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  • 8月31日 自分の理想と私

    8月31日 自分の理想と私

    夏休みが終わっていくー。
    明日を待ち侘びる少年少女と、明日が永遠に来ないほしいと思っている少年少女、それぞれいると思う。
    彼らの思いを、厳密に嗅ぎ取ることはできない。
    けれどそこにあるのは、おそらく、「自分の理想」というものがあるんだと思う。

    自分の理想を追い求めることは、もしかすると人間の生存本能に基づいて生まれることなのかもしれないから、持つこと自体は自然なことなのだろう。
    だけど、自分の理想通りに物事が進むとは考えにくい。
    44歳になった今でも、自分の理想通りになったら良いなと思う一方で、いい加減、自分の理想を追い求めていてもそれは叶わぬ願いなんだよね、ということに気づいたりしている。

    多分そこには、折り合いをつけるという考え方が新たに生まれる。
    まぁ、しょうがないもんね、自分の理想ばっか追いかけていても、それが叶わなかった時に傷つくのは自分だしね、と、自分を慰めるように諌める。
    諌める、というのはちょっと違うかなー。諦める、と言うと言い過ぎかもしれないけれど、それに近いマインドが醸成される。

    多分そこで、自分の理想=周りのみんなが思い描く理想と合点がいくのであれば、それを追求するのが良いのだろう。
    スティーブ・ジョブズのような天才には、それが綺麗な形となって描けていたんだろうと思う。
    私はどうか。
    私は凡人だから、私の思い描く理想は、それが周りの人も同じように感じてはいないんだろうな、と思ってしまう。
    そこで自分を慰め、そうやって9月1日を迎えるんだろうな、と思う。

  • 8月24日 表現方法と私

    8月24日 表現方法と私

    自分の深層意識から生まれた感情のすべてラベルをつけられるほどのボキャブラリーを持ち合わせていない私は、だいたいのことに「ヤバい」とか「すげぇ」みたいな、少し前に言われてた「小並感」のような、表現方法しか持っていない。ような気がする。

    私自身はそれを痛感しているので、だから、それを補うために日々、本を読んだり、ここでブログを書くことで、私なりの表現を勉強しているつもりだ。

    だけどどうしたって勝てない相手というものがある。
    芥川賞を取った作品を読んでいると、容易にぶち当たる。
    みんなすげぇよ。よくもまぁこんなに綺麗に表現できるよ、みたいな。

    私だってできる限り、自分の持っているボキャブラリーを最大限使い、表現してるんだけどなー。みたいな。

    いや、けど、今持ってるもので戦うことだってできるんじゃないのかなー、とかね。考えちゃったりしてる。
    自分は、自分の味方でいるべきだから、現在の自分を肯定してあげるスタンスになってあげないといけないんじゃないのかな、とか。

    小説をずーっと書き続けているんですが、一向に終わる気配のないそれの持っていき方を考えているのと並行して上記のようなことを考えたりしている。
    私なりの味、とでも言うのかな、そういうのもあるのかもしれないから、今以上に文章を変えなくても良いかなーとか思ったり。

    ふらりふらりと文章を書いています。

  • 8月17日 ビクビクせずにさ

    8月17日 ビクビクせずにさ

    自分が立ち上げようとしていたプロジェクトの難易度が結構高いことを気づき、呆然となった。
    敵前逃亡をするにはまだ早い。
    会社の叡智を集めて難敵に挑むべきなんだろう。
    だけど私は現実主義だから、実現可能性があまり高くないのに気づいてしまうと、怖くて尻込みしてしまう。

    自分のせいで、プロジェクトが失敗してしまったとしたら。
    みんなからの信頼を得て始めたプロジェクトなのに失敗したら申し訳ない、という気持ちでいっぱいになる。
    これは武者震いだろう、そう歌ったバンドがいた。
    彼らみたいに、軽やかに、歌い上げるようにプロジェクトが進められたら良いんだけど。
    なかなかそうもいかないよなぁ。

