タグ: やる気

  • 8月21日 自分で自分に毒付いていても、何も解決しないぞ

    8月21日 自分で自分に毒付いていても、何も解決しないぞ

    やる気が出るのを期待しても、何にも出てこない。
    やる気なんてものは幻想だ、みたいな文章を最近どっかで目にすることがあった。

    特に今日みたいな週明けの月曜日なんて、やる気が出ないからなかなかスイッチが入らない。
    このネタ、何回も書いてるなー。それこそ毎週月曜日に書いているような気がしてならない。
    いや、きっと書いてる。ってそれくらい、月曜日に出すべきやる気が見つからずに困ってる。

    創造的な仕事なのかもしれない。きっとそうだ。
    誰かから仕事を与えられるのではなく、自分で見つけるスタイルで生きているのだから。
    右から左に受け流す仕事だったら、頭を使わなくて良いから楽かもな、と思う一方、その人にはその人なりに考えることだってあるだろうから、私の価値観で語るのは良くないと思う。

    そもそも、やる気を出す必要があるんだろうか

    別に出す必要なんてないんだよな。やる気なんて幻想だし。
    やる気を出して、情熱的に、ひたむきにやらなければいけない仕事っていうのは、ハードルが高い時に出てくる証拠なんだよな。
    だから、やる気を出さなくても階段を昇れるように、段差を低く作れば良いんでしょ。
    よーし!やるぞ!ではなく、そういう気分にならなくとも、仕事が進んでいくような。

    ちょっと前まで、何も生産できない日があったら、ものすごく落ち込んでいたことがあったんだよな。
    もう自分はこの会社に対して何も貢献できてない。給料泥棒だ。今日1日、仕事をしてたつもりなのに、何にも生んでないじゃないか、と。
    だけどそれってただの考えすぎで、そういう日があったっていいんじゃん、あと会社はそんな簡単に君を切ったりしないから、というのを自分に言い聞かせることで、心に平穏を取り戻すことができたような気がするんだよなぁ。
    自分で自分に毒付いていても、何も解決しないぞ、と、今ではそんなふうに考えられるようになった。成長してる。

  • なんでも否定する

    なんでも否定する

    たまにはハメを外そう、から夜更かし、深酒、深夜のラーメンを過ごした翌日、案の定二日酔いで頭痛のする中仕事して、あんなことするんじゃなかったと後悔してる。
    そして翌日は飲酒せず、早めに寝ようとしてる。

    自分のやりたいことをやるということが、私が機嫌良く生きるための秘訣だと信じてやまないが、そうやって過去の自分を否定し続ける自分がいる限り、幸せな気分は訪れない。

    そもそも「たまにはハメを外そう」についても、自分が節度ある生活をしているように感じていて、そんなだから人生が詰まらないのだ、だからたまにはパーっとお酒でも飲んでさ、というところが発端になっている。
    おそらく、節度ある生活の前には胃が痛くなるような出来事があったりして、結局はそれを繰り返しているだけなのだ。

    過去は変えられないから、昨夜のことはもう忘れよう。大切なのは今だ。
    私がお酒を飲みたいのだったら、飲めば良いだろ。

    機嫌良く生きるって本当に難しい。
    自分を肯定することをベースにして、変えられないもの、過去や他人には干渉せず、静かに受け入れる。
    たったこれだけのことなのに、あの人は自分の期待するように動いてくれないと他人のことばかり気にして、そしてそうやって他人を気にする自分を俯瞰した自分からは嫌悪される日々。
    こんな考え方では、どうしたって幸せにはなれない。

    いったいどうしたら良いのだ。
    幸せになる術は知っているように感じる。
    幸せになりたい、と思うのならば、上の段落に書いたことを信条とし、地道に生きていくだけなのではないだろうか。
    なんだよ簡単なことじゃん、と思えない自分がいて、そしてまた自分が嫌いになっていく。

    深呼吸を。そして早く寝よう。
    今のお前に対し、お酒は解決してくれない。

  • 暇なのも良いけど暇を持て余すと逆に予定が欲しくなる

    暇なのも良いけど暇を持て余すと逆に予定が欲しくなる

    人間は無いものねだり

    去年の年末、溜まった有給休暇を消費すべく3週間くらいのお休みを取得しました。最初のうちはヒャッハー!な気分だったのですが、クリスマスを過ぎたあたりからは退屈になってしまって。有給休暇中にも関わらず会社PCを起動して未読メッセージをチェックする始末。

