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  • 今日がいつもと同じ1日だったとしても

    今日がいつもと同じ1日だったとしても

    さっき風呂に入ってて、ぼんやりと、「今日も何もない、ただの平凡な日だったな」、と思った。それでもまぁ判を押したような生活よりは少しはみ出すような出来事はあったけれども、メガネを外してぼんやりと今日の出来事を俯瞰してみると、まぁ、判を押してるよな、と。

    今日を一日、平凡に過ごしただけの私、これは失敗なのだろうか。
    悲観的に物事を考えていた頃の私だったら、「今日は何も生み出さなかった」と考え、少しの間落ち込むかもしれない。八年くらい前はこんな感じに思考プロセスだったよなきっと。今思い出すと、結構な頻度で毎日のように凹んでいたように思う。
    だけど今は違う。
    今の私は、ちょっと待てよ、というスタンスを取ることができるようになった。成長を感じる。
    そんな私は、風呂を出て、カミソリ負けをして血が滲んでいた顎にクリームを塗りながら、思考の続きを試みた。

    そもそも、人生の大半って今日みたいな、判を押したような生活なんだよな。
    それをドラマチックな日ではなかったからと言って、卑下することはないだろう。
    毎日、キラキラしている人生なんて、ゾッとする。
    キラキラだとか、平凡だとか、そんなのどっちだって良いこと。そもそも、人生に成功か失敗かなんて、ないんだから。

    では、今日はいい1日だったな、って思うのはどういうことなんだろう。少し考えてみる。そこで思いついたのは、身体的、精神的な部分が、昨日と比べて、弱まったりしていないこと、だった。
    つまり今日始まりの時点と、今、寝る前の時点で、自分というもののサイズが小さくならず、いつもの形で今日を終えることなのではないだろうかね。
    それって実は難しくて、ちょっとしたこと凹んだり、つまづいたり転んだりして膝を怪我したり、今日起きた時と比べてマイナスになることが多い。それも、死ぬこと以外はかすり傷という言葉に従えば、決してマイナスということではないんだろうな。

  • 距離が倍になっただけの日

    距離が倍になっただけの日

    昨日に引き続き、今日もランニングできた。
    今日は3km。昨日は1.5kmだったので、単純に二倍になった。
    ペースは相変わらずゆっくりめ、キロ6分35秒で、息は乱れず。
    天気は今日も良好だけど、昨日と比べると風が少しあった。
    今日は家族で柏の葉公園へ行ったので、そこで3km走った。
    公園には家族連れがたくさんいた。走ってる人もちらほら見かけた。
    正月だからと言って家でのんびり、という人もいるだろうけど、こういう天気の良い日だからこそ外で身体を動かす、という人を多く見かけた気がする。
    多分それは思い過ごしで、自宅でお酒でも飲みながらぼんやりとテレビを観てすごす、という人のほうが本当は多いのだろう。

    なんとなく、昨日と比べると走れる距離が倍になっただけという感覚は、私の中では奇跡とは決して思えない。
    多分、走れていた頃を身体が思い出し、それに乗って走っただけな気がするから。
    まぁ、3kmくらいなら走れるよね、という感覚をシンプルに保っているだけ。

    いつかまた、10kmとか20kmを走れるようになるんだろう。
    地道に続けることが肝要という気分を大切にしていきたい。
    そして、距離は関係なく「今日も走れた」という気持ちを持ち続けていきたい。
    今日は3km。それで十分だった。

  • SRV250 ルネッサ インテークマニホールドを交換しました

    前回の記事で、アイドリングが恐ろしく不調、信号待ちでエンストしてしまうと書きました。その後、致命的と名高いインテークマニホールド(インマニ)が案の定ヒビが入っており、ここを交換したらよくなるのでは?!と思い立ち、楽天で非正規品を買って交換しました。