    明日、偉い人にプロジェクト立ち上げの打診をしてみる。
    手応えを嗅ぎとり、良さそうな雰囲気だったらプロジェクト立ち上げに向けてチームを結成する運びになるだろう。
    武者震いか、それとも怖くて震えてるか。
    後者の方が強いんだけど、ビクビクせずに、飛び込んでみたいと思う。

  • 8月3日 時間と、その使い方

    8月3日 時間と、その使い方

    今日もあっという間に過ぎたような気がする。
    仕事に集中していた証拠なんだろうなぁ。
    目の前に仕事があるというのは良い。
    目立った仕事がない時の、暇さ加減と言ったら。
    私は目の前に仕事がないといけない人間みたいで、仕事がないと椅子に座っているのに我慢ができない。
    このままではクビになってしまう、と焦ってしまう。
    もうちょっと上手く生きられたら良いのに。
    暇な時はそれなりに、気持ちに余裕を持ち、自分を肯定してあげないといけない。

    時間という概念について考えてみようと思った。
    我々は毎日、時間と戦っているような感覚を持つことが多い。
    特に、忙しい日々を過ごしていると、一日があっという間に過ぎてしまうように感じる。

    しかし、時間は我々が思うよりも公平である。
    全ての人に対して時間が等しく流れ、それぞれが自由に使うことができる。
    しかし、それはまた非常に貴重で、一度過ぎてしまうと二度と戻ってこない。

    だからこそ、我々は時間を大切にし、それを最大限に活用しなければならない。
    しかし、それは簡単なことではない。
    忙しさに追われると、自分が本当にやりたいことや、大切な人と過ごす時間を犠牲にしがちである。

    そこで私は、時間をどのように過ごすべきか、どのように時間を管理するべきか、を見直すことにした。
    そうすれば、忙しい日々でも自分自身を大切にし、自分が本当にやりたいことに時間を使うことができるはずだ。

    まずは、自分がどのように時間を過ごしているかを把握することから始めようと思う。
    それを知ることで、どの時間を有効に使えているか、またどの時間が無駄になっているかが見えてくるはずだ。

    そして、時間の使い方を改善するための戦略を立てる。
    それは具体的な目標設定やタスクの優先順位付け、仕事とプライベートのバランスを見直すことなど、さまざまな形である。

    時間というのは、我々がどのように使うかによって、その価値が決まる。
    だからこそ、時間を大切に使うことで、一日一日を充実したものにすることができる。
    私たちは時間に支配されるのではなく、時間を使いこなすスキルを身につけることで、より豊かな人生を送ることができるはずだ。

  • 7月27日 正しさとは

    7月27日 正しさとは

    数日前からChatGPTに触れる機会が多く訪れており、その中で私は彼(勝手に男性だと仮定している)とたくさんの対話をしてきた。
    その中で、私が生業としているシステムのテストという観点に置き換えて考えた時に、彼の出す回答が正しいかどうかを判断するのって結構な難敵なんじゃないかと思い始めてきた。

    基本的に彼を100%信じるのは危険で、それは彼の会社のCEOも言っていて、だからこそ使う人が「ちゃんと正解を知っている」ことに対して対話をしていくべき、なのかなぁ、と。

    自分のわからないことを彼に答えてもらう、っていう、理想的なAIの使い方はどこかのタイミングでできてくると思うんだけど、それでも、「得体の知れないAIなる生き物」に正解を委ねるというのは、一種の神頼み的な感覚とも言えるんじゃないかね。

    その辺の回答。彼もちゃんとその辺は考えている模様。ChatGPT4である程度この辺の会話をした後で出てきた回答。

    回答の正しさってこういう技術的なものだけではないよね。
    昔から、困った時は「どちらにしようかな、天の神様の言うとおり」で決めてきた経緯がある人間としては、自分の意思では作れない正解を、どっかに委ねながら生きてきたんだよなぁ。
    それが、今はGenerativeAIになっただけ、という感覚、というか。

