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  • 6月8日

    ふとApple Watch の睡眠アプリが目に留まり、おざなりながらも睡眠についてきちんと前向きに考えるようになった。

    昨今、これは加齢ということもあるんだろうけどとにかく眠りが浅くて、どんなに頑張って寝たとしても2時3時くらいには目が覚めてしまい、その度に「なんでぐっすり眠り続けられないんだろう」と悔やんだりしてるんだけど、それよりもまず睡眠時間を毎日同じ時間に取れるように、生活習慣を変えてこうぜとか、そんなことを急に気にするようになったんだよね。

    今日で3日目。毎日23時30分には眠るようにしてる。寝る30分前、つまり23時には液晶ディスプレイは見ないようにして、そうすると途端にやることがなくなってしまうんだけど、ストレッチをしたり、ほぼ日手帳に日記を書いたりして、ぼんやりとした時間を過ごしている。

    あと、お酒を控えめにしたり、とか。つっても禁酒するのは流石にアレなので、毎日350mlとか500mlのチューハイ(基本7%)のを1本飲むくらいにとどめたりして。

    多分こういうのって生活習慣を変えたからって途端に身体が健康になるってわけではなくて、日々同じように繰り返していくことで健康になっていくんだろうなと思うので、すくなくともこういうのを続ける必要があると思うんだけど、

    人生に諦観を持っている人とは違う考え方だよなこれ、別人だろ、って冷めた目で見る自分もいたりして。
    健康になろうとして、どうすんだよ、と。

    あぁ。精神が分裂してる。

  • 5月22日

    ここ数日、ブログをサボっていて、それは仕事が忙しいからだとか、週末のソロキャンに向けて頭がいっぱいだったからとかいくつか理由は浮かぶんだけど、シンプルに言うと「投稿するのを忘れていた」と言うことが一番適切な気がしてて、

    このブログに何かテキストを投稿すると言うこと自体の優先度が少し下がった、そして上に浮上してきた他の物事に集中するための時間が必要になったと言うことが、私の人生にとって必要かどうかというのは、今イマの段階だとあんま良くわかっていない。

    多分、こういう日記を日々続けていくことは、後になってわかってくるんだろうなぁと思ったりする。

    それは多分、たくさんの分量を書いたことによって私の文章力(という言い方が正確かわからない)が上がるということにつながるのだから、私がそこを重要視しているのであれば、

    つーか文章が長い。

    もっと簡潔に、文章を書き上げる能力とか。

    自分の習慣について

    私の習慣を変えてみることで、人生の見え方が変わってくるかもしれないということ。
    私の中でどんな習慣が根付いているのだろう。

    習慣を変えると、人生が好転するみたいな本のタイトルをさっき見て、その本のことをちょっと考えてみたんだけど(中は読んでいない)、

    まず、前提として「自分の人生が明るくない」と考えている人が手に取るんだな、と。

    そう言う人は、だいたい、今自分の置かれている境遇があまり良いものではないと考えている、ような気がする。

    そして、自分ができることだったら、奨んでやってみたい、はず。

    私も、実は同じように考えがちの人間だと思う。自分の人生、明るくないよな、と。
    多分それって「明るいもの」という理想があり、その一方で自分の人生はそれに近くないところを歩んでいるんだろうなと。

    まず、考え方を変えるべきなんだと思う。それが自分の習慣と呼べるものの一つなのでは。

    自分の人生は、意外と暗くないんだよ、という点。
    今、自分の置かれている境遇、案外恵まれていません?と思ったりしないだろうか。

  • 5月15日

    22時すぎに就寝し、4時に目覚めるくらいが私にはちょうど良い気がしていて
    その時間感覚で自然に目が覚めるととても健やかな気分になるね。
    これが老化の一環なのかどうかはわからないけど、ハイボールを4杯くらい飲んだ日は
    眠りが浅いような気がする。

