8月20日 人には人の人生がある
たらればを語ってもそれはただの戯言
7時に起床。したものの二度寝。なんとなく起きるのも億劫で、昨夜たくさん酒を飲んだわけではなく(ビール350mlで終わり)、夜更かしはちょっとしたけれど0時くらいには床に就いた。単純に、疲れだな、と。今週は月曜から水曜まで全部出社して、そして仕事もそこそこ忙しく、色々と目まぐるしく生きているから、そのせいかなとも思ったり。
今日はまったり在宅勤務したいなー、と思いながら朝食。
在宅勤務に踏み切れないのは、会社にて直接人と会話することの大切さを身近に感じているから。最近の仕事はコミュニケーションを多く取る必要のある仕事ばかりで、オンラインで会議に入る時だけではなく、例えばその会議室へ一緒に行くとか、会議室から席に戻るとか、そういうところでの会話がとても大切と感じている。痛感しているといっても過言ではなく。
そんななので、結局出社。家を8時台後半に出たから、電車は空いていた。空いている電車での通勤は本当に苦しくない。会社に着くのが遅くなるかなー、それだけがちょっとアレだけど、そこに痛みを感じなければいつも9時台出社とかでも良いと思ってる。
仕事。一瞬で昼。忙しいから一瞬で昼、そして午後も一瞬。
ここのところ、一日どころか、一週間があっという間。ぼんやりしているとあっという間に週末。良いことなのか、そうではないのか。あんま考えないようにする。
18時に退勤。この時間に帰るのいやなんだよなー、と思いつつ、なるべく車両の空いてる箇所へ移動し、おばけのQ太郎のように、隅っこでじっとしていればいいんだ、という姿勢で帰宅。
帰宅してから6kmラン。気温28度湿度76%。ランとしてはまだ暑いし蒸してる。キロ6分30くらいでフィニッシュ。
帰宅してウェアを洗濯して夕食。受験勉強に疲れてる長男が、高砂熱学のテレビCMを観て、それがいわゆるキラキラした高校生活を送ってる男子高校生のストーリーだったんだけど、それを見てぼそっと、「俺にもそっち側のアオハルってあったのかな」という、仮定の世界線について話していた。私は何も反応せず、だけど、自分を肯定することは大切だよ、みたいなアドバイス。
あの頃、ああしていれば良かったのかな、って考えることは多い。今とは違う世界線を夢見ることはある。私の場合、仕事面だけど、高校の頃に好きだった自動車業界にそのまま入り、47歳の今になるまで仕事をしていたら人生が変わっていたのかな、とか。
それはだいぶ大それたことだけれど、まーけど今の人生に後悔はあるかっていうと、正直なくて、だから別に自動車業界だろうが、今みたいにITコンサルだろうが、別にどっちだっていいんだよな、とは思う。
長男は割とマジメで、だからいわゆる陽キャみたいな、部活後に友達とファミレスで飽きるほど喋るとか、バンドやるとか、恋人と一緒に花火を見に行くとか、47歳の考える陽キャってそんなもんだけど、それとは一線を画すアオハルを過ごしているように見える。
47歳になってそのことを考えると、「それがどうした」一辺倒な感覚を抱く。だって、贔屓目に見なくとも、長男は立派に彼なりのアオハルを過ごしているんだから。陽キャがすごいとか、陰キャが劣っているとか、そんなわけねーだろ、と。その二元論自体ナンセンスで。実際にはその間に大多数のグレーゾーンな人たちがいるはずだから。というか、陽キャってなんだよな。考えすぎだろ。
人生においてターニングポイントはあると思ってる。だけどその時々に、「私は今、ターニングポイントに立ってるな」と思うことは稀で、だいたい、終わってから気づく。数年経ってから。そして、あの選択は合っていたのだろうか、と立ち止まることがある。
過去は変えられないし、たられば論を言っていても、正直なところ酒の肴にもならない。宝くじ、当たったらどうしよう、と同じくらいに意味がないと思ってる。
いや、宝くじはいっか、夢があるという点では違うか。未来に向かってるもんね。
そういうわけで、あの時、違う選択肢をとっていたら、と考えてみたときに、意味のあることとしたら、その経験から得られたことを、未来にどう生かすか。その一点に尽きる。
過去、失敗と仮に定義したとすると(失敗と考えること自体、そもそもどうなのと思うがこれはまた別の機会に)、そこから得た教訓から、次はちゃんとしよう、失敗しないようにしようと考える。
そんなふうに、過去を振り返るのであれば、どんどんやるべきなんだろう。過去の経験を活かすっていうのは、そういうことなんだろう。
私がそういうふうにやれてるかって?やれてるわけないじゃん、だからいっつもこんなふうにクヨクヨしたりするもんな。47歳になってもこれだよ。