    ちょっと意地悪な質問をしてみた。

    それに対し、追加で、以下の会話。そうだよね、という雰囲気の回答。

    正しさ、と言う言葉自体が曖昧なんだから、答えは60億人いれば60億通りの考え方があるはずだよな。
    テロ組織は危険!と思う一方で、彼らにしてみたら彼らこそが正義という考え方になるはずだから。

    そういう点で、正論を突きつけることの危険性も孕んでるよなぁ。
    だってその正論は、あなたの意見ですよね、ってことになるから。
    誰から見ても正しいって言うのは、それこそ「人間はいつか死ぬ」くらいのもので、それ以外については反論の余地があるものばかりじゃん。
    柏レイソルが今めちゃくちゃ弱くて、このチームを応援し続けることに意味は?と言う問いかけにしたって、それはあなたのクラブ愛がどのくらいあるか次第でしょ、みたいな話だろうし(なんか脱線した気がする

  • 7月20日

    7月20日

    なんと大阪まで車で来ている。GWくらいにUSJに行きたいねーなんつってチケットとホテルを取り、新幹線も良いけど車で行ってみるか、ということになり。私がドライバーなので550km、およそ8時間くらいかけてやってきた。

    それだけ一人で運転に没頭する時間があったので、140文字で作れる小説を考えていたんだけどなかなか着想には至らず。昔付き合っていた彼氏と同じ車を見かけた、から当時の思い出を巡って…みたいなのを思いついたんだけどなぁ。

  • 7月13日 彼のこと

    7月13日 彼のこと

    自分に寄り添うことが、必要なんだと思う。
    周りからの非難を間に受けて、人生を終わりにしてしまう人が本当に多い。
    そうさせてしまった人たちを責めることはここではしない。
    私は、その道しか選ばなかった人のことを考えていきたい。

    周りからとやかく言われる時って、往々にしてある。
    その、匿名の非難をどうやり過ごすかは、この世の中を生きる術の中でも必要なものだ。
    時には逃げることだって大事だと、最近は聞くようになってきた。
    私が子供の頃は「なるべく学校は休まない」「辛くても前を向く」と言われて育ってきたから、44歳になった今でも、有給休暇を使うことに躊躇してしまう。
    自由に取って良い権利なのにね。
    休んだら休んだでまた悶々としてしまう。その日まる一日、本当だったらずっと布団の中にいたって良いのだ、と頭では考えるのだけれど、せっかく休みを取ったのだから何かしないともったいない、と行く当てもなく街をぶらついてみたりして、その、何かに追われている感覚を払拭させる。その結果疲れてしまい、そして何の成果もなく、こんなことなら休まなきゃ良かったと後悔してしまう。
    人生ってそんなことの繰り返しなのかもしれないけれど、そこで、冒頭に書いたように「自分に寄り添うこと」という目線で、自分に接する必要があるんだと思う。
    自分を甘やかす、と言ってしまうと言い過ぎかもしれない。
    だけどその甘やかすレベルって人それぞれで、休日にランニングをすることが快感となる人だっているし、一方でランニングなんて苦痛だ、と思う人もいるだろう。
    だから、自分を甘やかすことなんて自分の裁量で適当に決めたらいいんだと思う。
    辛かったら、SNSをやめたら良かったのだ。
    もっというとスマホをぶっ壊して、SNSに没頭したいという欲望を払拭して、外の景色を見たり、家族の笑顔を見たりすれば良かったのだ。
    何を言っても遅いけど。

    かく言う私も、同じように数ヶ月前に「生きてても全然面白くない」「どうせ全部人生の暇つぶし」だと考えていた。
    今でもたまーに、そんなことを考えたりする。だから、と言っては過言だけど、彼の気持ちが少しだけ分かる。
    生きててもつまんないもんね。
    だけど今はちょっとだけ考え方を変えるようにしている。
    面白くない、とか、暇つぶしだとか考えるのは私の勝手で、本当はめっちゃ面白いことを体験しているのに、どこか中途半端に取り組んでいる自分がいて、その瞬間を最大限に楽しんでいないようなことがあったのだ。
    だから、その瞬間を、最大限に楽しむようにした。
    ランニングもそう。ご飯を食べるのもそう。寝るのもそう。
    自分ばっかり楽しんで申し訳ない、みたいな後ろめたい気持ちを持つのも違う。申し訳なくない。自分の人生なんだから、自分が楽しまなかったらそれこそ意味がなくなってしまうだろう。

