この本を読んで、このブログのことを思い出したよ、ごめんなさい忘れていて。
ハードルが下がったね、ブログを投稿する時の。下書き状態でもいいやーってくらいのゆるいノリに好感を持ちました。
まだ3時。昨夜22時過ぎに就寝したんだけど、早く目が覚めてしまった。
早く、というレベルではない。人によってはまだ寝始めていない時間とも言える。
眠りが浅くなった。例えば8時間、寝続けることができない。
きっと老化現象の一つなんだろう。
長く(と言っても7時間とか)寝続けることができなくなった、今までの習慣から少し身体の生理反応が変わってきたからと言って、憂うことはない。
自分の意識で変えられないものに対して無理に抗おうとする必要もないんだって。
ご飯を大盛りで食べられなくなったとか。食べ過ぎたら胃が荒れたりして体調を崩すんだから、昔はたくさん食べられたのに…ってなる必要ないんだって。
そういう身体的なものでは、できないものが増えてきたような気がするね、と言っても長時間睡眠と、ご飯をたくさん食べること、くらいなものだろうか。
その代わり、できるようになったものってなんかないかなぁ。
思考することは増えてきたように感じるけれど。それくらいかなぁ。
脳ってどんどん進化している気がする。

図書館で伊坂幸太郎の、フーガはユーガを借りられたのでとても嬉しかった。
読むのは2回目で、1回目はだいぶ長い順番待ちをしたものだ。それが、もう予約は不要で借りることのできたという、時間の流れに少しだけ驚いた。
あれからまだ1年くらいしか経ってないんじゃなかったっけ。
伊坂幸太郎は、ストーリーの非現実性と、言葉の選び方や小ネタの挟み方がとてもオシャレなところが良い。あとは気持ち悪い性描写や、暴力的なところが少なくて、10代の若い人たちにもウケるような、健やかな風味がある。
そういうところが、人気のあるところなのかななんて思ったりする。
個人的には、彼の通った高校が私の自宅近くにあるという点でも、応援していたりする。
伊坂幸太郎みたいな小説が書けたらなぁ、と何度か考えたことがある。
彼のようになりたいのではなく、こんな感じで小ざっぱりとした読後感を与えてくれるような作品を仕上げてみたい。
そんな意志を持って、5000文字くらいまで書くことは良くあるんだけど、そこから先が続かないような作品が、割とたくさんあったりする。
そう考えると、小説家としてやっていくために必要なことって特別難しいようなことではなく、持続力が一番必要なのではないだろうか。
物語を書き続ける、最後まで仕上げる力。あとはアイデアを生み出そうと考え続ける力。この二つがあれば、この二つを自分の中で地味にでも良いから続けていくことができれば、自分の理想とする作品を出せるのかな、とか思ったりするね。
私の場合、アイデアを生み出そうと考えたり、着想を逃さないようにメモったりすることはできているので、そのアイデアの切れ味が鋭いかどうかはさておき、ひとまずその二つのうち一つはできているような気がする。
そうなるとやっぱ、持続力なんだよなぁ。
書きかけの5000字、もうちょっと引き伸ばしてみるか。
ソフトウェアはシステムの品質を検査するような仕事をしているのだが、突き詰めると、限度がよく分からなくなってくる。
良い塩梅というのはどんな世界にもあるもので、のめり込むのは身体に悪い。
ここのところエピクテトスとニーチェに傾倒していたのだが、それもハマりすぎると厭世的になってしまい「あぁ今すぐにでも死んだほうが楽になれる」と考えたりするので、それもよく考えるとのめり込む例なんだなと思う。
十分な品質、というものがあるのだ。
日本は割と品質が高いものを求めがちだと言われるのよね。
まぁわかる、自動販売機ではお釣りに間違いがないことが前提だし、街の横断歩道にある信号だって壊れてないし、車は頑丈だし、電子レンジはいつまで経っても壊れないし。
それはそれで良いことなんだけどね、
その「品質を守るためのコスト」が、世間にとって必要十分であるかどうか、確かめることが必要なのかな、とかね。
雑多な居酒屋ではハイボールの濃さに少しギャップがあっても、まぁしょうがないかな、と思っちゃうけど、そんなお店だとしても刺身が古くてお腹を壊しちゃうとダメだし、その辺の線引きをきちんと考えておかないといけないんだよな、とかね。
いつだったかペヤングの工場で虫かなにかが入ってたとかあったけど、まぁ正直虫は高熱殺菌されてるし今イマだと昆虫食って考え方もあるから、実質ありかもしれないけど、買う側としてはそういうところは気になっちゃったりするけどな。
私としては、キャベツの隙間にイモムシがいても、まぁしょうがないかな程度の感覚なんだけど、その価値観は人次第だから、なにが正解かというのが分からなくて難しいなぁ、と考えているうちに1日が終わってしまいます。

