頭に述べた貧乏+パワハラのところの描写とストーリーがリアルで、壮絶すぎて、だから逆に幕切れのところは、えっ、このまま終わっていくの?!、と残りのページボリュームを左手の親指で感じながら読んでいました。最後は報われてほしいと多くの読者が考えただろうと思いますが、、いや、主人公の彼らは彼らなりの、ハッピーエンドだったのかもしれないですね。

    また、人間は、小説に、いったいどんなことを求めるんだろう、そんなことも考えながら読み進めました。
    おそらく私の場合は、私とはかけ離れた境遇の人が登場する物語を欲するような気がします。というか、小説を読む人ってみんなそんなもんかね。
    エンタメ性に溢れるストーリーというのは、そういうものなのかもなぁ。ふと思いましたがいわゆる探偵ものは、実際に刑事や探偵を生業としている人は読むんだろうか。そういうものを生業にしていても、小説に描かれるような奇抜な殺人事件みたいなものに触れる機会ってそんなにないから、それはそれ、って感じなのかなぁ。
    私は、私が生業にしている業種/職種に近い物語を読みたいか、と言われると微妙だなぁ。私は共感ではなく、私とは関係ないところで繰り広げられるストーリーに一喜一憂したいタイプなんだろうな。

  • 読書感想文 モモ ★★★★★

    読書感想文 モモ ★★★★★

    完全にナメてました。

    名作とは言え児童書だろ、しかもかなり前に出たやつだし、くらいの感じで。

    読んだきっかけ

    Xを通じて知り合った方が、ご自身を作り上げた本の中にこれを挙げていて、おいおいマジかよ、と思ったのがきっかけです。私はその方を信頼していて、そこまで言うなら、と図書館で借りたという経緯になります。

    私が住む自治体の図書館ではこれを児童書コーナーではなく、ヤングアダルトコーナーに置いていたので、探すのに少し苦労しました。借りた時は宝物を見つけたかのような気分。

    だけど分厚い。ものすごく分厚い。同時に、他に何冊も借りていたので2週間以内に読み切れるんだろうか、もしかしたらモモだけ読んで残り全部を返す羽目になるのではないか、と思いました。

    だけどそんなことは杞憂でした。

    帰宅してすぐに読み始めたところ、これがまためちゃめちゃ面白い。子供向けでもあるのでひらがなが多め、だから本が分厚いということなのかもしれません。

    この作者が上手いのか、訳者が上手いのか、もしくは両方とも上手いに違いないのですが、ストーリーへの緩急の付け方がとても上手いのです。

    そして物語を盛り上げていくところに対する書き方。

    灰色の、なんかよく分からない軍団が、だんだんとモモに近づいてくるところの描写が素晴らしく、話の展開が気になって仕方ありませんでした。

    主人公モモ

    モモという女の子が主人公なのですが、表紙に彼女の外見が描かれています。

    あえて彼女の顔を描かないところに、読者の想像力を掻き立てる工夫がなされています。

    おかげで、どんな顔をしているんだろう、これイタリアとかギリシャとか、そういうところだから、そういうところにいるような女の子なんだろう、みたいな想像をしました。

    モモは不思議な魅力を兼ね備えていて、会話をしていると、その相手がだんだん気持ち良くなってくる、とのこと。

    今の時代の言葉で言うなら、聞き上手ということになるのかな。

    なんでそんなふうに上手に、人の話を聞けるんだろう。

    モモに限らず、聞き上手な人は相槌の質が高いことが多いですね。

    相槌の質って本を読んでもなかなか上達するのが難しくて、というのも会話をしながら、どんな相槌を打ったら相手が気持ちよく喋れるんだろうか、って考えながら聞かないといけなくて、それには話を聞くと言うことと、相槌をどう打つか考えるという両面で物事を考えながら聞かないといけないからです。

    それは天性とも言える素質なのかなー、と思います。両方を頭の中で動かしながらってなかなか簡単にはいかないから。

    物語で心に残ったセリフなど

    モモはまるで、はかり知れないほどの宝のつまったほら穴に閉じ込められているような気がしました。しかもその財宝はどんどんふえつづけ、いまにも息ができなくりなそうなのです。出口はありません。だれも助けに入ってくることができず、じぶんが中にいることを外に知らせるすべはありません。それほど深く、彼女は時間の山にうずもれてしまったのです。
    284ページ

