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  • 6月24日

    久しぶりにブログを書く。ブログというか日記

    なんだろう、自分、そんなに振り返る時間が少なかったのだろうか。

    そう、、ほんとに、振り返る時間が少なかった

    ここ2週間くらい、何をしていたのだろう

    • ほぼ毎日、5km-10kmを走っていた。平日も走った。6月って私にとっては走る月なんだよなと思う。
      春から夏に変わるところで、気温が上昇していって、夏至になっていくから昼間は長いし、そういうところで自分の中で「走りたい!」みたいなマインドになっていくんだろうなと思う。去年の6月は130kmくらい走っていた。この距離は私にとってはなかなかの快挙
    • 仕事が超忙しい。もはや何がモチベーションなのかわからないけど、自分に課せられた仕事をただただやっつけていくという、地味だけど静かにやっていく仕事を黙々とやっつけた感。けど、自分の振り返りができなかったのは仕事のせいだけじゃないよね、と思いたい
    • そうそう、図書館で10冊くらい借りたんだった。人はなぜ自殺するのか、とか、夕張問題とか、死神のための協奏曲みたいなやつ。貪るように読んだ。明日返す日だったんだよな確か

    そんな感じ。ソロキャンプにも行こうかな、って思ったりもしたけれど予約とか全然してないなぁ

  • 6月24日

    暑くて走れなかった

  • 6月12日

    ここのところ猛烈に本を読みたい熱が私の85%くらいを占めている。
    インプットを求めるということなのだろうか。
    私の中に入っているものだけでは物足りないということだろうか。
    細かなところは良く分からないけれど、とにかくいろんなものを吸収したい時期に入っている。

    人間って、いくつかのモードがあるような気がする。
    分かりやすいところで言うと、周りに発散したい、アウトプットしたいモード。周りから吸収したいモード。
    なんでか分からないけど、時折、そう言う時期がやってくるんだろうね。

    私の感覚で言うと、最近は毎日の日記が疎かになってしまった。
    他に考えることがたくさんあるから、みたいな誰に向けているのか分からないような言い訳をしたりするけれど、つい1ヶ月くらい前までは、ほんと1日も欠かさずにここに日記を記していたような気がするのよね。
    あの頃はきっとアウトプットしたいモードだったんだろうなー、と思う。
    こうして公開しているウェブサイトだけど誰も見ていないという空間は案外心地良くて、いい感じの温度感を保ちながら書けるから良いよね。

    さぁ、本を読もう

  • 6月8日

    ふとApple Watch の睡眠アプリが目に留まり、おざなりながらも睡眠についてきちんと前向きに考えるようになった。

    昨今、これは加齢ということもあるんだろうけどとにかく眠りが浅くて、どんなに頑張って寝たとしても2時3時くらいには目が覚めてしまい、その度に「なんでぐっすり眠り続けられないんだろう」と悔やんだりしてるんだけど、それよりもまず睡眠時間を毎日同じ時間に取れるように、生活習慣を変えてこうぜとか、そんなことを急に気にするようになったんだよね。

    今日で3日目。毎日23時30分には眠るようにしてる。寝る30分前、つまり23時には液晶ディスプレイは見ないようにして、そうすると途端にやることがなくなってしまうんだけど、ストレッチをしたり、ほぼ日手帳に日記を書いたりして、ぼんやりとした時間を過ごしている。

    あと、お酒を控えめにしたり、とか。つっても禁酒するのは流石にアレなので、毎日350mlとか500mlのチューハイ(基本7%)のを1本飲むくらいにとどめたりして。

    多分こういうのって生活習慣を変えたからって途端に身体が健康になるってわけではなくて、日々同じように繰り返していくことで健康になっていくんだろうなと思うので、すくなくともこういうのを続ける必要があると思うんだけど、

    人生に諦観を持っている人とは違う考え方だよなこれ、別人だろ、って冷めた目で見る自分もいたりして。
    健康になろうとして、どうすんだよ、と。

    あぁ。精神が分裂してる。

  • 6月3日

    あっという間に、日常がすぎていく。
    つい最近書いた気がするけど、仕事に没頭されて終業後の夜時間すらも一瞬で過ぎ去っていくという程度のノリ。

    こうやって、43歳っていう私の時代も、大した記憶が残らずに過ぎ去っていくんだろうなぁ。

    仕事が忙しいとか、お酒をたくさん飲めるとか、ご飯を胃が痛くならずに食べられるとか、身体が健康だからやってられるわけで。
    そのことを蔑ろにしてしまってはいけないなぁと思うのよね。

    もしかしたらこの日記を書いている途中に気持ちが悪くなり、病院へ運ばれ、そのまま還らぬ人になってしまう可能性だってあるのだから。

    健康でいたいんだろうか、自分は。

    つい最近、ある人と話している中で、ここでも何度か書いている「もう死んじゃっても構わない、決してそれは後悔していないという体ではなく、どちらかというとネガティブな意味での諦観」みたいなことを話したら、何がしたいのか分からない、そうしたいんだったらそうすればいいじゃん、って言われて、

    それは流石に凹んだよね。
    別に、「死んでほしくないよ!」って言ってほしいわけではないんだけどさ、止めて欲しかったっていうか。
    なに他人よがりになってんだ、って話ではあると思うんだけど。

    自分に課せられたことは、ただ一つ、生きることだと思うんだけどね。
    そこからさらに、子供を育てるとか、自分のやりたいことを実現させるだとか、そういう面でのあれやこれやは出てくると思うんだけど、

    結局、諦観っていう視点葉、なくなることはないんだよなぁ。

    これって良いことなんだろうか。

  • 5月6日

    快晴の中での仕事。

    昨日は、日曜の夜と同じ心境だったせいか、今日は月曜日という感覚。
    GWのせいで仕事に皺寄せが起きる。
    急に進めるの無理だって普通に考えていても。

    さて

    今日はどんな1日だっただろうか。

    何も考えずに1日を過ごしたような気がする。

    仕事に没頭している証拠なのだろう、あっという間、まるでタイムマシンに乗ったような気分。
    本当は、時間の長さ通りに過ごしたという気分が必要なのだろうか。

    ん、待てよ

    時間の長さ通りに進むって超ムズいよな。
    今日みたいに、仕事とか、趣味に没頭していたら、1日なんてあっという間だもんね。
    逆に、やることがなくて、散漫な気分だったら、今日は退屈だったなぁー超長く感じたわー、ってなるでしょ。

    本当は、人生なんて没頭しているうちに終わっちゃうのが良いかもしれないなぁ。
    たまに訪れる鬱期間の時みたいに、「なんで生きてるんだろう」「生きてる意味、価値、ないだろ」とか考えちゃうのって、本当は不要なのではないかと。
    どうせ、そんなのに悩んだって、何も見えてこなかったりするもんな。
    今日みたいに、何も考えずに一生が終わってしまった!気づいたら死んでた!みたいなくらいのほうが、幸せなのかもしれない。