    数年後にまた交換する羽目になるんでしょうけど、とりあえずその時のための備忘録を記録しておきます。

    • シートを外す
    • タンクを外す、この時ガソリンがダダ漏れするのでクランプか、工具を差し込んでおく
    • ガソリンコックを外す
    • ポンプを外す、ガソリンコック含め、ホースがどこからどこへ向かってるのかちゃんと確認しておく
    • インテークマニホールドを外す、必要なのは六角レンチとプラスのドライバー
    • インテークマニホールドはフロントとリアで形が違うので、インテークマニホールド本体に書いてあるFとRで区別する

    写真など。何かの参考になれば幸いです。私はタンクを外す時にガソリンがたくさん出てしまうのでここうまくやれるようになりたいなぁ。クランプをきちんとすれば大丈夫なんだろうなぁ。

    ちなみに、1月頃Y○Pに持ってった時にこれ指摘されて、修理、相当かかりますよって言われてびびったんですがこれ、1時間くらいで交換できたし、特別な工具いらないし、何より楽しいのでこのくらいだったら自分でやれちゃうなぁと思いました。

    試運転してきちんと走れたからとにかく嬉しいです。一生乗るからなと改めて思いました。

    新旧比較
    フロント側。中は大丈夫そうに見えるんだけどなぁ
    リア側。こちらも中は穴が空いてなさそうでしたが、ホースを挿すところがちょっと傷が付いているように見えなくもない。
    交換したお古のほう。見事にヒビが入ってますね
  • # 簡単サコッシュキットで予定よりも大きなバッグを作りました むしろショルダーバッグ的な

    # 簡単サコッシュキットで予定よりも大きなバッグを作りました むしろショルダーバッグ的な

    例によって時間があるところで、別件で訪れたサンキ。若者に大人気のお店と言われて久しいですが、なんとなく手芸エリアを物色していたところ、、

    見つけてしまいました。

    これ!これ作るしかない!という佇まいです。

    そして値段は、驚きの500円(税別)。

    帆布だし、いい感じの色だし、即買いしてしまいました。

    が、よく考えたらうちってミシンないんですよね。

    手縫いするしかないか、、と腹を括り、チクチクと格闘して作り上げました。

    トータル8時間くらいでしょうか。

    一番大変だったのはやっぱり帆布に針を刺すところで、すげー痛かったです、ので指ぬき必須ですね。

    指ぬきはバッグが完成する頃にはボロボロになってしまいました。。無念。

    さて、出来上がったバッグですが、13インチのノートパソコンが入る仕様となっております。

    また、外側に付いてるポケットには、片方にはiPad mini、そしてもう片方にはiPhone 16eがジャストサイズでハマります。

    説明書にあったサイズはやっぱりサコッシュというべきサイズだったので、つまり説明書からはかなり逸脱して作り上げた形となります。

    そういう意味で、世界に一つだけのバッグです。

    いい暇つぶしになりました。

  • コミュニケーションのために使う労力を惜しまないか、その逆か

    コミュニケーションのために使う労力を惜しまないか、その逆か

    これは私の場合に限るのかもしれませんが、頑張ればコミュニケーションをきちんと取ることができて、つっても年相応の、45歳の普通の社会人って感じの程度ではあるのですが。

    だけど、そんな風にコミュニケーションをたくさん取った時、例えば会社の社員交流会みたいな、いわゆる飲み会みたいな場を経て、帰宅したらどっと疲れを感じることが多いです。

    シンプルに、コミュニケーションを頑張って取った証な気がしていて、例えば、コミュニケーションの強者みたいな人って、疲れたりしないのかな、と思いました。

    コミュニケーションは疲れる?

    本来、人が構成する社会生活って、コミュニケーションがあってしかるものだから、そこに払うコストってしょうがない、払わなきゃいけないような気がするんですけど、そもそも、コミュニケーションって疲れるものなんですかね?