    時間が、無限にのしかかってくる感覚。

    それを”財宝”と表現することで、作者の価値観を読者の心に植え付けているなぁと思いました。

    時間って、財宝なんでしょうか。あんまそんなイメージを持っていなかったので驚きました。

    けど、「自由な」という意味を付け加えることでより一層、作者の気持ちを汲み取ることができるなー、と。

    自由な時間。これは悪い意味で言うと、退屈でしょうか。

    何もすることがなくて暇を持て余している感覚。モモが、石段に座り、かつての友人たちを待つ間、彼女もまた、退屈と感じていたのかも知れません。

    今、私は家族で過ごす自由のために、自分の時間を会社、社会に提供し、その対価としてお金をもらっています。そのお金を使って「やりたいことをやる」という意味での、自由を手にいれることができます。時折、仕事によって気持ちが打ちひしがれてしまい、家族で過ごすはずだった自由な時間を楽しむことができないことがあります。

    それって、ものすごく残念なことです。

    ゆとりが楽しみを海、それによって対価を得るための活力を得るという循環が、どんなに貴重で、どんなに難しいことか。

    今の私は、その、ゆとりを感じながら生きているのだろうか、と本を読みながら感じていました。

    時間を、財宝と捉えるべきことに、私は違和感を抱いていないだろうか。

    自由を十分に謳歌できているだろうか。

    灰色の男たちに惑わされ、自由を疎かにし、財宝を見失って生きてはいないだろうか。自問が尽きません。

    きちんと考えるべき問題、人間が忘れてはいけない、とても大切で大きな問題だと思います。

    ふつうの場所では、時間はおまえの中に入っていく。それでおまえの中には時間がどんどんたまっていき、そのためにおまえは年をとっていく。

    315ページ

    時間が自分の中に入っていく、という感覚。

    原文は分からないのですが、これを訳した人の才能たるや。

    時間がまるで液体のように身体の中にたまっていき、それを栄養にして年をとっていく、とはすごい発想です。

    今までそう考えたことはなかったけれど、これからはそのように、時間を飲み込んで生きていくんだな、って考えていくことになる気がします。

    だけどもし、時間が栄養になるんだとしたら、きちんとした栄養として身体に取り入れたいものです。

    良い時間は例えば、貴重な体験とか、ゆとりのある時間から得られるでしょうから、例えば子供たちとすごす時間とか、大好きな趣味とか、睡眠とか、なるべく怠惰なことではなく、きちんとした時間を過ごしていきたいなと思いました。

    この物語のように、時間をもとに戻すことはできないので、過去を振り返ってもそれが糧になるとは限らないため、たまに参考にする程度で、日々、良い選択をしていきたいです。

    うーん、違うかな。

    過去、自分を肯定するために、自分が判断した選択は全て正しかった、と考えて生きるべきなのかもしれません。

    そんなことで後悔したってしょうがないから。

    はじめのうちは気のつかないていどだが、ある日きゅうに、何もする気がなくなってしまう。何についても関心が持てなくなり、なにをしてもおもしろくない。
    だがこの無気力はそのうちに消えるどころか、すこしずつはげしくなっていく。日ごとに、週ごとに、ひどくなるのだ。
    気分はますますゆううつになり、心の中はますますからっぽになり、自分に対しても、世の中にたいしても、不満がつのってくる。そのうちに、こういう感情さえもなくなって、およそなにも感じなくなってしまう。なにもかも灰色で、どうでもよくなり、世の中はすっかり遠のいてしまって、自分とはなんのかかわりもないと思えてくる。怒ることもなければ、感激することもなく、よろこぶことも悲しむこともできなくなり、笑うこともなくこともわすれてしまう。そうなると心の中はひえきって、もう人も物もいっさい愛することができない。ここまでくると、もう病気は治る見込みはない。あとにもどることはできないのだよ。うつろな灰色をしてせかせか動き回るばかりで、灰色の男とそっくりになってしまう。
    そうだよ、こうなったらもう灰色の男そのものだよ。この病気の名前はね、致死的退屈症というのだ。
    321ページ