うまく言えないけど、1人でぼーっと佇んでたりするとさ、「あー俺、今、孤独だわー」って思ったりするのよね。妙に寂しくなるというか。
めずらしくセンチメンタルなこと言うじゃん。けどそれって、普段、人の温かさに触れているからじゃないの?
え、そういうことなの?!それじゃ寂しさってのは、「誰かに触れたい」と言うことの裏返し?!確かに、お前に触れたいなぁと思ったりするんだよなそういう時。
なんだお前、今日はやけにグイグイ来るじゃんか。よし、飲もう!ちょっと角瓶買いに行こうぜ。
これも価値観によるものなのかもしれません。
ふと周りを見渡すと、気軽に声をかけられる人がいない。
沢山の人はいるのに、私の知り合いではない。
休日、10時くらいにダラダラ起きて、ベランダに出てみると、めっちゃ良いお天気。
なんとなく気分が清々しく感じられ、いろんなことがポジティブに見えてくるのに、この喜びを伝える人がいない。
そういう時に、「自分って孤独だな」と思ったりします。
多分、人間って寂しがり屋なのではないでしょうか。
人が恋しくなる時ってきっと、誰かの声が聞きたい、私の声を誰かに届けたい、というように、触れ合いたいという時なのかな、と思います。

相対的な話です。
孤独だわー、って感じるのは、なにか基準があるからこそ。
その基準というのはきっと、「孤独ではない状態」を現すのだと思います。
それが何かと言うと、他人と関わっている時です。
だから、そもそも、他人と関わることのない人は、「今の自分、孤独だわー」と感じることがないのだと思います。だって、孤独の定義が見えていないのだから。
人の温かさって、時折、めちゃくちゃ欲しくなる時がありますよね。
心が傷ついて、誰かに慰めて欲しい時。
近くに自分の声を届けることができれば、きっとその寂しさは埋められるのかもしれません。けど、なかなかそういうシチュエーションがない人だっています。
ん、というか、人でなくても良いのかなと思ったりしますね。極論に近いですが。
映画 Cast Away では、無人島に流された主人公が、たまたま見つけたバレーボールに「モルテン」という名前を付け、擬人化し、孤独を乗り切るというシーンがありました。

孤独と言うのは、様々な感情を生み出します。それは自分の内面と語り合うから。
大半は妄想かもしれません。ですがそれを客観視することで、今の自分がどんなことを考えているか、見つめなおす良い機会なのだと思います。

Kindle Unlimited でお勧めされたので読みました。
パート暮らしのオバちゃんが、競売に出された一戸建てを買い、そこに住む女とどうのこうのする話。
以下、ネタバレを十分に含むのでご注意ください。

自分の家庭内に様々な問題を抱えていて、このオバちゃんは「戸建てを買えば全て解決する」と考えている。
人間は、現実から逃避し、夢を見て、それを叶えようと必死になることがある。
夢は、現実とは違うのだ。夢に振り回されて現実が疎かになることなんて本末転倒じゃないか。
働かない夫。引きこもりの息子。言うことを聞かない娘。
彼らには彼らの世界があるのだから、一戸建てを買ったからと言って彼らがオバちゃんの期待するような人間になる訳がないだろう。
と、私はオバちゃんに対して否定的な目線で終始読んでいた。
人間は自由だ。
自分で無理して仕事を頑張り、お金を貯めて、夢のマイホームを手に入れる。
立派な夢だと思う。そして人間は自由なのだから、その思いに従って生きるべきだ。
だけどそこに他人を巻き込んではいけないと思うのだ。
もし巻き込むのであれば、実行する前に相談し、同意を得る必要があるのではないだろうか。
彼らにだって言い分があるのだから。
この本に限らず、運命を巻き込んでしまうことがある。
ある父親が無理心中を図り家族を巻き添えにしてしまうニュース。
とても胸が痛む。
https://www3.nhk.or.jp/fukuoka-news/20210227/5010011088.html
父親は家族に対し、何か不安になるようなものを持っていたのだろうか。
それを、家族に相談せず、無理心中を図ったとしたら、この父親は責められるべきだろう、というのが一般的な見方になると思う。
多分父親にも何か思うところがあって、このまま生きていても家族にとって不幸になると思ったのかもしれない。
だとしても、と思う。そこで家族を巻き添えにして、彼らの未来を奪おうとする権利はないはずだ。彼らには暗い未来しか待っていないのだろうか。暗いとは?誰の目線で?
暗いとか明るいというのはひとつの価値観である。仮に金銭面で豊かな人生を歩めないと考えるのであれば、貧乏でも豊かな人生を歩んでいる人たちから学ぶべきだ。お金は資本主義が生んだ魅力的な道具かもしれない。だけどそれはただの道具であって、本来の目的である「人生を豊かに過ごす」というものを達成するためにはお金は必須なのではない。