    生きていくには必要なコストって今言ったばかりですが、果たしてそれは本当なのかと。

    というよりも、コミュニケーションって、頭を使う?のかもしれないですが、どういう時に頭を使うんでしょうか。

    • 雑談をする時、(いい意味で)適当な話題を探す時
    • 雑談をする時、相手が気持ちよく話せるように相槌を打つ時
    • 仕事をする時、みんなで課題に向かって解決策を練る時に、いい感じのアイデアを出す時

    いや、3番目のやつは厳密にはコミュニケーションのためのコストではないか。

    どちらかというと問題解決のためのアイデアを考える時ですね。

    私の場合、私はどちらかというと聞く方に回りがちなので、その時の相槌の打ち方、話を引き伸ばしたほうが良いのか、終わり二持っていくべきなのかみたいな時に、結構頭を使っているような気がします。

    疲れるけど、それが必要なコストかどうか

    ぐだぐだと書いてしまいましたが、肝心なのって、自分にとって、それが必要かそうではないか、という価値観なのかもしれません。

    不要だわ、そのために消費するカロリーがもったいない、という人はだんだんコミュニケーションの頻度を下げていき、最終的には殻に閉じこもってしまうのでしょう。

    私は、私の中での最上の理想はそっちがわなんですけど、それだと生きていくために得る必要のあるお金を手に入れることができなくなってしまうので、「頑張って必要と感じているコスト」と思っているような気がします。

    生きていくには社会生活に溶け込む必要があって、それには必要なコミュニケーションを取って、そうやって自分をすり減らして生きていくことになるわけですが、一方で、やっていくと慣れていくってこともありますよね。

    慣れてくるとコストが下がっていくので、気にするほどでもないレベルまでコストが下がっていけば、それはコミュニケーション強者ということになるのでしょう。

    これって難しいですよね。十人十色の考え方の中で、相手はどんな人かっていうのを見極め、今までの経験の中から同じタイプを思い出し、その引き出しを開け、そこから出てくる「雑談の作り方」や「相槌の打ち方」みたいな素材を、相手に合わせて出していく必要があるんです。

    慣れていけば、その引き出しがどこにあるかを瞬時に見つけることができるから、探す手間とか、そういうコストは最小限になるのでしょう。

    コミュニケーションを多く取っていく人は、どんどん強くなっていく

    コミュニケーションを取っていけば、相手がある程度の種類に分かれていくワケで、上述のいわゆる引き出しがどんどん増えていくんですよね。

    それは相乗効果で、ロジカルに考えるとこんな感じかな。

    1. 会話を開始する
    2. 相手を見極める
    3. 新しいタイプ?
      1. 新しいタイプを受け入れる
      2. 引き出しが増える
    4. 既存のタイプ?
      1. 過去の引き出しの中を見に行く
      2. その人に合った素材を出し、会話に合わせていく
    5. 次のターンへ

    こうして、コミュニケーションを多く取っていく人は、どんどん引き出しが増えていくんですよね。

    タモリさんなんてのは何十年も色んな人とテレホンショッキングをしてきた人なので、ものすごく膨大な引き出しを持っているのでしょう。

    どっちがいいとか、そういう話ではないので、自分に合ったペースで、コミュニケーションの幅を増やしていくと良いのでしょう。

    生きていくのって難しいです。

  • SRV250 ルネッサ バッテリーを変えてみたらアイドリングが安定したっぽい

    SRV250 ルネッサ バッテリーを変えてみたらアイドリングが安定したっぽい

    前回までの記事はこちらです。

    SRV250ルネッサ 復活に向けての進捗

    先日、日頃からお世話になっている 4DN wikiと、2chの過去ログを読み漁ってみたら、「アイドリングが安定せず、エンストしてしまう」というのは、バッテリーがヘタっていて電圧が足りてないから、スパークプラグから火花が飛ばないことがあるとか。

    これを読み、私の頭に電球の光が灯りました。

    それまで私が使っていたバッテリーは、購入時に入っていたものを充電して使っていたのです。

    なので、先日買ってあったバッテリーを満充電して、先程、小雨の降りしきる中、バッテリーを付けてみました。

    すると!アイドリングが安定するではないですか!