    長い引用となります。

    生身の人間が、だんだんと灰色の男になっていく描写。余裕をなくし、何かに縛られてせかせかと働く人間の様を表しているように見えます。

    こうはなりたくないと思っていても、いざこの状況になってみると周りが見えなくなり、だんだん灰色になっていくんだろうなぁ。

    時間を節約して、効率的に生きることを否定するつもりはありません。

    私も、ライフハックとか、時短術と呼ばれる類の話はむしろ好きな方です。

    だけど、そればかり優先して大切な余裕とか、ゆとりとか、そういうのを見失ってしまっては人生が台無しになってしまうのではないでしょうか。

    人のフリ見て、というわけではないけれど、自分はワーカホリックなところがあるので、定期的にこのことを思い出して、自分を俯瞰して見つめ直す必要がありそうです。

    家族と過ごす時間とかもきっと、こういうことの役に立つ気がしますけどね。

    そういえば最近、子供と遊んでいない気がするなぁ。

    このままでいいんだろうか。

  • 9月1日 悩む人 高橋秀実 ★★★★☆

    9月1日 悩む人 高橋秀実 ★★★★☆

    図書館で借りました。
    人生相談のフィロソフィー。悩む人。高橋秀実さん。
    この作者のことは存じ上げなかったんだけど、書いてある文章がとても砕けていて読みやすかったです。

    私はなんとなくニーチェが好きで、彼のこともこの本に書いてあったのでもうちょっと深めてみようと思ったのが借りた経緯になります。

    永遠回帰という考え方

    過去、あぁしておけば良かったと人間は考えがちで、私も数え切れないほどの失敗を経て今に至るわけですが、それを生かしてこれからは失敗しないようにしよう!と考えても結局は、また何か失敗をしてしまうんですよね。
    お酒を飲みすぎて泥酔してしまうとか。これは最近よくある私の失敗で、だから飲みすぎないようにしようと心に誓うのですが、それでもまた、案の定飲みすぎてしまうとか。失敗って分かってるんならもうすんなよ、とメタな自分が自分に呟いたりしています。
    この本ではその辺りにも触れていて、私は「悩む人」の代表格でもあるので、ズーンと心に響くものがありました。

    そもそも私たちが考える「時間」も定時法という一種の約束事に過ぎないわけで、約束事を外してみれば、ニーチェが言うように「砂時計のように、何遍もひっくりがえって、はじめにもど」(ツァラトゥストラはこう言った(下))っているような気もする。私たちは「時間の経過」などとよく言うが、時間が経過しているわけではなく、経過を確かなものにするために定時法の「時間」を作り出し、それを前提とすることで「成長」や「進歩」、さらには「目的」や「目標」という概念を正当化しようとしたのではないだろうか。

    時間という考え方をはずして考えてみよう、という突飛なアイデアはかなり独特で、それくらい私たちの生活に時間が密着しているわけですが、確かに私は何度も同じ失敗を繰り返しているし、そこから学ぶことはあれど、自分という器が少しずつ大きくなってまた新たな生活を繰り返すことになるんですね。

    私は、永遠に繰り返して、細大漏らさず、そっくりそのままの人生に戻ってくるのだ。(ツァラトゥストラはこう言った(下))

    人生は永遠に繰り返す。
    ただしその過程で手に入れた経験を糧にして、もう一度!と同じ経験を繰り返すってことなんだろうなぁ。
    だけど人間は成長するから、今度こそ同じ間違いを繰り返さないぞ!と思うわけで、それで成功したらオッケー、もし同じ間違いをしたとしてもそのまた次には失敗しなければ良いわけで。
    もしくは、それを失敗と捉えずに、エジソンのように「うまくいかなかったやり方に気づく」と考え方を変えてもいいんだろうなぁ。
    これが私の理解する、永遠回帰という考え方でした。もしかしたら捉え方を間違えているかもしれないけれど。

    事実と解釈

    現象に立ち止まって「あるのはただ事実のみ」と主張する実証主義に反対して、私は言うであろう、否、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみと。 (権力への意志 下)

