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  • 5月16日

    2年くらいサブスクで入っていたKindle Unlimitedをやめてみた。
    理由はシンプルで、読みたいと思う本がなくなったからだ。
    70万冊だっけ、なんだか膨大な冊数が読めると言われているが、図書館や書店のようなオススメ力が弱い(と私は感じている)ため、結果的にいつも同じような本を読んで、だんだん飽きてくるというやりとりを続けていた。

    一方、最近はまた図書館ブームがやってきていて、図書館で紙の本を借りて読むのが好きになってきている。
    ページをめくる時の、紙の手触り。持った時の重さ。栞を挟むことによる、どの程度まで読んだかという達成感。
    この辺りの感覚がものすごく好きで、そして図書館へ行くといつも気にしていないエリアでの本が目について、手に取る機会、そこから借りるという一連の流れ、それも図書館で得られる醍醐味の一つなように想う。

    けれどKindle Unlimitedでの手軽さも魅力だ。月1000円で、検索してヒットした本をいつでも読めるという感覚は、わざわざ図書館へ足を運ばなくても良いというところで、きっとまた、サブスクで1000円を払うことになるんだろうなぁ。
    それまでさようなら。あなたのおかげで哲学に出会えました。

  • 5月15日

    22時すぎに就寝し、4時に目覚めるくらいが私にはちょうど良い気がしていて
    その時間感覚で自然に目が覚めるととても健やかな気分になるね。
    これが老化の一環なのかどうかはわからないけど、ハイボールを4杯くらい飲んだ日は
    眠りが浅いような気がする。

    そりゃそうよね、熟睡じゃなくて昏睡なんでしょ

    覚醒直前に面白い夢を見た気がする、けど思い出せなくて悔しい

    忘れていいような記憶もあるし、忘れなきゃいけない記憶もあるんだけど、
    一方で忘れたくない記憶、忘れてしまって思い出せない記憶もあるよなぁ

    遠い昔の記憶で、絶対に忘れられない理由は、それを何度も思い出すからってどっかで見たことがあるんだけど、そういう意味で、忘れたくない記憶は、何度も思い出せば良いということになるよね。ホントにそうかな

    走りに行きたいんだけど、これから雨が降るらしくて、それのせいで二の足を踏んでいる

  • 5月13日

    タスクがきちんと明確になってないせいか、とても不安な日々を過ごしている。

    そうだ、きっと私は「先が見えない」ということがとても嫌いなんだ。

    仕事の話なんですけどね。

    目の前に仕事がないと不安になる症候群、何もない時はただぼーっとしていれば良いだけなのかもしれないけれど、それができない人。
    そういう時、困ってる人を探しに行ってしまう。助けてあげたいから、というのもあるけれど、仕事がなくて暇なのがとてもイヤと感じてしまうから。

    誰も困らないから良いと思うんですけどね。
    自分の仕事が疎かにならない程度なら、そして自分が役に立てるのなら、
    いくらだって君の元へ飛んでいくよ、そんな気分。
    誰だってヒーローになりたいのだから。

  • 5月12日

    仕事なんかでくたびれちゃうのって、ほんともったいないよなぁ

    というくらい、すごく気分が沈んでいる

    焦る仕事、人前で喋る仕事が本当に苦手
    43歳になっても得意にならないんだから、これきっとずっと無理なんだろうなぁ

    早く終われ!人生、早く終われ!とか思ってしまう

  • 5月11日

    仕事ってほんと毒だよなぁ。今日もあっという間に11時間を浪費してしまった。
    生活を人質にして、それを守るために、11時間を使う。
    「俺には守るべき家族がいるからさ」ということすらも、もしかしたら私の偏見なのでは、とか思ったりするね。だって本当は守る必要がないのかもしれないから。

    いや、違うな、守るべき、っていうのは間違っていないんだよきっと。
    愛する人間たちを、蔑ろにするつもりは毛頭ないのだから。
    ということを考えると、蔑ろにしているのは自己ということになるのだろうかね。

