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  • 7月19日 命を預かるということのインパクト

    7月19日 命を預かるということのインパクト

    家に新しい風を吹かせようと

    9時くらいに起床。3連休の中日って本当に幸福に包まれている気がする。
    何のプレッシャーも感じない。普通の土日休みだったらきっと、今日は日曜日だから、日曜日らしいことをしなくちゃ!と小さな焦りを抱えながら生きているから。
    ぼんやりと目が覚め、今日は二日酔いではないことを感覚で掴み、朝食。フルグラ。今日は13時にはま寿司を予約しているから、軽めに食べようということで、家族揃ってフルグラを食べた。
    しかし、ここで、今日、千葉ニュータウンにあるジョイフル本田(結構通ってる)で保護猫の譲渡会があることを知る。
    ここ数ヶ月、テレビで譲渡会のことをやっているとついつい見てしまう我が家、だけど怖がって今まで一度も譲渡会に参加したことはなかったんだけど、今日は初めて行ってみようと家族の意見が一致。
    途中、藤ヶ谷あたりにある珍来で昼食を摂った。
    レイソル一色。店内に備え付けられているテレビにはレイソル戦のハイライトがずーっとやってて、次男はラーメンそっちのけで夢中になって見ていた。ずっと見ちゃうよね。しかも2025年シーズンのハイライトだったから、カッキーのオーバーヘッドキックとか出てて、懐かしい〜!ってなった。コヤはまだいたんだよなぁ。左サイドにコヤがいるのは驚異だったよ。戻ってこないかなぁー、と次男。
    流石に戻ってこないだろうな、残念だけど、と思いながら私もラーメンを食す。
    さて、念願の、譲渡会の話。
    開催していたのは千葉県にあるNPO法人の方々がやっているそうで、会場には十五匹くらいの猫たち。生まれて数ヶ月から、割と大きい、4歳くらいの猫まで勢揃い。だいたいみんなゲージの奥の方に陣取ってじーっとしてたり、寝てたりしてた。お客さんは私たちが見てた時で15人くらいはいたのではないかなぁ。猫と人間、1対1くらいの感覚だね。
    NPO法人のスタッフさんたちとも結構話した。うちはまだ一匹も猫がいないので、子猫を飼うのであれば、遊び相手という感覚で二匹いると良いとのこと。その感覚はなかったけれど、まぁけど、一匹も二匹も変わらないだろ、と個人的には考えたね。家族的にもそんな感じで捉えることができたので、それはそれ で一つの収穫だったかもな。
    なんとなくめぼしい子たちの名前を覚えて、今日は終了。
    私は割と即決したいタイプで、それは「せっかく行ったんだから」という気持ちの裏返しでもあるんだけど、そこまでガソリンを使ったのに何も手に入れずに帰るというのがとてももったいなく感じることが多くて、だから今日も予約して帰るくらいの感覚でも良かったのだけど、家族の総意としては決断を一旦持ち帰る感じになったので、そこでは確約せず。
    まぁ、私としても「この子が欲しい!」というくらいにまでビビッとは来なかったから、即決しなくて良かったのかもな、と思ったり。

    命について考える

    それからしばらくは、なんとなくぼんやりしてしまった。
    命を、しかもいっきにふたつも預かるということに対する、責任の重さをずっしりと感じてしまったんだな。
    せっかく迎え入れるんだから、天寿をまっとうして欲しいもんね。
    まぁ、ウチの家族はみんな優しいし、うちにやってきた新しい命にたいして暖かく接することができると確信しているから、だからきっと不幸せなことにはならないと思うんだけど。だけど、それでも、命を預かる重みっていうのは割と本気で、重たいよな、と感じた。
    それはメダカとかのレベルとは違っていて、多分メダカは安ければ100円くらいで手に入れることができるし、長くても3年くらいで寿命を迎えるから、その分意識が軽くなってしまうような。考えすぎかな。メダカが死んでしまった時も、悲しいと言えば悲しいもんな。
    ということで、そのあたりの覚悟も決めて、猫を飼おうと思う。
    大丈夫、きっとうちを選んでくれた子たちも、きっと、この家を、私たち家族を気に入ってくれると思う。

  • 3月29日

    雲の多い、今にも雨が降り出しそうな3月29日を迎えている。
    今日は、長男の誕生日。あの頃も桜がほぼ満開を迎えていて、退院する頃には散っているだろうなと思っていた。

    人をどう想うかは、人の勝手である。お節介と思われようが、自分の好きなように人のことを想うべきである。
    とは言いたいが、残念ながら「世間の空気」というものがあり、それに流される形で、自分の想いを、それに合わせてカスタマイズする必要が出てきたりする。

    愛情。子供への愛情。

    親としては当然の想いだと思っているが、私が考えている「子供への愛情」は私だけの価値観だから、それが世界共通とは言えない。
    私からすると、自分の子供(だけじゃなくて他人の子供も含むけど)に危害を加えるようなことは全くもって想定できない。あり得ない。だけど私の価値観にそぐわない人はいて、そんなニュースを見て、私は心を痛める。

    そして、さらに、遠くの国で起きている戦争。それからも、多くの子供たちが命を奪われている。
    奪われて、という表現。
    自分の意図しない形で、生きていることが終わってしまう。
    とても切ない。彼らの、未来に見えただろう光景が、彼らの目に映ることなく、終わってしまうなんて。
    もっと楽しいことだってあったはずだろうに。

    とても悲しい。