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  • 4月14日

    自分の価値観を、揺るがずに持っていることにポリシーと感じているような人は、私からすると合わないのかもしれない。

    人によるから、私はその人に対して良いとか悪いとか、そういう判断ができない。私の判断なんてなんの意味もないから。自分の機嫌を取りたいだけだから。

    だから、頑固な人、周りに合わせようとしない人、努力しない人には、今までずーっと「なんであの人は協力しないんだろう」と一人で悔やみ、がっかりしていたのだけれど、

    それは私がその人に対して期待をしていたからであって、多分、ではなくきっと、私の思惑が間違っていたんだと思う。

    そうすべきじゃなかった、ということ。

    期待すんな、と1週間に20回くらい考えることがあって、それはつまり私が、人や、組織に対して期待してしまっていることの裏返しなのであるからなのだけど、少なくとも私の意識を変えるだけで、もしかしたら世界が変わってみてるのかもしれない。

    同じように、厭世的な考えをずーっと持っていて、この世に対してなんの未練もありません、今すぐに命が終わっても良いです、と考えていたんだけど、

    一方で、

    例えば、もうすでに別れてしまった人に対して、もっと優しくすべきだったとしても、その人が死別してしまっているとしたらすでに手遅れで、それは後悔の一つで、

    その点で、

    私はまだ会いたい人がいるし、その人と会って話がしたいし、その人の顔が見たいし、てかずーっと見ていたいし、それはつまり家族であったり旧い友人であったりするんだけど、

    そういう人たちとの、黄色いTシャツの番組みたいな言い方をすると「絆」というものが思い浮かぶんだけど、その絆があるから、まだ死にたくないな、と思うようになりました。

    ただそこにも、他人には期待すんなよ、ということがあり、私が会いたいからと言って、向こうも同じように会いたいと思っているかは彼らの勝手なのだから、私はそこに期待しちゃいけないんだな、ということは忘れないでいたい。

  • 4月13日

    またしても一瞬で1日が終わる。

    それでも今日は、いつもとは違う瞬間があった。
    と思ったけど、基本的に毎日、違う瞬間はあるでしょ。

    在宅勤務をしていると、リアルに会う人間が、家族しかいない。
    それでもまだ、家族がいれば恵まれているのかもしれない。
    一人暮らしで在宅勤務だったら、本当に、人と会うことなんてなくなってしまうんだろうなぁ。

    今、在宅勤務をしている人って何割くらいいるんだろう。
    通勤での苦痛から逃避できるという大きなメリットを享受しながら、生きている。
    私に取っては両面の効果があり、本を読むのが好きなので、その時間を充てられることがなくなったというのがちょっとキツい。
    いや、そこは通勤時間分、本を読む時間にすれば良いんだけど。
    その時間、今のわたしは一体どんなことに費やしているのだろう。
    きっと眠ったり、仕事をしたりということになるんだろうけど。
    それが意味のあることなのか、と問われると、素直にイエスとは答えづらい。
    それでもまだ、眠るという点においては、私の欲望に対して素直に実行へと移しているのだから、それだけでもプラスなのかもなぁ。
    仕事、つまり残業ということになるのだけれど、自分の中で「ここまではやっつけてしまいたい」と思うところまで仕事をした場合、仕事に拘束される時間としては長くなるんだけど、一方で私自身の精神衛生上は、大いなるプラスになるのだ。

    難しいよね。なにを優先するかでしょ。
    私が気持ちよくなれること、という点であれば朝は眠る時間だし、夜は自分が気持ちよくなるところまで仕事をやり遂げるっていうことになるでしょ、そう考えたらどっちも、私に取ってはプラスなのよね。

    それでも最近は無理にでも19時退勤とかして、ランニングするようにしてる。
    それも私の中では、気持ちよくなれる行動の一つだから。
    そうやって、自分が何をすれば気持ちよくなれるかというのを考え、いくつか武器として持っておくのも、生きやすくなるためのヒントな気がするなぁ。