    もしかしたら私は、定年退職をしたらあっという間にボケてしまうタイプなのかもしれません。やることがないという状況を、シンプルに楽しむことができないので。ただ、自分のしたいことをすれば良いだけなんですけどね。そこに怠惰という気持ちがもしかしたら混ざっているのかもしれませんが、動く、という選択肢ではなく、動かない、という方向での時間の潰し方を考える必要があるのかと思います。

    Photo by Pixabay on Pexels.com

    小さなタスクをたくさん持つこと

    それでは、何かやらなきゃいけないことをたくさん持つことで、日々の時間を過ごすことができるのではないかという考えについて。それ自体は良いことかもしれません。怠惰な気持ちを持つことなく、コツコツとやり遂げることは、もしかすると将来、大きな成果になる可能性があります。資格取得に向けた勉強をするとか。好奇心を持つことが、まず最初にあるべきかと思います。

    ただ、私は、タスクを持つことなく、日々、動かなくても楽しめる気持ちを持つことを育てたいです。なぜなら、そうすることで身体が不自由になり小さなタスクすらこなせなくなったとしても、日々を楽しむことができるからです。

    多分、その辺りは価値観が絡んでくる話なのだから、きっと正解はないのでしょう。小さなタスクの方を優先したい人だっているはずです。大切なのは日々、怠惰な気持ちを保つことなく暮らしていくことなのかなぁと思います。

  • 草花たちは「春が来た」と肌で感じることができる

    草花たちは「春が来た」と肌で感じることができる

    ベランダで飼っている盆栽や観葉植物たちが、茶色一辺倒だった冬の時期を過ぎ、少しずつ芽が出るようになってきた。
    新しい葉をつけ始めると、彼らが生きていることを実感する。

    新しい葉が出てくるこの時期は、彼らを見るだけで元気が出てくる。
    日本は1月と4月に、新たな気持ちを持つ時期がやってくる。
    その、二つがあることに感謝したい。

    4月の存在感

    日本だけだろうか、その季節に「新しい」という意味を見出しているのは。良くわからないけれど。
    桜の咲く季節で、何かを始めるのにちょうど良い気候だから、昔の人は4月をその時期に設定したのかもしれない。
    そしてその風習は私の中にもきちんと備わっていて、この季節になると、なんとなく嬉しくなってしまう。

    João Jesus at Pexels

    社会人になると

    だけど社会人になると、当然だが4月はただの、12月あるうちのひとつという感覚になってしまう。
    4月になっても環境は変わらず、新しいことを始めようという気持ちが芽生えるようなことはないのだ。

    まぁ、それはそれでしょうがないのだろう。職場は学校ではないから、4月になるからと言って定期的に配置換えを行うようなことはしないからだ。している企業があるかもしれないけど。

    だからこそ、私は、ベランダに棲む観葉植物たちのことを観て、そういう気分を得るのかもしれない。

    彼らは生きているために、葉を身に付ける。シンプルに、彼らの生を全うするために、葉を身に付けているだけなのだろう。だから、彼らは私がそんな気分に浸っていることを知らない。
    知らないからこそ、良いのかもしれない。

  • 根底にあるのは怠惰

    根底にあるのは怠惰

    新しい年を迎え、今年こそはやってやるぜ、とやる気に満ち溢れる時期。だけどすぐ行動に移せないのが人間。

    根底にはめんどくさい…があり、よく考えるとそのめんどくさい…はいろんなところに響いているのが分かる。逆に言うとその気持ちをコントロールすると、やり遂げることができる。

    突き詰めて考えるとそのめんどくさい…が人生全ての思考、行動を司ってる気がしてて、それをコントロールするための訓練が、義務教育だったのではないかと思うのよね。

    そう思ったきっかけは仕事で、東大や京大を卒業した人と出会ったから。彼らの集中力と、突き詰めて考える力、あきらめない気持ちがとても強くて、みんな同じように気持ちの強さを持っているから、そう考えました。

    時間を戻すことはできないけど、その、めんどくさい…をなんとかすることで(=顕在化させない。意識しない。忘れる。考えない)、今年こそは!という事柄をやり切れるのではないかと思います。

    と思ってる自分も、今年こそは英語!と思ってるのだけど、早速元旦やらずに終わりました。分かっていてもできない、それも人間なのだと…