正直なところ、もうちょっと読んでいたかった。
何人かの人間が出てくるものの、あまり大人数が出てくる物語ではない。
その中で、脇役的なキャラがいくつかいて、彼らが繰り出す物語がきちんと回収されていないのが、ちょっともったいなかった。
伏線は回収されれば良いのだろうか。それは違う。
物語の本筋と関係ないものであれば、打ち捨てられていてもやむを得ない。
今回で言うと、入院してしまった介護先のお婆さん。
私はなんとなく彼女に感情移入してしまい、最期まで見届けたかった。
本筋がだいぶ盛り上がってきたところなので、回収する余裕なんてなかったのだろうけど。

第二次世界大戦中、少女時代だった女性の話。彼女は疎開中に出会った(と思われる)女性と人生を共にし、いろいろなものに執着しつつも、自分の人生を見つめ直して過ごしていく。
角田光代の小説をKindle Unlimited で見つけてしまったので、取得してから没頭するかの勢いで読んでしまいました。
過去は変えられないという言葉を何度かこのブログでも書いています。
もうすでに過ぎてしまったことだから。
だけど、よく考えたら、「過去」という事実は変えられないけど、「過去に対する考え方」だったら変えることができるよね。

この主人公は、自分の人生はあまり恵まれていなかったと考えていて、それがベースとなって被害妄想癖を持っているように感じました。
自分に親切にしてくれる人や、娘、息子、夫というとても近い存在の人間に対してまで、信じられないところを持っていました。
それはなぜか。
その辺りを、ずっと考えながら読んでいました。
疎開先ではお世辞にも恵まれた生活とは言えず、自分の理想とはだいぶかけ離れた境遇で、少女時代を過ごしていたこと。そこから、元の家に戻ってからも兄弟間で諍いを起こしてしまうこと。風美子という存在。全て、彼女自身で意見を持つことなく、周りに任せてきたことが裏目に出て、自分で決めなかったことを全部他人のせいにしてきたのかな、という点。
この辺りは他人事とは思えず、読んでいて胸が痛くなる場面が何度もありました。
妄想が悪化すると人を疑うようになることがありますよね。
SNSをやっていれば、他人からの評価が気になる。私は誰からも好かれていないのではないか。
会社でも。家族間でも。
疑いだすとキリがないですね。そして妄想は脳内で強い刺激となり、それを快感と勘違いしてしまうそうなんです。
だから、人間は妄想してしまうのだとか。

それは、意識的にリセットする必要があるんですね。妄想ばっかりしていると、疲れてしまうので。
私は、リセットする方法としては、人を信じることを意識的にやっています。
あとは、妄想していると気づいた時には、違うことを考えるようにして、その妄想から逃げるようにしています。
そうしないと、いつまで経ってもそのことばかり考えてしまうからです。
この主人公も、そういうところがあるように思いました。過去への執着、人への執着。それは妄想なので、いくら考えても答えは出ず、疲れるばかりです。何か違うことをしてみたら良かったのかもな。
いやぁ、それにしても角田光代さん、これは2013年頃の作品だそうですが、相変わらずエグいの描くなぁと思いました。
ちょっと心が痛むので、もう読みたくないです。
言葉を使った表現にさすがだな、と思わせるところが多々あったので星4つです。