  • 4月12日

    老後の世話をしてもらうのはイヤだ、恥ずかしいから
    みたいなことを考えていたけど、明日には死んでしまうかもしれないと言うことに気づき、もうちょいちゃんと今を大事にして生きなきゃな、と思うようになりました。

    これだけで、ポジティブに生きられているような気がしています。
    こんな、小さな気づきだけで。

    発端はセネカの、人生の短さについて、で、
    私はそこからエッセンスだけを抜き出した本をちょっと読む機会があり、
    そこから上記のような気づきを得たのですが、

    すごいよね、2000年前の人が書いた本で、いまだに、心を動かされようとしてるんだもんな。

    そう言うのを考えると、いつの時代も考えることに差異はそんなになく、つまり人生をいかに大切に生きるか、今を意識して生きるか、そこに尽きるのかなと思ったりします。

    今を意識して生きる。

    これが、もしかしたら本当の「意識高い系」なのかもしれない。
    揶揄されるそれとは一線を画した、本来のやつ。

    この言葉と、「自分探し」は割と、勘違いして揶揄されがちだよなぁと思ったりします。
    自分探しについては、これはいろんな価値観と出会うことで、客観的に自分を見つめ直す機会があるのかなと思っていて、

    私の場合、直近で考えると、ものすごいお金持ちの家で育った人と一緒に仕事をすることがあった時に、彼女の感覚と、私の感覚ってだいぶ違うよな、というのに気づき、私は、お金について割ときちんと地味に使うのが好きなんだなと思うことがありました。

    自分探しっていうのは、そう考えると自分1人で見つけるのはもしかすると難しいのかもしれない。例えば荒野で、1人でとぼとぼと数十Kmの道のりを歩くとします。
    当然喉は乾く。けど近くに水の出るような場所はない。困る。
    こういうケースなのであれば、もしかしたら自分の価値観というのが見えてくるのかもしれないけど、こう言うケースにぶち込まれることは割と稀で、このご時世、他人の一挙手一投足に自分がどう反応するかで、あぁ自分ってこんなだったんだ、と思うことがあるんだよなぁ、と。

    43歳になってもまだ、自分がどういうものか、はっきりわかってない。
    83歳になったとしても、もしかしたら分かっていないのかもしれない。
    こういうのって変わっていくだろうしね。

  • 4月11日

    ITの、システム開発という仕事をしていると、チーム間での調整がうまくいかず、諍いを産んでしまうことがある。
    諍いと書いてしまうと、チーム間で戦争が起きているように聞こえてしまうが、そこまでではないと思うのだけれど。

    あまり、波風を立てるのが好きではないから、ちょっとでもそういう雰囲気が見え始めると、当事者じゃないのにビビってしまう。
    多分これ、HSPだからなんだよな。

    感受性が豊かというのは、それをうまく使って生きていければきっと、大いなる武器になるんだろう。
    季節の移り変わり、って書いちゃうととても薄っぺらいけれど、その言葉の裏には、散りゆく桜の花びら、えっ4月なのにこの気温?!な驚き、だんだん日が伸びてきてまだ明るいのかよ?!な18時30分とか、そんなところにも感動できたりする、よね。

    ただし人間はそういうのに感動してるだけじゃお金を稼げないから(突き抜けている人は別として)、私のように、地道に仕事をして生きたりしている。
    仕事中にも、そんな感じの感動が生まれたらいいんだけどね。

    パワポで、めちゃくちゃ綺麗にオブジェクトを配置することができた!とか
    Excelで、気持ち良い数式が作れた!とか

    ちょっと頑張って考えてみたけれど、ちょっと強引だよなこれ。

  • 4月10日

    予定のない休日は、ついなんだか生産的なことをしてしまいがちではあるけれど、本当は休むことが必要なので、疲れるようなことをしちゃいけないと思う。

    疲れるというのは、身体的な面、精神的な面の両方があり、私の場合、例えば遠くの場所にある人混みなどはそれに該当したりする。静かな、落ち着いたところが好きなので、図書館とか、森の中でデイキャンプが良かったりする。
    それでもそれが家族の要望と合わなかったりして、それを家族に合わせると、満足のいく休日とは呼べなくなってしまう。