    驚きました。

    だけど、合点が行ったのも事実で。

    前回までのブログで書いた通り、走り出して1kmくらいしたところでエンストするんですよね。

    それって、よく考えると、セル始動する時は、ヘタったバッテリーなりに頑張って火花を散らして、そして走り出しのところまではできる限り頑張って来たんだと思うんです。

    だけど1kmくらい走ったところで電圧が降下し、とうとう火花を散らすまでには至らなくなってしまったのではないか。いや、おそらくそうだろうということ。

    今日は小雨が降る天候なので、近くを走るのは諦めましたが、それでも、次回のライドに期待が持てる状況となりました。

    次になにをしよう

    いったん、バイクが安定して走れるようになるまではいくつかタスクが必要だよな、という観点で考えると、これで十分に乗れるのかもしれないですが、まだやることとして

    オイル交換

    が残っています。

    ここにも難関が。というのも、ドレンボルトを開けるための工具がないんです。

    インターネットを調べる限り、どうやら19mmっぽいのですが、ルネッサのドレンボルトの位置はフレームが邪魔しており、いい感じにレンチがハマらないということで。

    写真撮ってくればよかった。今度載せます。

    また、どうやら19mmっぽい と上述しましたが、本当に19mmなのか怪しいのです。18mmかもしれないし、20mmかもしれない。モンキーレンチを物差し代わりにして測ってみた時には、どうやら19mmっぽいぞ、という感じ。

    ここで散在するのもアレだしなー、とか、

    いっそのことソケットレンチのセットを買っちゃう?!とか、

    だけどダイソーで買ったソケットレンチセットあるから、それの工具と組み合わせて使えたらいいから19mmのだけがあればいいんじゃないかなぁとか、

    そんなことを考えています。

    貧乏性、というヤツにちょっと近いのかもしれないですが、ダイソーで買ったソケットレンチ、今はもう売られていないようなんですが、500円の割に、ルネッサのバッテリー交換くらいなら楽勝で対応できたヤツなんです。

    ラチェットのとこ、差し込み 6.5mm (1/2)っぽいから、それに合うソケットレンチで19mmのやつを買えれば良いのかなぁ、それが一番お金のかからないやり方っぽいですね。

    ソケットレンチセット、現段階で一番安いセット、楽天で探してみたらこれっぽいですね。これ買っちゃうー?いやいやー、ダイソーのやつあんじゃん、というところでせめぎ合っています。


  • 読書感想文 モモ ★★★★★

    読書感想文 モモ ★★★★★

    完全にナメてました。

    名作とは言え児童書だろ、しかもかなり前に出たやつだし、くらいの感じで。

    読んだきっかけ

    Xを通じて知り合った方が、ご自身を作り上げた本の中にこれを挙げていて、おいおいマジかよ、と思ったのがきっかけです。私はその方を信頼していて、そこまで言うなら、と図書館で借りたという経緯になります。

    私が住む自治体の図書館ではこれを児童書コーナーではなく、ヤングアダルトコーナーに置いていたので、探すのに少し苦労しました。借りた時は宝物を見つけたかのような気分。

    だけど分厚い。ものすごく分厚い。同時に、他に何冊も借りていたので2週間以内に読み切れるんだろうか、もしかしたらモモだけ読んで残り全部を返す羽目になるのではないか、と思いました。