    彼の冥福を、切に願う。
    彼がこの世に残したものが、多くの人の心に、片隅にでも残ったら良いと思う。

  • 6月29日 解釈について

    6月29日 解釈について

    ニーチェは、物事の解釈についていくつか言葉を残している。

    物事はいかようにも解釈できる。
    良い物事、悪い物事が初めからあるのではない。良いとするのも悪いとするのも、役立つとか役立たないとか、素晴らしいとか醜悪だとか、いかようであろうとも、解釈するのは結局は自分なのだ。
    しかし、どう解釈しようとも、そのときからその解釈の中に自分を差し込むことになるのを知っておこう。つまり、解釈にとらわれ、その解釈ができるような視点からのみ物事を見てしまうようになるのだ。
    つまり、解釈や、そこから生まれる価値判断が自分をきつく縛るというわけだ。しかし、解釈せずには物事の始末がつけられない。ここに、人生を読み解いていくことのジレンマがある。

    ニーチェ たわむれ、たばかり、意趣ばらし

    どういうことだろう。
    私は今、44歳になるけれど、44歳の目線でしか解釈ができないということだろうか。
    確かに今からでは20代の気持ちを持ち、彼らの目線で解釈することはできない。
    例えば新宿の歌舞伎町は今治安があまり良くないと言われている。
    私としては、けしからん、彼らの両親はそのことをどう思ってるんだ、と思ってしまうけれど、「歌舞伎町は治安が悪い」というのは私の目線、参考にしているのはテレビのニュースだったりするけれど、その目線でしか物を語ることができない。
    実際に歌舞伎町に行ってみると治安が悪いというほどではないかもしれない。(治安の良し悪しについてもある程度の解釈が含まれるから、歩きタバコをしている人がいる!=治安が悪い!と思う人もいるかもしれない。正直なところ私は歩きタバコくらいは、いいんじゃないの、と思ったりしてしまう)

    ニーチェは、そこにジレンマがあると言う。
    私の解釈は、私の目線からでしか解釈できない。毎日のように歌舞伎町で飲み歩くような人生を送っていたら、違う解釈になるだろう。
    今の私の境遇だと、外野からニュースを見てる程度の知識量で歌舞伎町の治安を語るようなレベルだろうから、その程度の目線でしか解釈ができないということだ。

    喧嘩両成敗、という言葉がある。
    ある人から、例えば仕事の同僚からある人の愚痴を聞かされたとしよう。
    私はそう言う時、その人の話をよく聞いてしまい、その人の肩を持つようになるのだけれど、もしかすると愚痴の対象となっている人からの声を聞いてみないと、きちんと成敗することはできない。
    それも解釈の一つで、その諍いを公平な目で見るならば、両方から聞いてから成敗するのが適当なやり方だと思う。
    両方聞いてみると、最初に愚痴を聞いていた方が悪い、みたいなことだってたくさんあり得るだろうから。

    なるべく公平な目で、物事を見て解釈していきたいと思う。
    地球のどこかで今も起こっている諍いが、それぞれの頭で考えた解釈をベースに行なわれているはずで、蓋を開けてみたら、まぁ、お互いに悪いところあったよね、みたいなことだってあるんじゃないかなぁ。そんな簡単な話でないことはわかっているけれど。