    なかなかかっこいい考え方だと思いました。この言葉に出会ったのは10年くらい前でしょうか。私はこの「事実」と「解釈」と言う考え方が好きで、ある事実に対して1000人いれば1000通りの解釈があるわけで、たとえば2011年に大きな地震がおきました、そこから得られた解釈は日本国民それぞれ違うわけですね。私はあれで防災の大切さを考えましたし、また、私の家族はそういう天災に巻き込まれないと嬉しいみたいなことを思ったりもしました。

    そこまで言ってしまうと単なる開き直りのようだが、時間軸が円形で実は同じことを繰り返しているのだとしたら、「事実」とは事柄を直線上の時間軸に配置した一つの捏造に過ぎず、同じことをどう解釈したいのか、と言う欲求の反映になる。(213ページ)

    事実は捏造の一つである、という考え方もなかなかキレがあるなぁと思いました。確かに捏造なのかも。事実を正確に捉えるのって本当に難しくて、それは自分の解釈が挟まってしまうからで、ああすれば良かった、こうすれば良かったと言うのが挟まってしまうことで、事実は捻じ曲げられてしまうんですね。
    そう考えると、私が今まで起こしてきた失敗というのも、私は失敗と捉えているからそう見えるだけで、事実として、たとえば私が酔っ払って記憶を無くしてしまうとか、それによって私の家族が何か抱いた思いというものが、家族それぞれの解釈が挟まっているから、本当の失敗というのが、どんなものなのか分からなくなってきました。
    もしかしたら、失敗なんてものはなくて、私がそう捉えているだけだから、その枠を取っ払って考え方を変えてしまうか、もっというとその「私の考える失敗」というものを忘れてしまうことも良いアイデアなのかもしれません。
    どこまで考えれば良いのかわからず、際限なく自分の思考が続いていくように感じます。これこそが哲学ってことなのかもしれない。
    いい本に出会いました。

  • 読書感想文 瀬尾まいこ 君が夏を走らせる ★★★★★

    読書感想文 瀬尾まいこ 君が夏を走らせる ★★★★★

    <このブログにはネタバレを含んでいます。ご自身の責任においてご覧ください>

    何年かぶりの星5つです。
    この前に取ったのはなんだったか。三浦しをんさんのまほろ系だったかもしれません。

    Kindle Unlimitedで読みました。

    面白くて通勤中に一気読みしてしまいました。
    この物語は、16歳の男子が、先輩から頼まれて先輩の子供、1歳10ヶ月の子供をベビーシッティングするという、割と突拍子のない物語です。
    私は2人の子供を育ててきた経験があるから、主人公にめちゃくちゃ感情移入してしまって、彼の一挙手一投足にハラハラドキドキしてしまいました。
    最初はどちらかというと不良の男子だったんだよね。
    それが、子供と触れ合っていくことで自分が本当にやりたかったことみたいな、自分の感情をきちんと拾っていく過程がとても緻密に描かれていて、とても良かったです。
    最後の頃に、彼女はきっと俺のことなんて忘れてしまうだろう、っていう箇所がありました。
    確かにね。1歳10ヶ月の頃の記憶なんてあっという間に消え去ってしまうだろうから、確かにその通りなのかもしれないけれど、主人公がもたらした料理の楽しさや、公園での遊び方、何かに直向きになる姿といったあたりを見せてあげることができたのは、大きな功績なんだと思います。
    それにはまず、子供を大切に扱う、極端にいうと愛してあげるみたいなことが必要で、それを持っていた彼に先輩が託した気持ちっていうのは、おそらく、メロスとセリヌンティウスのような間柄だったのかもしれません。

    しかし瀬尾まいこさんってすげーな。
    先日のレビューでは星4つでした。それまでは、なんというか大きな物語の展開が少なくて、日常を丁寧に綴るところに物足りなさを感じていたんだと思います。
    だけどさ、話って、別に強弱をつければいいってもんじゃないですよね。
    それを表現してくれたところに、もう脱帽というか脱いだ帽子をプレゼントしたくなるような気分になります。

    惜しむらくは、私の子供達の、1歳10ヶ月の頃の記憶を、私が思い出せなかったこと。
    うちは男の子なので、性別的に合ってないから物語の中のような行動や仕草をしていなかったかもしれません。
    だけど、きっと、同じようなシチュエーションはあったはずで、そういうところを私がきちんと覚えていなかったところが、とても残念でした。
    全部の記憶を持ったまま生きていければいいんだけどなぁ。
    そんなん難しいですもんね。

