茨城で仕事
私のオフィスは東京だけではなく、茨城のつくば市と、北海道の札幌市でも働くことができる。
それを恩恵と呼ばず、なんと呼べばいいのか。
私は子供の頃から、筑波山を見ながら育ってきた。
実家は筑波山から、そこまで近いわけではないけれど、けれど裏山に行けばいつでも筑波山を見ることができた。
故郷を想いながら、仕事に励む。
こんなことが実現できるとは、この会社に入るまで考えたことはなかった。
いや、嘘だ。
私はいわゆる田舎の長男坊で、だから大学こそ静岡にある大学で過ごしたけれど、いつかは実家に入らないといけないと感じながら過ごしていた。
とは言え、気持ちと体は別というか、大学を卒業し静岡に本社がある印刷会社に新卒で内定が取れ、そして東京支店への勤務が決まった。
そうやって、徐々に実家に近づいていくプランを、当時の私はぼんやりと感じ取っていた。
意識的に考えていたわけではない。のらりくらりというほどではないが、風に身を任せ、いつから茨城という地に軸足を置いて生きていくんだろうな、とぼんやり考えていた。
時は経ち、私はそこから25年くらいを生きてきたという計算になるが、いまだに軸足は東京に置いて過ごしている。
物事は意識的に計画していかないと、人生というものは固まらない。
先日、バレットジャーナルに集中して取り組もうとして、それ系の本を何冊か借り、読み、そしてバレットジャーナルに対応できそうなA5のノートを買った。Editの320ページのやつ。借りた本を読んでいると、1、2、3、5、10みたいな、自分の中でのマイルストーンを決めて、その数字ごとの未来を描いていこう、みたいなことが書いてあり、私はハッとした。
風に身を任せて生きていく、というのと、物事は計画的にいくべきだ、という両極端な意見を上述した。
とはいえ私は前者の方が自分の考えに合っていると感じることが多いから、1年後の自分を想像することができず、ましてや10年後なんて、試しに1ページをそのプランにあてがってみても、10分考えてみても何も浮かんでこなかった。
何も、浮かんでこなかったのである。
だって10年後って想像できる?私が今、在籍している会社で働いているかどうかすらもわからないのだから。そんな私が、たとえば3年後ですら、何をしているか分からないのだ。そりゃそうだ。だって生まれてこのかた、自分の将来を真面目に考えてきたことがなかったんだから。
自分の将来についてじっくり考えてみる機会は必要なのだろうか
不要なのかもしれないよね、と考える。
これこそ自分の持つ価値観の話で、自分の生き様を計画していくことで、それに基づいて日々の暮らしを計画していく。物事を計画的に考えて生きていくべき!と考えている人はきっと、こっち側なんだろう。
ふと、MBTIのことを考える。私は3番目のやつがTなのか、Fなのか良く分からない。Tは計画的、Fはその場の感覚で生きる、みたいに私は捉えている。
私はFの方に大きく針が振れているんだろう。それを悪いとか良いとかっていう判断材料にはしていないけれど、多分これが、私の計画性の弱さという一面を物語っているように感じる。
だって自分の将来って。私は今、結婚していて、2人の子供がいるけれど、私の計画通りに家族が生きていくとは限らんもんね。私は自分なりに健康に気を遣ったり、仕事も真面目に取り組んだりしているけれど、妻や、子供たちが私の計画した通りに生きるとは限らないじゃないか。だとすると、私が今ここで、47歳の人間として考えることすら意味がないじゃないか、と考える。
いや、違うのかもな。何を計画するのか、という考え方にもよるのだけれど、たとえば、家族がどんな生き方をしていたとしても、私は私、私なりに考えた生き方を貫いていきます、ということになるのかもしれんよね。
たとえば、妻が癌に罹患したとしよう。してほしくないけど。だけど妻が入院したりして、今の生活を継続できなかったとしても、私は仕事をやめないし、できる限り全力で家族を支えていくのだろう。それを計画と呼ぶのかどうか、それこそ個人の価値観による。
そこには「臨機応変」という言葉がとても良く当てはまる。臨機応変ってすごい。TでもFでも、どっちも当てはまるのだから。
だから、もしかすると、MBTIとは違う階層に、「自分の価値観」というものが被さっているんだろうな。
私はF型だから綿密な計画はできないけれど、「それでも生きていく」みたいなマインドで、その場その場で適切な選択肢をたどりながら、なんとか自分の生きたいように生きていくんだから。