    だけどそんなことは杞憂でした。

    帰宅してすぐに読み始めたところ、これがまためちゃめちゃ面白い。子供向けでもあるのでひらがなが多め、だから本が分厚いということなのかもしれません。

    この作者が上手いのか、訳者が上手いのか、もしくは両方とも上手いに違いないのですが、ストーリーへの緩急の付け方がとても上手いのです。

    そして物語を盛り上げていくところに対する書き方。

    灰色の、なんかよく分からない軍団が、だんだんとモモに近づいてくるところの描写が素晴らしく、話の展開が気になって仕方ありませんでした。

    主人公モモ

    モモという女の子が主人公なのですが、表紙に彼女の外見が描かれています。

    あえて彼女の顔を描かないところに、読者の想像力を掻き立てる工夫がなされています。

    おかげで、どんな顔をしているんだろう、これイタリアとかギリシャとか、そういうところだから、そういうところにいるような女の子なんだろう、みたいな想像をしました。

    モモは不思議な魅力を兼ね備えていて、会話をしていると、その相手がだんだん気持ち良くなってくる、とのこと。

    今の時代の言葉で言うなら、聞き上手ということになるのかな。

    なんでそんなふうに上手に、人の話を聞けるんだろう。

    モモに限らず、聞き上手な人は相槌の質が高いことが多いですね。

    相槌の質って本を読んでもなかなか上達するのが難しくて、というのも会話をしながら、どんな相槌を打ったら相手が気持ちよく喋れるんだろうか、って考えながら聞かないといけなくて、それには話を聞くと言うことと、相槌をどう打つか考えるという両面で物事を考えながら聞かないといけないからです。

    それは天性とも言える素質なのかなー、と思います。両方を頭の中で動かしながらってなかなか簡単にはいかないから。

    物語で心に残ったセリフなど

    モモはまるで、はかり知れないほどの宝のつまったほら穴に閉じ込められているような気がしました。しかもその財宝はどんどんふえつづけ、いまにも息ができなくりなそうなのです。出口はありません。だれも助けに入ってくることができず、じぶんが中にいることを外に知らせるすべはありません。それほど深く、彼女は時間の山にうずもれてしまったのです。
    284ページ

    時間が、無限にのしかかってくる感覚。

    それを”財宝”と表現することで、作者の価値観を読者の心に植え付けているなぁと思いました。

    時間って、財宝なんでしょうか。あんまそんなイメージを持っていなかったので驚きました。

    けど、「自由な」という意味を付け加えることでより一層、作者の気持ちを汲み取ることができるなー、と。

    自由な時間。これは悪い意味で言うと、退屈でしょうか。

    何もすることがなくて暇を持て余している感覚。モモが、石段に座り、かつての友人たちを待つ間、彼女もまた、退屈と感じていたのかも知れません。

    今、私は家族で過ごす自由のために、自分の時間を会社、社会に提供し、その対価としてお金をもらっています。そのお金を使って「やりたいことをやる」という意味での、自由を手にいれることができます。時折、仕事によって気持ちが打ちひしがれてしまい、家族で過ごすはずだった自由な時間を楽しむことができないことがあります。

    それって、ものすごく残念なことです。

    ゆとりが楽しみを海、それによって対価を得るための活力を得るという循環が、どんなに貴重で、どんなに難しいことか。

    今の私は、その、ゆとりを感じながら生きているのだろうか、と本を読みながら感じていました。

    時間を、財宝と捉えるべきことに、私は違和感を抱いていないだろうか。

    自由を十分に謳歌できているだろうか。

    灰色の男たちに惑わされ、自由を疎かにし、財宝を見失って生きてはいないだろうか。自問が尽きません。

    きちんと考えるべき問題、人間が忘れてはいけない、とても大切で大きな問題だと思います。

    ふつうの場所では、時間はおまえの中に入っていく。それでおまえの中には時間がどんどんたまっていき、そのためにおまえは年をとっていく。

    315ページ

    時間が自分の中に入っていく、という感覚。

    原文は分からないのですが、これを訳した人の才能たるや。

    時間がまるで液体のように身体の中にたまっていき、それを栄養にして年をとっていく、とはすごい発想です。

    今までそう考えたことはなかったけれど、これからはそのように、時間を飲み込んで生きていくんだな、って考えていくことになる気がします。

    だけどもし、時間が栄養になるんだとしたら、きちんとした栄養として身体に取り入れたいものです。

    良い時間は例えば、貴重な体験とか、ゆとりのある時間から得られるでしょうから、例えば子供たちとすごす時間とか、大好きな趣味とか、睡眠とか、なるべく怠惰なことではなく、きちんとした時間を過ごしていきたいなと思いました。

    この物語のように、時間をもとに戻すことはできないので、過去を振り返ってもそれが糧になるとは限らないため、たまに参考にする程度で、日々、良い選択をしていきたいです。