  • 8/13 読書感想文 幸福な食卓 瀬尾まいこ ★★★★☆

    8/13 読書感想文 幸福な食卓 瀬尾まいこ ★★★★☆

    Kindle Unlimitedで読みました。瀬尾まいこさんの本を読むのはバトン以来2作目。

    以下、ネタバレを含みます。ご自身の責任において読んでください。

    私は瀬尾さんの小説はいい人ばかりに囲まれて、なんというか誰も傷つかず、健やかに育つ人間が集まっている印象でした。まだほとんど瀬尾さんのことを存じ上げない立場で言及すること、ご了承ください…

    今作も同様で、主人公の佐和子はぱっと見ヘンテコな家族だけどみんな暖かくて、優しくて、佐和子の思いや言動に賛同してくれる家族に囲まれ、やがて出てくる恋人もなかなか良い感じの彼で、もうなんというかみんな幸せすぎて面白くない!と思わせるような作品でした。

    途中までは。

    私はこの本が賞を取ったことに、途中まで半信半疑でした。こんな小説、言い回しは平穏で読みやすいだけだし、文の美しさとかもあんま考えてないのかなとか思いながら読み続けました。

    そして例のシーン、良い意味で裏切られました。

    私はもしかすると、みんな元気で幸福なまま物語を終え、そして、なんだよこれつまらんかったじゃん、と感想を抱くものの、登場人物がみんな幸せで良かったなと暗に感じながら、本を閉じたことでしょう。だけど例のシーンがあり、私は混乱しました。こんな残酷なことってあるか、と。佐和子はずっと幸せで、何一つ苦労などせずに暮らしていくはずじゃなかったのかよ、と。

    例のシーン以降、彼女の心境がゆっくりと綴られ、心を鋭利な刃物で抉られた佐和子は苦しみ、絶望し、まさか後を追って、、みたいな展開でしたが、冒頭に書いた優しい家族と友人たちのおかげでゆっくりと立ち直っていったところに、言いようのない感動を覚えました。

    そしてその後に、ヨシコが佐和子の家族について言及するところにぐっときました。あぁそういうことかと。これが、受賞した理由に違いないぞと思いました。そして私は静かに、家族というまとまりが作る絆というものが、例のチャリティ番組をいくら観ても分からなかった絆というものが、じんわりと腹落ちしていくのに気づきました。

    今あるものに感謝し、リスペクトしながら家族を形成していくことの難しさとかね。私は瀬尾さんの描く家族像がすごく好きです。こんなふうになれたらいいな、ってバトンの時も感じたし、今作のヘンテコな家族についても同様に感じました。そしてそれって普通のことではなくて、みんなそれぞれがそれぞれをきちんと観て、感じて、思いやることが必要なんだろうなと思いました。

  • 6月15日 ハンチバック 市川沙央 ★★★☆☆

    6月15日 ハンチバック 市川沙央 ★★★☆☆

    ようやく読める機会があり、読みました。

    芥川賞を受賞した時の会見で、作者の素性というか人間的な特性を先に見てしまったので、彼女の自伝的小説なのかなと先入観を多大に抱きながら読み進めました。
    私の知り得ない人の生活をつぶさに見ることができた、とても良い機会でした。
    私が今見えている視点では、言葉に表すことができないくらい自然なことでも、ある特性を持つ人にとってはとてもできないことってあるんだな。

    どこまでが彼女の経験で得たものなんだろう。どこからが、想像なんだろう。後半に出てくる田中さんとの一件は、芥川賞を狙ってくっ付けたような印象でした。考えすぎかな。そういえば去年くらいに、障碍者への性サービスみたいなニュースが飛び回ってたなぁ。そういう類の話には蓋をして、なるべく見えなくなるようにしていて、そういう仕事をしている人にだけその十字架を背負わせているような気がする。では一体、社会全体で考えていきましょう、という課題を設定した時に、どんな解決策が出されるんだろう。今まで真面目に考えたことがない私なりに、少し考えてみたけれど、残念ながらなんの回答も思いつかなかった。そういう社会の歪み(失礼な言い方ですねごめんなさい)ってビジネスチャンスになるんだよ、って最近どっかで読みました。

