投稿者: hmgrbean

  • 5月20日 新しい趣味が生まれるかもしれない

    5月20日 新しい趣味が生まれるかもしれない

    1ヶ月ぶり?くらいに外を走った。
    家族で買い物に出かけた時に、空がとても綺麗だったので、その空をずっと見ていたくて、そんなことを考えていたら、そうじゃん、走ればいいじゃん、と。
    お腹がだいぶたぷんたぷんしてきたから、継続すれば痩せるということは分かっているんだけれど、どうしても継続するまでのモチベーションにならないのがちょっと痛い。
    けど今日は、空がとても綺麗だったから、自分のお腹のことはちょっと忘れることにした。
    雲が高い位置にあって、その下を鳥が数羽飛んでいるのが見えて、その、遠くを飛ぶ鳥を見つけるのが最近のマイブームになっていて、とはいえ多分大したことない鳥なんだろうけど、それでも彼らが見ている世界は私が見ているそれよりもだいぶ高いところに置いているわけだから、とちょっと想像したりして。

    そうか!
    ドローンを買えばいいんじゃん。
    ちょっと好きかも、ドローン。
    鳥と同じ目線で、映像が観られるんでしょ。ちょっとやってみたいね。
    いい、なんかすごくいい思いつきだこれ。
    多分、ピンキリなんだろうなぁ。うーん、男の趣味って感じだからなぁ。
    3万円から5万円くらいなら、家族にも怒られないだろう。

    ところで、今日のランニングの成果を。
    6km。久しぶりに走ったのでゆったり、キロ6分前後。
    近所をぐるぐる。走るのには少し暑かったなぁ、21度とか?
    気持ちがそっちに向かなかったのでアレなんだけど、やっぱ3月辺りに走れたら良かったなぁ。その頃がベストシーズンだと個人的に思ってる。

    今日は柏レイソルの試合があったんだけど、家庭の都合で行くことはせず、家族との時間を優先したからリアルタイム観戦もせず、結果だけTwitterで知った。夜に見返して見ようかなぁ。

  • 5月19日 誰にも迷惑をかけず、心配をかけずに消えることができるなら

    5月19日 誰にも迷惑をかけず、心配をかけずに消えることができるなら

    記憶に残らない日々の繰り返し。
    長期記憶のトリガーになるような、心が反応するような物事がなく、ただ、時間を過ごしているだけ。
    そんな日々にも意味があるのだとしたら、いったいどんな理由があるんだろう。

    いや、意味なんて必要なくて、死ぬまで生きれば良いだけなのではないか。
    そうやって本質を誤魔化し、食べる、寝るなどの要求をこなすだけ。
    それを数十年繰り返し、人生に諦めがついた時にようやく、呼吸を止めるようになる。

    目をつぶってみて、本当に最近の日々は心に引っかからずに過ごしてきたのか確かめてみる。
    すると、ぽつぽつと浮かび上がってくる、ごく短期的な思い出。
    と同時に、今朝方に見た夢を思い出した。
    路面電車の走る街。
    今いる場所から4つ先にある駅まで歩こうか、電車に乗ってしまうかを迷っている。
    そのそばには堤防が広がり、その先には大きな川が流れているのが容易に想像できる。

    現実に戻り、もしかしたらそれは、都電荒川線の、熊野前付近ではないかと勘繰る。
    夢に見た風景の答え合わせをしたところで、なんのプラスにもならないのは明確だけど、自分にとって思い出の場所ということに、改めて再確認することができる。

    現実が、つまらないのだろうか。
    自分の内面に聞いてみても、良く分からないんだよね、という回答しか思い浮かばない。
    なにか光でもあれば、その指し示す方向に向かって歩いていけるのかもしれない。
    その光は自分で放つべきものなのか。誰かに頼り、照らしてもらっても良いのだろうか。
    心の中にある光。それがないから、心が薄暗くて、自分がどう思っているのか、どう感じているのかすら、その輪郭すらも掴むことはできない。
    何かがあれば楽しい、とか、そういうレベルのものではない気がするんだよなぁ。
    逆にそれは、心の闇とでも言うべきか。
    理性なのか。分からない。消えたくなってくる。誰にも迷惑を、心配をかけずに消えることができるなら。