    うーん。

    そう考えると、自分が本当にやるべきこと、考えるべきことに対してきちんと時間を使えていないということになるのかなぁ。
    仕事という、いわば暇つぶしに時間を浪費して、自分の、うーん、言い方が適切か分からないけれど自己実現に近づくための活動については全く触れていないってことになるんでしょ。
    仕事に没頭され、終わる頃には疲労で考えることなんかできない状態、あとはお酒を飲んで気を紛らわせて終わり、という感じ。
    その繰り返し。

    それが悪いのか。
    分からんね。
    自分の成長と、家族の安寧を天秤にかけるってことでしょ。
    そんなん、決めらんねーわ、っての。

  • 5月10日

    今日も没頭した1日だったなぁ。
    カロリーを使ったせいで、夕方にはすでに頭がぼーっとしてしまった。
    朝ご飯とか、お昼とか、ちゃんと食べたんだけど、主に集中力が8時間持たない感覚。

    今日も快晴だった。家の中で仕事をしているのがとても残念。
    ベランダに椅子を持ち出して、そこで仕事しても良かったなぁと今更ながらに感じる。
    仕事してる部屋は寒いので、こういう時に外の暖かさがとても羨ましい。

    自分を許すということ。

    今日も朝ランできなかった。5時に目が覚めたのに。
    5時に目が覚めてすぐ走れるように、ランニングウェアを着て寝たというのに、それでもダメだった。
    そういうことじゃないんだろうな多分。

    これはもう太るしかないのか。
    そもそも走ろうと思った切っ掛けは、痩せたいという気持ちだったから。
    それが今じゃ標準体重をちょっと下回る程度に落ち着いていて、太る兆しがないし、なのでそれをモチベーションにするのは今更違うんだよなぁ。

    つって、きっと明日も走らないんだろうなと。いいんだ別に。

  • 5月9日

    普通に寝坊した。
    5時にはいったん起きたんだけど(鼻詰まりで)、その勢いで朝ランしても良かったんだよなぁー、なんとなく布団に戻ってしまったので、また眠ってしまった。

    こうして、自己肯定感の下がる1日がはじまった。

    昨日、早く起きられたら走ろっとくらいの感覚で、早く寝たんだけど、そして不本意ながら早く起きたんだけど、その時点で走ることに没頭せず、眠いとか、寒いとか言い訳をつけて布団に戻っちゃったんだよなぁ。
    その時点で体を温めることで、走ることができたのかもしれない。
    体を温める=体を動かすっていうことに対しても少し抵抗を感じたんだよなぁ。
    なんというか、億劫さを感じたというか。
    起きてすぐ走ろうとするからダメなのかなぁ。

    例えば起きてから15分後とか、少し時間が経って体がきちんと起きたらとか、

    朝ランするんだったらもうちょいやり方を変えたりしたほうが良いのかなぁ。

    そんなんつべこべ言わずに走っちゃえって感じか

  • 5月8日

    7時36分。
    雨も降ってなくて、運動するのにとても心地の良い気候。
    もうちょいしたら走りに行ってこようかと思ってる。

    怠惰について。

    私は月間で150kmとか、走れたら良いなぁとか考えたりする。
    そこを「絶対に走り切るぞ」とかまでは設定しておらず、なぜならそこまで自分を追い込んで課してしまうと、実際にできなかった時のショックが大きいから、プラス自分を責めてしまいそうになるからなんだけど、もしかしたらそれくらいに自分を追い込んでみても、実はいけたりするんじゃないかと期待する自分もいたりする。

    一度決めたらそれに突き進むのは意外と簡単で、それじゃなんでできないんですかというと、私が設定している「走れたら良いなぁ」という程度のものだと、怠惰に対してある程度仲良くしなければならない、というのを見込んでいるような気がする。

    今日もそう。

    上で、あともうちょいしたらって書いてるのは、スマホの充電が全然できてなくて、それが完了したら、ということを含んでいる。
    自分の中で、きちんと走る時間を決めたり、走るルートを決めたりすることで、なんとなく気持ちが固まってくるような気がするんだけど、今イマの段階だとそこまでがっつりしたものを決めていないから、まだ、私の心に怠惰が入り込んでくる余地はあるよなと思ったりする。