    それじゃ家族がいない方が良いの?という話に展開しがちである。
    となると、それはそれで別問題で、というのも家族から齎されるが多いから。

    どっちもどっちだったりする。どっちも優先したい。どっちも愛したい。
    自分の気持ちと、家族。

  • 4月9日

    悪くない1日だった

  • 4月8日

    まるでタイムマシンに乗ってるかのような1日、昼間のことはほとんど、何も覚えていない。

    記憶に残らない1日になってしまいそうだったので、10km走ってきた。かろうじて花びらを残している桜を、いったい何本見ただろう。また来年、この地に残っていれば、綺麗な姿を見せてくれるのだろう。

    ここのところあんまちゃんと走ってなかったので、ペースはそこそこだったのにだいぶバテてしまった。昨夜も10km走ったので、疲れが残っていたのかもしれない。私のペースはだいたいいつも同じで、きちんとした練習とかしないから記録が伸びないのだけれど、もともとリフレッシュを目的としていたので、それで十分なんだ本当は。

    もしかしたら成長すべきなのかもしれないけど。成長したところでなにもないから、大きな大会を目指すとかないし、健康でいたいからだけであって、だから、このペースを速くしなくてもいいんだよ、と自分に言い聞かせる。

  • 4月7日

    季節が移り変わっていく。少しずつ暖かくなってきて、北向きの部屋で仕事をしているのだがようやく暖を取る装置を片付けても良いかな、と思うようになってきた。

    桜はまだギリギリのところで頑張っている。あともう1回、雨が降ったらきっと、一気に散ってしまうだろう。
    この、儚いところが、桜の良いところなのだ。その儚さが、日本の侘び寂びにつながっていると信じたい。

    詫びとか寂びとか、いつまで酔いしれているのだろう、日本人は。
    かくいう私も好きな話なので、私が死ぬまで寄り添っていきたい。

  • 4月6日

    昨日までは割と寒い感覚があったのだけれど、今日はだいぶ暖かい。
    昼間、近くのマックまでお昼を買いに行き、その行き帰りを少し早歩きで歩いていたら、汗をかいた。
    マックはこのところ照り焼きチキンフィレオにハマっており、そればかり食べている。

    マックが近くにあって良かった。

    別に田舎を卑下するわけではないのだけれど、私は歩いて行ける距離にマックがあるような地域で育っていないので、こういうところに思わず喜びを感じてしまう。
    今だと、おそらく実家から40分とかかけて車で行かないと、マックに辿り着けない気がする。

    別にそれが悪いわけではない。むしろ、そういう環境だからこそ得られる「特別感」をきちんと噛み締めて、マックを食べるので、より貴重な感覚が生まれるような気がしている。

    この、特別感は、常に持っていたい。

    在宅勤務とか。

    iPhoneにBluetoothキーボードを繋いで、ブログを書く、とか。

    恋とか。

    春とか。

    別れとか。

    なんでだろう。

    新鮮な気分、つまりそれは刺激に繋がるんだろうなぁ。

  • 4月5日

    柏レイソルが快進撃を続けていて、上位にいるのが慣れない身としては、いつか失速するのではないかとヒヤヒヤしている。

    J1の、首位なんて。なにかの間違いだろう。夢なんだと思い込んだり、俄には信じられない。私がサポーターになったのは2018年からだから、まぁ、まだ慣れないというのが実情なのだと思う。

    彼らが勝とうが負けようが、私がどうこうできる問題ではないのだから、そんなことに執着するのは、きっとエピクテトス的には無しなんだろうな、といつも思う。それでも私はレイソルの勝ち負けに一喜一憂し、試合のあった日くらいは気分が引きずられるような感じだ。

    分かってる。別に私の人生に彼らの勝ち負けは一切関係ないことを。だけど私は、と思ってしまう。たぶん、ギャンブルと同じなんだろうなぁ。刺激を求めているのかもしれない。

    いや、きっとそうだな。