    うーん、違うかな。

    過去、自分を肯定するために、自分が判断した選択は全て正しかった、と考えて生きるべきなのかもしれません。

    そんなことで後悔したってしょうがないから。

    はじめのうちは気のつかないていどだが、ある日きゅうに、何もする気がなくなってしまう。何についても関心が持てなくなり、なにをしてもおもしろくない。
    だがこの無気力はそのうちに消えるどころか、すこしずつはげしくなっていく。日ごとに、週ごとに、ひどくなるのだ。
    気分はますますゆううつになり、心の中はますますからっぽになり、自分に対しても、世の中にたいしても、不満がつのってくる。そのうちに、こういう感情さえもなくなって、およそなにも感じなくなってしまう。なにもかも灰色で、どうでもよくなり、世の中はすっかり遠のいてしまって、自分とはなんのかかわりもないと思えてくる。怒ることもなければ、感激することもなく、よろこぶことも悲しむこともできなくなり、笑うこともなくこともわすれてしまう。そうなると心の中はひえきって、もう人も物もいっさい愛することができない。ここまでくると、もう病気は治る見込みはない。あとにもどることはできないのだよ。うつろな灰色をしてせかせか動き回るばかりで、灰色の男とそっくりになってしまう。
    そうだよ、こうなったらもう灰色の男そのものだよ。この病気の名前はね、致死的退屈症というのだ。
    321ページ

    長い引用となります。

    生身の人間が、だんだんと灰色の男になっていく描写。余裕をなくし、何かに縛られてせかせかと働く人間の様を表しているように見えます。

    こうはなりたくないと思っていても、いざこの状況になってみると周りが見えなくなり、だんだん灰色になっていくんだろうなぁ。

    時間を節約して、効率的に生きることを否定するつもりはありません。

    私も、ライフハックとか、時短術と呼ばれる類の話はむしろ好きな方です。

    だけど、そればかり優先して大切な余裕とか、ゆとりとか、そういうのを見失ってしまっては人生が台無しになってしまうのではないでしょうか。

    人のフリ見て、というわけではないけれど、自分はワーカホリックなところがあるので、定期的にこのことを思い出して、自分を俯瞰して見つめ直す必要がありそうです。

    家族と過ごす時間とかもきっと、こういうことの役に立つ気がしますけどね。

    そういえば最近、子供と遊んでいない気がするなぁ。

    このままでいいんだろうか。

  • 9月2日 やる後悔とやらない後悔

    9月2日 やる後悔とやらない後悔

    人間最大の敵は「めんどくさい」と思うこと。
    なぜ、人間はめんどくさいと思ってしまうのでしょうか。
    気分が乗らない時、なんとなく体を動かすのが億劫な時などに、めんどくさいと言い訳をして物事を手に持つのをやめてしまう。
    それでいったい、どれくらいの時間を無駄にしたんだろう。

    やる後悔とやらない後悔では、後者の方が後悔の度合いが高いという話をよく耳にします。個人的にはどっちも同じくらいの度合いの強さな気がしています。
    やる、方は自分から動くということ。その先に、失敗があるとも知らずに、自分の持ちうるパワーを発揮して物事を成功へと導くべく力を注ぎます。
    一方、やらない、方は動かないという選択肢を選んだ場合のこと。動くことで失敗が見えていると予測し、だったら動くのをやめよう、と考えて結果を待つ時にはこっちですね。
    また、ここには「めんどくさい」という考えも含まれていたりして、要はダルいから動くのやめよっと、ということになるのかと思います。

    さて、やる後悔とやらない後悔では、私はどっちも同じくらい後悔の度合いがあるんじゃないかと前述しましたが、それは、やる後悔の方って自分でエネルギーやお金を使って行動を起こしたという点を考慮すべきだと思うからです。
    エネルギーとか、お金が無駄になっちゃうので、それを回復させるために時間が必要だったりします。だから、やる後悔の後に、それを回復させるための時間を考慮すべきなのではないでしょうか。
    逆に、やらない後悔の方、それはマイナス点として「行動しなかったことで経験が積み上がらない」という点に注目しているような気がします。
    そりゃ、できることならいろんなことを経験して成長していくべきでしょう。
    だけどそれは意識の高い人がやるべきで、私みたいにあんまそういうところに着目していない人にとってはやらなかったことで減らなかったエネルギーやお金を、違うことに回せることだってできるのでしょう。