    生まれた時点で、先天的な何かとか、お母さんのお腹にいる時に起こった何かとかがあり、生まれながらにしてそういう特性を抱えてしまった人には、ある種、その時点でできないことっていうのがあるんだろうなぁ。
    いわゆる健常者(と呼んでいいのかはさておき、だって100%健常な人なんていないだろうから)から見ると、今の世の中っていろんな特性を持つ人に優しい世界が作られているように感じるけれど、実際はそんなことないんだろうな。生きづらい世の中。生きやすい世の中ってなんだろう。歩くことすら十分にできない人が、この世の中を自由に闊歩することの難しさを、この小説を通して改めて痛感しました。本を読むことすら難しいという考え方もね、これは芥川賞の会見の時にも本人が話していたけれど、こうして文章で読みそれを想像することによって、私の腹になんとも言えない気持ちで落ちていきました。本が重たいものだとはね。そういう視点を知ることができて良かったよ。

    普通ってなんだろう

    ずーっと普通について考えていました。普通に妊娠して、普通に堕してみたい、という表現がありました。それが普通かどうかは分からないけれど、そして普通の人間からしてみたら堕すという行為は好まれるものではないはず。だけどそんなことすら実行することができない人っていうのがいるんだよな、そりゃそうだよな。
    人間の設計図ってさまざまで、それこそヒトの数だけそれがあるのでしょう。私にも設計図っていうのはあって、—そういえば何年か前に「私の取扱説明書」みたいなのが流行りましたね—、その設計図にはどんなことが載っているんだろうと気になりました。
    普通、または標準という見えない価値観があり、それから外れている箇所については、私も私なりにこの世を生きる術を身につけて、生きているように感じます。
    この世の中がどんな人によって形成されているかというと、まず国を司る人たちがいて、そしてこの社会を一緒に運用している会社があって、その会社に属する人間たちがいて、その社会で暮らす一般的な私たちがいるでしょ。それら全体で同じ思いを持って形成している社会は、人口がいればいるほど平均的なものになっていくのかなぁ。その平均が、今の、社会?私は平均的な人間だと思う人がこの世にはいったいどのくらいいるんだろう。私も、私なりに平均的な人間だと思っているけれど。
    ふと我に返って考えてみると、ついつい私のウィークポイントばかりが気になってしまいます。その「ウィークポイント」という考え方にはヒトの標準的なものから”劣っている”というふうに捉えるものになるので、なんというか、自分の考え方のクセが見えてきてしまいます。私はいっつも、そうやって、自分のウィークポイントばかり考えてしまうんだよな。そういうことを考えてしまうからダメなんだ、と考えるたび、メタな自分が言っているんだよな。常に見張られているんだよな。逆に、ストロングポイントとして捉える点だってきっとあるはずなのにね。

  • 12月16日

    12月16日

    またしばらく、日記からご無沙汰してしまいました。
    日常が忙しかったのかというと決してそんなことはなく、働いたり、笑ったり、クスリと笑ったりしていましたところ、この日記を書くのが少し面倒になってしまいました。

    日々、振り返り、内省をしないというのは、良いことなのか悪いことなのか分かりません。
    いや、内省はしたほうがいいだろ派だったんですけども、上記のようにとりあえず日々を生きることで精一杯な人にはこの内省というものがやけに重たく、そんなことをするくらいだったら違うことをしている方が良いですわなんていう人もいるでしょうから、そんな人に「おい君、内省をすることがどんなに大切か分からないのか」なんて言ったとて、暖簾に腕押しというものでしょう。

    要は価値観、という話ですね。

    最近は何に興味があるのかというと。

    インスタには少し載せていたりするんですけど、メダカを60cmの水槽で買うようにしています。中には30匹くらいのメダカがいるのかなぁ。この前はIKEAの子供の玩具を収納するプラスチックのバケツみたいなやつに飼ってたんですが、冬になっていくにつれてメダカたちは冬眠していって動きが鈍くなって面白くないよなと考えるようになったのと、まだ子供くらいのサイズのメダカたちが結構いて(9月くらいに孵化したのでまだ大きくなってなくて)、この子たちを外飼いしたら寒さで春を迎えられないんじゃないかと思い、一発奮起、ガラスの水槽に挑戦です。
    こんなやつ。超でかいです。