  • 5月18日 優しい嘘

    5月18日 優しい嘘

    どっちが正義だとか、良く分からなくなっちゃってさ。
    少年は、自分が原因で起こしたクラス内での諍いを、隣の部屋に住む、なんの仕事をしているか良く分からないおじさんに話した。
    いじめられている友達を庇ったら、今度は少年がいじめられるようになってしまった。
    こんなことなら、庇うなんてことしなかったのに、と。
    物事はこれ以上なくシンプルだ。いじめられている子が悪い。
    だけどそのいじめられている子は、家では二人目のお父さんに頬を打たれることが多いと知ってしまった。
    そうなると悪いのはそのお父さんじゃん。いじめてる子は悪くないじゃん、と。
    おじさんは変わった匂いのタバコを吸いながら、少年の話を聞く。明後日の方向を向きながら。

    もしかすると、そのお父さんも、誰かにいじめられているのかもしれないぞ。
    だとしたら、お父さんすらも悪くはなくなってしまうよね。
    そうやって、世界って回っているのかも知れないなぁ、とおじさんは、少年に聞かせるでもなく、独り言のように呟く。
    タバコが、最後まで行ったようで、胸のところについてる小さなポケットから携帯灰皿を取り出し、タバコをその中に入れた。パチッ、とボタンを留めるような音がなり、その後におじさんは携帯灰皿を潰すようにして、タバコを吸う一連の作業を終わりにした。

    だけどな、少年、君がやったこと、友達を庇うことは悪いことではないだろ?
    おじさんは、ゆっくりと、諭すように少年に聞いてみる。
    少年は少し考えるようにして、そうだね、友達が可哀想だったから、と少年は応える。
    いいんだよ、それで。目の前に困っている人がいたら、助けちゃえばいいんだから。
    お父さんに打たれる?だからって友達をいじめて良いなんてルール、ないだろ?
    少年、君は自分の道を信じて、明日も学校に行けばいいんだよ。
    いじめられることがあったら、うちの隣にヤクザが住んでるんだよね、この間友達になってさ、くらいのことを周りに言いふらしてみ、そしたらいつの間にか、君はいじめられなくなるんだから。
    おじさんはそれを、優しい嘘と名づけた。
    でもおじさん、嘘をつくのは悪いことじゃないの、と言うと、おじさんは笑って、次のタバコを吸う準備をしながら、ついてもいい嘘ってのもあるんだよ、と言った。
    青空を、数羽の鳥たちが、どこかへ飛んでいくのが見えた。

  • 5月17日 昔話に花を咲かせすぎて

    5月17日 昔話に花を咲かせすぎて

    昨夜は、私が前に在籍していた会社の元同僚たちと数年ぶりに会い、だいぶ飲みすぎてしまった。
    タバコも吸いまくったので、喉が痛い気がする。
    今朝方すこし二日酔いっぽかったけど、お昼にサバ味噌の缶詰をおかずにご飯を食べ、ようやくいつもの感覚になってきた。
    二日酔いって、宿酔いって書き方をするんだよなー昔の本だと。うまい字を充てるなぁと感心したことがあった。
    私がそれを知ったのは、太宰治の人間失格、だったかなぁ。芥川龍之介の何か、だったかもしれない。忘れてしまった。

    昔のメンバーと、昔話をするのって楽しい。
    皆、それぞれの現在地点は別々だけど、当時を振り返って色々な思い出話をするのは、なんて楽しいんだろう。
    生きてるって感覚。私がその道を辿ってきたからこそ、こうやって人生のご褒美みたいな楽しみが生まれるんだから。
    最近は心療内科に通っていて、太ってきた点と、走る方に気力が向かないと言ったら、みんな驚いていた。
    あと、その会社に残っているメンバーから、会社に戻ってきてほしいと言われた。嬉しかった。
    私を必要としてくれているというのが、話の端々から、ひしひしと伝わってきていた。ごめん、戻らないけどね。とは言わなかった、言えなかった。
    いつか戻っても良いとは思っている。そういう心理的安全があるのって、安心する。