    そりゃそうよね、熟睡じゃなくて昏睡なんでしょ

    覚醒直前に面白い夢を見た気がする、けど思い出せなくて悔しい

    忘れていいような記憶もあるし、忘れなきゃいけない記憶もあるんだけど、
    一方で忘れたくない記憶、忘れてしまって思い出せない記憶もあるよなぁ

    遠い昔の記憶で、絶対に忘れられない理由は、それを何度も思い出すからってどっかで見たことがあるんだけど、そういう意味で、忘れたくない記憶は、何度も思い出せば良いということになるよね。ホントにそうかな

    走りに行きたいんだけど、これから雨が降るらしくて、それのせいで二の足を踏んでいる

  • 5月10日

    今日も没頭した1日だったなぁ。
    カロリーを使ったせいで、夕方にはすでに頭がぼーっとしてしまった。
    朝ご飯とか、お昼とか、ちゃんと食べたんだけど、主に集中力が8時間持たない感覚。

    今日も快晴だった。家の中で仕事をしているのがとても残念。
    ベランダに椅子を持ち出して、そこで仕事しても良かったなぁと今更ながらに感じる。
    仕事してる部屋は寒いので、こういう時に外の暖かさがとても羨ましい。

    自分を許すということ。

    今日も朝ランできなかった。5時に目が覚めたのに。
    5時に目が覚めてすぐ走れるように、ランニングウェアを着て寝たというのに、それでもダメだった。
    そういうことじゃないんだろうな多分。

    これはもう太るしかないのか。
    そもそも走ろうと思った切っ掛けは、痩せたいという気持ちだったから。
    それが今じゃ標準体重をちょっと下回る程度に落ち着いていて、太る兆しがないし、なのでそれをモチベーションにするのは今更違うんだよなぁ。

    つって、きっと明日も走らないんだろうなと。いいんだ別に。

  • 障子の向こうが見たかったおじいさんのこと

    障子の向こうが見たかったおじいさんのこと

    先日Twitter断ちをした時に、彼と同じ心境なのかもな、と思う瞬間があった。
    何度か。
    彼は「絶対に見ちゃダメですよ」という忠告を無視し、障子を開けてしまった。
    そしてその障子の向こうにいた鶴はそれに憤慨し、飛び立ってしまう。

    お爺さんはなぜ、我慢できなかったのだろう。
    人間はなぜ、「やっちゃダメですよ」と制限をかけられたものに対して、強い興味を示してしまうのだろう。

    先週、Twitter断ちをした時に、何度も何度も、TwitterのTLを閲覧したいという思いに駆られた。
    フォローしている人のツイートに、それほどまでの魅力があったのだろうか。
    自分の日常を誰かのシェアすることに、それほどまでの魅力があったのだろうか。
    なぜそこまでの魅力を感じるのか。禁断症状とまではいかないけれど、一日に一回以上はTwitterのことを考えた。

    多分、いくらか誇張している部分があるように思う。
    正直なところ、私が、暇だったのだ。
    Twitter以外に時間を潰す方法は、思いに耽ることか、本を読むことくらいしかなく、それにはどちらも気力を使うので、なるべく気力を使わない方法ということで、Twitterという選択肢がとても魅力的だったのだ。
    だから、多分、それに代替できる楽しみを見つけることができたら、自然とTwitterから離れていくのではないかと思う。今のところは全く思いつかないけれど。

    考えたいことがたくさんあって困る。
    お爺さんはなぜ、その忠告を守れなかったのか。
    お爺さんは多分、障子の向こうで何かしているのだけれど、それがなんなのかものすごく気になったのだろう。気になるということは、魅力を感じるということだ。忠告を破るほどの魅力とは。ここが私が持つ想像力の限界である。

    次に私が考えたかったのは、Twitterとの付き合い方。
    多分、私はゼロかイチに決めつけたがる性格なのだろう。
    その間にある、0.5でTwitterと付き合っていきたい。ほどほどに。