    いざ、こういうのを用意してしまうと、ここでずーっと眺めてても飽きないので良いです。もっと早くやれば良かったかもしれません。
    あと、60cmにして良かったなと思いました。
    最初は45cmとか、30cmとかでいいかななんて思ってたんです。最初だし小さいやつから、みたいな安易な思い込み。だけどメダカが20匹以上いるのは分かっていたし、この子達が窮屈なところで暮らしてその結果酸素が足りなくなって死んでしまったりしたらかわいそうだよな、てかそれだったら60cmでいいじゃん、とひとりブレストして決めました。いやー。楽しい。

    別の話題。最近読んだ本。
    宇佐見りんさんの、かか。

    これネタバレになってしまうと思うのであんまいろんなことは書けないですが、主人公の、かかを思う気持ちを親身になって考えてみると、ギューって胸が苦しくなる思いです。
    いわゆる、毒親なんですよね。毒親に育てられた子供は、その家庭が作る世界が全てだと思ってしまうから、毒親が話すように話し言葉を覚えるし、だから、この書き方になってるんだろうなぁ。
    怪物級の描きっぷりですね。ここまで独創的に描けるのすごい。勝ち負けの話ではないですが、私には到底追いつくことのできない描きっぷりです。

    そんなところかなぁ。まだ何冊か読んだんだけど忘れました。

  • 11月22日 読書感想文 ★★★☆☆ 橋を渡る 吉田修一

    11月22日 読書感想文 ★★★☆☆ 橋を渡る 吉田修一

    ジャケ借り。橋を渡る、ってタイトル、よくないですかみなさん。私は好きです。
    橋って「こっち」から「あっち」をつなぐものなんですよね。
    「こっち」と「あっち」にはそれぞれ、どんな言葉を入れても良いと思うんですが、そこには「川」という大きな隔たりがあるはずなんです。それをつなぐための「橋」という存在。

    私は図書館に行くと、吉田修一のところをチェックする程度に好きです。私は新刊を追うような生活をしていないので新しいのが出たとかは分からないんですけど、それでも普段目にしたことのないタイトルが図書館の棚にあったりすると、おっ、なにこれ、と思ったりします。

    それがこの、「橋を渡る」でした。
    この、いい感じのタイトル、今まで借りたことあったかなぁ、と最近メモリのアクセス領域が減ってきている私の脳を巡ってみたのですが、記憶にはありませんでした。
    借りてみて、読んでみると初見。やった、吉田修一の新しい話が読める、と嬉しかったです。

    このお話をざっくり言うといくつかの短編に別れていて、それぞれがビミョー、すっごくビミョーに結びついている群像劇なんです。
    そしてこの展開、賛否分かれるだろうなぁーと思いながら読みました。
    詳細はネタバレになるので割愛しますが、吉田修一、こんな展開も描くのか!ビックリ!という感じでした。個人的には、現実的路線で行ってくれたほうが気持ち良いなぁと思ったり。

    吉田修一さんの好きなところは、必要最低限な描写と、スピード感です。まず描写については、物語を読者が理解するのに必要な分だけ描いてくれるような気がします。私がそう感じているだけかな。もしかすると、「私の知りたい量」と、「吉田修一さんの描きたい量」が一致しているのかもしれません。
    しかし、私の知りたい量っていったい、どういうことなんだろう。
    私が知りたい=物事を理解したい、というのに、私がタガを外せばいくらでも知識を得ることだってできるんだろうに、そう考えると私も必要最低限しか情報を必要としない人間なのかもしれません。

    たまに、いろんなことを知りたがる人っているよなそう言えば。
    その情報、今、必要です?みたいな。そこ別に核心じゃないですよ、みたいな。
    情報だって断捨離したら良いのに、とか思っちゃう。余計な情報を持ったところで、それをきちんと使うことをしないと役に立たないんじゃない?とか。