    この怠惰は何に対しても有効で、むしろこの気持ちとの付き合い方に対して、義務教育で学んできてるような気がするんだよなぁ。
    基本的に学校で学ぶ勉強ってめんどくさいと思っていて、覚える必要性を感じないものに対して覚えなきゃいけないし、テストで間違えないように何度も確認しなきゃいけないとか。そういう地味な活動を繰り返すことで、怠惰とうまく付き合うようになるのかな、と仕事をするようになってすげー感じたりする。
    だって仕事もだいぶめんどくさいものばっかりだったりするもんね。

    この怠惰って気持ち、もっと言うと生きることに対しても怠惰によって台無しにしてしまうと言うことが考えられる気がするんだよなぁ。
    めんどくさいから、行かないとかやらない、って言うことで、
    あとになって「行っておけばよかった」とか「やっておけばよかった」ってなることがあるから。
    それくらい後悔するんだったら、やっておけって話ですけどね。

    翻って私の話。
    例えば年間で走る距離を決めたりすると、この怠惰をある程度振り切って没頭して取り組んだりできるのかなぁとか思ったりする。
    年間で走る距離って言ってもなぁ。上述したけれどなにかご褒美をとか考えた方が良いんだろうか。年間通して走るモチベーションってなんだよ。健康な身体くらいしか思いつかない。それで十分なんだろうなぁ多分。

  • 5月7日

    5月6日にまだしがみついている。
    寝るのが惜しい。
    ただ、寝付く機会を失っただけということになるのだけれど、ポニョを観ながら寝落ちした息子の隣で、同じく寝てしまったのだけど奥さんに起こされて、ちゃんと寝るか、と思ったのだけど全然眠れない状況。
    しょうがなく音楽を聴いたり、本を読んだり、ネットサーフィンしたりして、日記を書くに至る。3時5分。

    夜中は哲学者と詩人しか起きていないと、誰かが言っていたのを思い出す。
    マンションの中庭あたりで、ヒバリかな、鳥が囀っている。

    昨日というか、今日というか、5月6日は何となく食べ足りない気分で1日を過ごしていたと感じてるのよね。
    食べ足りない?なにを?って感じだけれど、
    ホントにご飯が食べたりてない感覚がずっとあったし、お酒もあんま飲んでないし、プラス、刺激というべきか、それも足りてない感じしたんだよなぁ。
    必要なのはゲームなのだろうか。わからん。
    こうして少し眠いまま、それでも眠りに就かないのは、その刺激を満足いくまでに味わいたいという未練がましい思いが気持ちの根底にいるような気がする。
    そんなこと忘れて、さっさと寝て、来るべき5月7日に期待したほうが良いのかもしれないけどね。

  • 5月6日

    快晴の中での仕事。

    昨日は、日曜の夜と同じ心境だったせいか、今日は月曜日という感覚。
    GWのせいで仕事に皺寄せが起きる。
    急に進めるの無理だって普通に考えていても。

    さて

    今日はどんな1日だっただろうか。

    何も考えずに1日を過ごしたような気がする。

    仕事に没頭している証拠なのだろう、あっという間、まるでタイムマシンに乗ったような気分。
    本当は、時間の長さ通りに過ごしたという気分が必要なのだろうか。

    ん、待てよ

    時間の長さ通りに進むって超ムズいよな。
    今日みたいに、仕事とか、趣味に没頭していたら、1日なんてあっという間だもんね。
    逆に、やることがなくて、散漫な気分だったら、今日は退屈だったなぁー超長く感じたわー、ってなるでしょ。

    本当は、人生なんて没頭しているうちに終わっちゃうのが良いかもしれないなぁ。
    たまに訪れる鬱期間の時みたいに、「なんで生きてるんだろう」「生きてる意味、価値、ないだろ」とか考えちゃうのって、本当は不要なのではないかと。
    どうせ、そんなのに悩んだって、何も見えてこなかったりするもんな。
    今日みたいに、何も考えずに一生が終わってしまった!気づいたら死んでた!みたいなくらいのほうが、幸せなのかもしれない。