  • 6月22日 今日は10km

    6月22日 今日は10km

    今日は10kmを走った。
    夕方、ちょっと雨っぽかったので、私の住んでる市でやってるジムへ。

    平日の夕方はだいぶ空いていた。
    トレッドミルは私を含め、2人くらいしか使っていなかった。
    私より3つくらい左側のトレッドミルで走っていた若者。
    まだまだ若者には負けんぞい、と少しだけライバル意識を持ってしまう。
    そういうところで張り合っても何の得にもならないのだけれど、そのおかげで、私は10kmを走ることができた。

    10kmの記録
    1kmごとのスプリット
    心拍

    外で走るのと、トレッドミルに乗って走るの、どっちが好きなんだろう、ということを考えながら走った。
    どっちも一長一短あるけれど、気温があまり高くない日だったら、外で走る方が気持ち良くて好きだな、と思う。
    そうだ、走っていても、木々が風に合わせて揺れ動く姿や、音もなく信号の色が変わる様子が目に入ってくるので、そういう、いわゆる風景を見るのが好きなんだな。
    トレッドミルでは前にテレビがあり、自分の好きなチャネルを観ながら走ることもできるんだけど、幸か不幸か私には好きな番組がないので、一度もつけたことがない。
    それにテレビを観ながら走るなんて、どうも二つのことを欲張ってやろうとしていて、好きじゃないんだよな。音楽は聴いているけれど。
    そうだ音楽。私は音楽を聴きながら走るのが好きだ。
    いわゆるロックが多く、それを聴きながら走っていると気持ちが軽くなったような気分になれる。

    ランニングが好きで良かったなー、と思う。
    ランニングを毎日やっても、痛くならない膝と脚に感謝したい。

  • 6月15日 それが欲しい、という

    6月15日 それが欲しい、という

    久しぶりにJavaの勉強に手を出している。
    久しぶり、というのは数日ぶりくらいの間隔、感覚で、私みたいにおじさんになってからは記憶することの劣化が激しいから、こういうのはこまめにやっていかないとすぐに忘れてしまう。

    何かを作りたいと思っているわけではないのだから、そういう点でモチベーションになりづらい。
    強いて言えば、仕事で使うことがありそう、という点だけで、果たしてそれが強いモチベーションになるかというと、そこまでではない。現状、できていなくても仕事は回せているのだから。

    だけど、私の心のどっかにエンジニア志向のようなものがあり、プログラムをかける人ってカッコ良い、みたいなところがあるのは確かだ。
    今、机の隣にある本棚にはJava入門と、Python入門が鎮座している。

    人は、何かに強く興味を持つと、「ただそれを深く知りたい」というのがシンプルにモチベーションとなり、それこそ寝る間を惜しんで学習したりする。
    時には寝食を忘れるほどで、それが良いことなのか悪いことなのか私には分からないけれど、少なくとも「昨日の自分より成長している」という点では、良いことのように思う。健康を損なわない程度であれば。
    私にはそんな機会、しばらく訪れていないのではないだろうか。
    別にそれが欲しい、というわけではないが、それほどの情熱を注げるような物事にここ数年、出会っていないかもしれない。
    それにはなにか理由があるように感じる。
    学習であれば、自分の時間を優先するという点で、家族と過ごす時間が減るというデメリットがある。まずそこが頭に浮かんだ。
    家族と過ごす時間はもちろん優先されるべき事項だ。それは私の価値観になっているから。
    つまりそれに勝るような物事に、出会っていないというべきか。
    いや、待て、去年までハマって行ってたソロキャンはそれに該当するだろう。家族と過ごす時間を割いてまでも、行ってたのだから。抗うつ剤を飲むようになってから、なぜかそちらに気持ちが向かなくなってしまい、行っていないのだけれど。
    または、ランニングとか。これも自分一人で過ごす時間である。

    こうして考えてみると、家族との時間を割いてまでやりたいようなことがあまりないんだなー、と思う。良いことなのか、悪いことなのかは分からないけれど。
    そこまで情熱を注げることのできるような、Javaを使ったプログラムがあると良いのだけれど。

    あとは小説とかね。最近書いてないなぁ。ここで日記を書いているせいか、アウトプットするカロリーがここで使い果たされている気がするんだよなぁ。