    私が、今の会社に留まっている理由ってなんだろう。
    給料。人間。やってる内容。
    「給料」が一番最初に思い浮かぶのって、なんかそういう人間なんだなぁって思ってしまう。
    一番大事でしょ、と思うけど。
    私は、情熱だとか、絆みたいなものにはあんま惹かれないんだよなぁ。ドライというべきか。
    あ、けど今の会社で私のロールモデルになってる人がいて、その人がいるからこの会社にいる、っていうこともある。こういう人間のつながりって大切な気がする一方で、だけど一番大事なのはそこじゃな、というダブスタっぷり。人間だもの、どっちも大切だって思ったっていいじゃない。
    そういう人が、私が前いた会社にもいたら良いのかもしれない。今の段階では、その会社の中に、そういう人は見つからなさそうな気がしている。

  • 5月16日 振り返らず 錆びた風は 続くだろう

    5月16日 振り返らず 錆びた風は 続くだろう

    狂い咲く坂道 笑い出す口笛
    どこからか聞こえては 埋め尽くす
    色干からびた空を 焼き付ける

    THEE MICHELLE GUN ELEPHANT / ダニー・ゴー

    そのバンドに出会ったのは、私が大学生の頃だったような。
    バードメンという歌で、彼らを知り、一瞬で好きになった。
    全員、モッズを彷彿とさせるような細身のスーツ姿。
    ギターを「かき鳴らす」という言葉がピッタリの、ギャンギャンしたバンドサウンド。
    ガレージロック。学生時代、カラオケで何度も歌った。
    その中でもダニー・ゴーという歌が、彼らの放った作品の中で、一番好きだ。
    錆びた風。乾いた口笛。
    イントロの、うねるようなベースライン。鳥肌が立つ。
    サビへの流れるようなメロディーライン。ギターソロ。
    調子良い8ビート。
    まるでアメリカの、乾いた地域を真っ直ぐ走っている国道を、古臭い車で爆走しているかのよう。
    私はいつの間にか彼らの音楽から離れてしまったけれど、その間に彼らは解散し、メンバーの一人は死別し、そしてフロントマンの彼は今、ガンと戦っている。
    彼らの残したものは偉大だ。ただのファンが放つ言葉なんて薄っぺらいだけだから、私がここで大声を出して彼らのことを叫んだとしても、誰の目にも、耳にも届かないだろうけれど、私は彼らからそんな景色を受け取った。
    彼らが今、どんな景色を見ているか分からないけれど、彼らの目にも、脳裏にも、そんな、アメリカの、乾いた地域を爆走する景色が浮かんでいると良いなと思う。

  • 5月15日 エレベーターの到着を告げる音

    5月15日 エレベーターの到着を告げる音

    人生ってドラマの連続だから。
    私が何気なく過ごした2023年5月15日は、誰かにとっては掛け替えのない一日だったはずだから。

    今日の私はいつもと同じように、週明けのどんよりとした空気を纏ったまま、会社へと向かった。
    余計なことは考えずに。
    ひたすら、最近読んでいる「竜馬が行く」の文章に目を通しつつ、国会議事堂前駅を通り過ぎないように。
    物語の中にいる竜馬は、どこかあどけない。
    彼の目に映る世の中は、いったいどのようなものだっただろう。
    そんなことを考えながら、国会議事堂前駅までの時間を潰した。
    途中、多くの人が大手町、そして霞ヶ関で降りる。
    彼らには彼らの、彼女らのドラマがあり、頭の中で蠢いている電気信号のことをちょっと考えただけで、それが膨大な規模になるということに気づき、少し気持ち悪くなる。
    私は、私一人の頭だけで精一杯だというのに。
    神は、皆それぞれの頭の中をデザインしているのだろうか、と。

    会社の最寄り駅に着くと、雨はやんでいた。
    空を、見上げる人。
    そんなものには目もくれず、ひたすら会社への道を歩む人。
    私は、どちらのことを考えながら、オフィスへと昇っていくエレベーターのボタンを押した。すぐに、ピンポーンとエレベータの到着する音が聞こえた。