    余計な情報を得たくないから、SNSをやめてみる、とかね。小説の題材とはあまり関係のないエリアですが、そういうところも小説から学べたりするよなぁ。

    ところで、必要十分な情報量ってどうやって調整するんだろうなぁ。
    私は吉田修一さんのどこが好きなんだろう。
    と思った時に、出てくるのが「スピード感」というワード。
    どういうことかと言うと、物語の進むスピードです。そのスピード感が、止まるべき箇所ではきちんと止まり、進んでもいいところではばーっと飛んでしまうところとか。この緩急の付け方で、適切な情報量をコントロールしてるんだとしたら、それはきっとすごいことだと思います。

  • 11月21日 読書感想文 ★★★☆☆ 長い終わりが始まる 山崎ナオコーラ

    11月21日 読書感想文 ★★★☆☆ 長い終わりが始まる 山崎ナオコーラ

    この本、初見だと思って読んでいたんだけど、読み進めて気づきました。これ読むの2回目だった。
    私はこんな風に、少し斜に構えたような(という表現が正しいとは思えない、なんだろう)タイトルが好きで、タイトルと作者だけを見て図書館でジャケ借りをしました。
    前も同じような気分で、お、山崎ナオコーラじゃん、ん、なんだこのタイトル、奥行きがあって好きだな、という程度の気分で借りたんだろうなと思う。

    さて、このお話。ざっくりあらすじを申し上げると大学生のサークルでの話。主人公の女の子がちょっと変わった考え方を持つ子で、それを取り巻くサークルの人間関係とか、就職活動とか、そういう系の「考えなきゃいけないこと」や「やってかなきゃいけないこと」に対して前向きに取り組んだり、時にはネガティブになってしまったり、まぁ、人間だものいろんな気分があるよね、というお話。

    人間っていろんな面があるよなぁ、と自分のことを考えたりします。
    どこで何をしている自分が一番、自分らしいと言えるのか。そんなことをしばし考えたりもします。もしかすると、お酒を飲んで好きなことを考えたり、したりしている時が一番自分らしいのではないか、と今、ふと思いつきました。お酒の力を借りて理性みたいなものを外し、その殻の中にこもっていた「私」というものをゆっくりと陽に晒してみるような。陽に当てすぎてしまうとカラカラに乾燥してしまうので、適度に酔いが覚めたらまた理性をいう殻をかぶるんです、多分。

    しかしまぁ、理性っていうものがよく分からなくなりますね。
    例を挙げると、例えばさ、人によく見られたい、から他人に愛想よくするとかさ、それが本当の自分ではない、と仮定するじゃないですか。だけどそれだって、広い目で見たら自分なワケだし、これが本当の自分、とか、これは本当の自分じゃない、とかって、ただの偏見なようにも感じます。私の存在、個性に対する偏見。
    そういうのを、山崎ナオコーラさんは、しっかりと考えながら書いているような気がする。敏感というか。

    この、長い終わりが始まるというのは、ある曲のことを指しているんだそう。
    「終わり」というのは一瞬なことが多くて、終わりと一言に言ってもいろんなコンテキストがあるけど、その「終わり」が長いとは?と思ったんだよなぁ。割と最初の頃にその種明かしが出てくるから気持ちはスッキリしたんだけど、

    大学時代って、
    学生時代の終わりを表してるじゃないですか。

    この作品の中にはその、大学4年生の心境が高らかに綴られていて、「学生生活の終焉」を、ある曲にちなんで描いているんだよなぁーきっとそうだよなぁー。
    ですよね?って聞いたら山崎ナオコーラさんは、「ふふ、忘れた、分かんない」とか言いそう。

    途中、セックスに疎い男女がその行為を恐る恐る体験するところがあるんですが、私も経験が多いとは言えない方に属する人間なので、そのシーンはちょっと微笑ましかったです。
    そういう時期、あるよね、的な。
    しかしアレですね、この、疎いカップルが持つ心境みたいなものを丁寧に描けるのすげぇなぁ。そういう心境を体験した人しか描けないのではないだろうか、知らんけど。
    だとすると私も、はい、きっと描けるんだと思います。思わず数十年前のそういう時を思い返してみて気持ち悪くなりました。

    しかしアレですね、世の中には外向的な人、内向的な人と2つに大きく分けられるようですが、この後者に属する人は、きっとこういう話が好きなんじゃないかと思う。
    内向的な人の心に響きやすいストーリーを描くのが得意なんだと思う。