    最近の私の事情でいうと、会社の同僚から山登りに誘われていて、確かに数年前から山を登ってみたいと思っていたところだったのですが、それにはデカいリュックや、小さくなるテント、トレッキングシューズなど、様々なギアを買わないといけないのです。同僚曰く、トータル10万円くらいかな、ということでしたが、それを買ってしまうと私は山登りを趣味にしなくてはいけなくなります。また、うちはマンションなのでそういうものをしまっておくスペースのことを考え、計画的に進めていかなければいけません。
    そういうところから、結局はそのお誘いを断ってしまいました。
    本当は行きたかった。だけどそれの代償になるものがちょっとある、という瀬戸際で、私はやらない方を選択したのです。この選択がどんな後悔につながってくるかは未知数ですが、生暖かく見守っていきたいと思います。

  • 7/2 コロナ罹患4日目

    金曜に発熱して今日で4日目。仕事を在宅で再開し、フルタイムで働くことができた。もう頭痛もないし、下痢も落ち着いたので、完治といっても良いと思う。

    健康ってほんと大事だねぇー、と病気になって改めて思う。まだメンタル的なやつは相変わらずだけど、それを差し引いても健康な身体というのはなによりも貴重だわ。死ぬまで、きちんと全うして生きていけたらいいなと思う。

    とか言いながらお酒飲むし、タバコも吸うから、自ら健康を害しにいってるようなものですけどもね。トレードオフ、と思っちゃってる時点でそれらをやめようという気がしないんだろうなと思う。

  • 10月2日 iPhone SE第2世代で、iOS17にアップグレードしたその後

    10月2日 iPhone SE第2世代で、iOS17にアップグレードしたその後

    バックアップを取らずにiPhone SE 第2世代をiOS 17にアップグレードした途端に動作が鈍くなった件、続報となります。

    前回の日記では、バックアップを取り、ダメ元でiPhoneを工場出荷状態に戻すとどうなるか、試してみます、で止まったところでした。

    今回はその後にどうなったかを書いてみたいと思います。

    工場出荷状態に戻す前にやったこと

    • バックアップを取った
    • LINEのトークをバックアップした(工場出荷状態にした後、何らかの理由でバックアップから復元することができなかった場合に備え、念のためやっておきました)

    工場出荷状態にする方法

    1. iPhoneの設定メニュー → 一般 → 転送またはiPhoneをリセット → 全てのコンテンツと設定を消去
    2. 待つ(15分くらいかかった)

    結果、どうなったか

    • iOSがダウングレードされてたら嬉しいなぁーと思ったのですが、残念ながらされてませんでした。iOS 17.0.2のまま。
    • ええい、しょうがない、と思いいくつかアプリをダウンロードして、ざっくりとした使用感を確かめてみたところ、工場出荷状態に戻す前と比較して体感的に速い動作が得られました。
    • しばらく使ってみたのですが、大丈夫そうだな、と思い、このまま使ってみたいと思ってます。

    私はそこまでiPhoneというかスマホに依存していない(気がする)ため、工場出荷状態という、いわば「まっさらな状態」に戻ったところであまり苦労することはありませんでした。
    それよりも、不要だなーいつか捨てよう、と思ってたアプリを一掃できたので、個人的にはスッキリした気分になりました。
    いろんなアプリをインストールしておくと、iPhone自体は重たくなるということだけでなく、気持ち的にも「もっさりした気分」になってしまうのかなーと思ったり。
    iPhoneの中身を断捨離するっていうの、定期的に必要かもしれませんね。

    ちなみに、工場出荷状態にした後にインストールしたアプリはだいたい30個くらいです。
    これら、プラスiPhoneに最初から入っているアプリで、だいたいのことに対応できるんだなーと思ったり。