  • 5月14日 いつも優しく愛想よくなんてやってられない

    5月14日 いつも優しく愛想よくなんてやってられない

    あっという間に5月も半ばを迎えている。
    ゴールデンウィークって何したっけ、の前に、今年、何したっけ、くらい記憶が薄い。
    2月くらいから毎日、ここでブログを書いていて思うことは、
    自分の中で考えがまとまってなくても、ある程度描けるもんだな、ということ。
    私は日々、何かを考えながら生きているんだなぁ、ということ。

    いつも優しく愛想よくなんてやってられないよ。理由は簡単。時間がないんだ。

    スナフキンの名言集より

    自分の中で、物事に優先度を持たせることってとても大切で、スナフキンの言うように、限られた時間の中で自分の期待通りに生きていくためには、時には、他人に対して愛嬌を振りまくことよりも、自分の生きる道を優先すべき、ということだろうか。
    私はどうしても他人に合わせてしまう。
    自分の意見を2番手、3番手くらいに置き、家族やそれ以外の他人が望むような選択肢を優先させることが多い。
    それって他人に主導権を与えることで、その人は気持ちの良いことかもしれないけれど、自分はそれで気持ちが良いのだろうか。
    他人の喜ぶ姿が見られて嬉しいです!という人もいるだろう。
    私もそんなところがあるような気がする。
    だけど、そのために、自分を犠牲にするってどうなんだろう。

    いや、ちょっと待て。
    そうは言いながらも、自分がどうしても譲れないところは、我を通してしまうことだってあるだろ。

    大体のことは、どうでも良いことなのかもしれない。
    だけど、譲れないところは、自分のコアとしてきちんと別腹として持っておいて、そこは常に気をつけて、誰かに土足で入り込まれないようにすべきなんじゃないかな。
    時間がない、自分の人生を全うする、という点でもその通りで、誰かに土足で入り込まれて、その修復に数年かかるとしたら?
    そんなに待てる?ということなのかもしれないなぁ。

    いろいろ書いたけどまとまらないので割愛する。

  • 5月13日 今日の柏レイソル戦、の感想

    5月13日 今日の柏レイソル戦、の感想

    期待してる方が悪いと言われたら、そりゃそうかもしれませんけどね。
    今日は久しぶりに柏熱の1Fで、全力で声を出したんですよね。
    選手たちを鼓舞する!とか一人で勝手に盛り上がって。
    柏熱の1F、しかも3列目ともなると選手の顔から流れる汗すらも見えるわけですよ。
    前半はサヴィオ選手のコーナーキックや、後半は片山選手、立田選手の懸命なクリアなど、臨場感溢れる席で、ここぞとばかりに声を張り上げたんですけどね。

    まぁ、最下位に負けるわけないだろ、って油断してたってのもありますよね。
    あ、選手ではなく、私が。4−0くらいで勝ってくれたら気持ち良いなぁとか、ね、考えながらスタジアムに向かってましたからね。
    あの時はまだ、清々しい気分でした。
    後半、片山選手が相手のクロスにハンドしてしまって、PKで、さらっと決められて、そのまま終了、と。
    相手が互角、拮抗してたらまぁ、悔しさとかもあるんですけどね。
    今日は、スタッツを見る限りこちら側はシュートを30本近く打ってたみたいなんですよね。
    なのに、0点。1度もゴールネットを揺らすことすらできず、無情にも90分が経ってしまいました。

    まぁ、悔しいのは選手も一緒、もしかするとサポーターよりも悔しさは勝っているかもしれません。我々は所詮娯楽、彼らは生活がかかってますからね。
    とは言え。
    退屈な日常をほーらー、綺麗さっぱり忘れられるんだ、みたいな、勝ちが見たいです。
    勝ちが。私、現地、いつ以来か覚えていないほど、勝っていません。
    今日はお酒を飲む気すら起こらない、ような。
    そんな週末。

  • 5月12日 過去も未来も、列車が走るレールの上で

    5月12日 過去も未来も、列車が走るレールの上で

    チー、と高い周波数の音が聞こえる。
    私の耳鳴りだろうか、いや、今私の目の前にあるディスプレイの音だろうか。

    人生って正解がわからないことが多い。
    正解なんてものは、所詮その人が受け取る解釈のなかで生まれるものだから、私が思った正解が、そういうことになるんだと思う。

    ランニングが私の趣味です、と言い放った過去。
    実際にそういう時期があったのだろうけど、その時の自分と、今のそれでは到底思いもよらないほどに別人のように感じている。
    ランニングへのモチベーションが思いつかないからだ。
    なぜあんなに、走ることが好きだったのだろうか。
    おそらく、走っている時の、自分の身体から感じる筋肉の動き、痛み、苦しさ、そういうところから「私は生きている」というのを感じていたからなように思う。
    今、私は生きているのだろうか。
    その、ランニング中に感じるそれらの物事から遠ざかった今、私が生きているという実感があまり感じられないのである。
    いや、うーん、こうやってブログを書いているときに、私が考えているという感覚は、実は私が生きている証拠なのかもしれない。
    中村一義が、彼の放った歌の中で「そうだ、過去未来を乗せて、列車は走るよ」と綴っていた。
    過去も未来も、列車が走るレールの上で奏でられるもので、全ては地続きということになるのだろう。
    もしかすると、今の私は、途中下車をしている状態なのかもしれない。
    今、生きているという感覚がないのだから。

    だからと言って、決して、生き急ぐ必要はないのだろう。
    この世の中と別れるようなきっかけがないのだから。
    もしその、きっかけが私の目の前にあったとしたら。

  • 5月11日 心療内科の先生に相談する内容とは

    5月11日 心療内科の先生に相談する内容とは

    心療内科って書こうとしたら、間違えて新緑、となってしまい、そうじゃん、新緑の綺麗な季節になってきたな、と思い返した。
    昨日と今日、家から一歩も出ていない。緑が遠い。
    ベランダで飼っている観葉植物を眺めながら、彼らが自らの腕のように延ばし始めた枝、そこから生えた葉が多くなってきたなぁと感じる。
    そんなふうに、ぼんやりしていたらどんどん暑くなって、知らず知らずのうちに夏を迎えるのだろうか。
    すでに43回分の夏を経験している身としては、44回目を迎えたとしても、今までと大差ない夏がきたな、と感じるんだろうなぁ。

    今日は心療内科へ通院する日。
    何を喋ろう、と思うと、少しだけ緊張する。
    緊張する心療内科ってどうなんだろう。良いのか、悪いのか。
    私の通う心療内科は、「誰でも気軽に来てくださいね」みたいな雰囲気で迎えてくれるのだが、私を診てくれる先生はやや口が重く、私からいつも喋り出すことになっている。
    他を知らないので、それが普通と考えてしまっている。もしかするともっと違う、私に合うような先生がいるかもしれないけれど。

    けれど、今になって病院を替えるというのは、サンクコスト的な考えもあり、腰がだいぶ思い。
    自分に合う/合わないってのがあるから、いろいろ見た方が良いよ、というアドバイスは今まで何人かからいただいたのだけれど、結局実行には移せていない。
    移せていない、というか、違う、今の自分としてはそこで満足している、のかもしれないから、新たなところを開拓する気がない、というのが正しい、

    ような気がしている、けれど、

    いつまでこの薬を飲み続けるんだろう、という思いがある。
    その前に、私がどういう状態になったら、この薬をやめられるのだろうか。
    元気になったら?と考えてはみるけれど、それじゃ今の私は元気じゃないのか、という問いが自然に浮かぶ。
    元気な時は元気だけれど、そうじゃない時だってあるさ、だけどそれって人間だもの、抗うつ剤を飲んでないような人だって同じようなことあるでしょ。
    分からない。
    極論を言うと、先生に決めてもらいたいと思ったりしている。
    私自身じゃ、分からないから。
    どの状態になったら薬をやめる、通院をやめることができるのか、分からないから。
    試しに、薬を飲まないで生活してみる?みたいなことも考えた。
    けれど、それで失敗して不幸のどん底みたいなマインドになってしまったら嫌なので、まだ実行に移したことはない。
    こういうことを、先生に相談してみても良いのだろうか。
    他の患者さんは、どんなことを先生に相談しているのだろうか。ちょっと気になる。