投稿者: hmgrbean

  • やり場のない、暴発してくれないかなという思い

    ここのところ、仕事に対してだいぶやる気を失っている。
    やる気というのは後からついてくるものだから、最初に自分の中で締切みたいなものを設けてしまえば、自然と危機意識が生まれていつの間にかやる気が出てくるだろ、とある程度経験則みたいなものがあるのでそれを活用しようとしたが、そもそも締切を設定しようとする意識に対して抵抗する別の意識が生まれてしまい、あーだめだこりゃ、ということで午後をお休みして昼寝した。

    私は今の日本で「普通」と言われる社会生活に適合していないかもしれぬ。
    私は今の会社でもらっている給料ほどの働きをしているように思えぬ。
    私は父として、家族の前で生きるほどの価値を齎しているように思えぬ。

    数々の自分を否定する思いが、頭の中に浮かび、柔らかな私の脳に手刀で傷をつけていく。
    彼らは一見柔らかそうな感情に見えるが、エッジはとても鋭いので、手刀で十分に私の脳を切り裂いていってしまうのだ。
    そして彼らはいったんどこかへ消え、また新たに浮かび上がってきて、傷の癒えていない脳に対して別の傷をつけていくのだ。

    そんなことはやめてくれないか。
    そもそも、自分で自分を傷つけることに、なんのメリットがあるというのだ。
    私は私に訴えかける。
    訴えかける相手が私なのだから、その答えは自分が用意するのだろう。
    だけど私には想定できないような答えを、いつの間に覚えたのか知らないが、私は放り投げるのだ。

    いっそのこと、爆発して消えてしまえば良い。
    私は、その瞬間に感じるであろう痛みが怖いから、それに踏み切ることができない。
    もしそれが私の妄想で、もし、全然痛いのないものだとしたら。

  • みんな、それぞれの目線で空を見ている

    みんな、それぞれの目線で空を見ている

    長男が12歳になる日を迎えています。
    同時に、私は、父になって12年が経つという日になりました。

    長男も、次男も、日々、本当にすくすくと育っていくのが分かります。
    今イマで言うと長男は情緒が複雑になってきていて、いろいろな感情を持つようになりました。そしてそれを伝えるための言葉も覚え始めているように感じます。
    次男はまず身体の成長、そして長男と同様に、喋る言葉の種類が増えてきました。

    以前、私は脇役という役を演じるのが好き、という投稿をしたことがありました。
    脇役とは言え、それが自分の果たすべき役割なのだから、役割の特徴に関係なく、自分は責任をもって果たすべき、と思います。

    長男、次男、そして妻や私、たまたまひとつの家族というものを形成しているための要素になっていますが、みんなそれぞれ、違った高さで空を見てるんですよね。
    空というか、世界というか。

    家族として接する時間がとても長いからこそ、一心同体みたいな、私は家族みんなの一部であり、みんなも私の一部であるように感じるのですけど、それぞれ、別々の人間だということを忘れないようにしたいです。
    みんなそれぞれ、自分だけの社会を持っている訳だから。私は長男が友人たちとどういった交友関係を持っているか分からないし、基本的には干渉するつもりはないから、深く知ろうともしないのですけど。

    そんな誕生日に、長男、友人から誘われてどこかに出かけていきました。
    少しずつ、友人たちと過ごす時間が増えていきます。
    家に残された3人は、少しだけ静かになった家で、自分たちの好きなことをして過ごします。私は仕事ですけど。
    やがて次男も長男と同様に、友達と過ごす時間を増やしていくんだろうなぁ。
    どんどん自分の社会を広げてって欲しいなぁと願ってやみません。

  • 王子に住んでた頃の話

    王子に住んでた頃の話

    桜の季節には、飛鳥山公園へよく散歩しに行った。
    王子には23歳から26歳くらいまで住んでいた。

    飛鳥山は桜の名所として有名で、この季節になるとたくさんの人が桜を見に訪れた。
    私もその1人だった。
    今の奥さんとはその頃から付き合っていたので、2人でぶらぶら散歩していたのがつい最近のように感じる。

    あれから20年近く経つのか。
    王子を離れた頃を最後に、王子には訪れていない。同様に、飛鳥山にも行っていない。きっと、あの頃とあまり変わらずにたくさんの桜が咲いているのだろう。

    王子にはお気に入りの居酒屋やラーメン屋がたくさんあった。20代中盤の欲求を満たすには十分だった。私はもともと田舎育ちだし、あまり派手派手しい生活を好まなかったから、街の雰囲気がちょうど良かった。
    都電荒川線という、路面電車もその雰囲気に相まり、落ち着いた雰囲気により一層の色を添えていて、とても居心地が良かった。

    こうして、改めてその頃を思い出して何かを書こうとしても、特筆するようなイベントがなかったような気がする。
    歩くのが好きだったから、王子を起点に赤羽、上野、町屋、駒込辺りの範囲をたくさん歩いた。その辺のエリア、全部好きだ。
    今、もし東京都内に住めと言われたら、迷うことなくその辺りを選ぶだろう。
    そう言われると、王子自体に思い出があると言うよりは、王子を起点にして歩いたその辺りに思い出があるのかも知れない。
    ゆうやけだんだんで見た野良猫。
    赤羽の居酒屋。
    駒込の大きな公園と商店街。
    それらは、自分を構成する要素の一つひとつで、記憶の引き出しの、割と暖かな思い出が残っているエリアに大切に収納されている。

  • 置き忘れた自己肯定感を見つけるためには

    置き忘れた自己肯定感を見つけるためには

    仕事で、自分のできないことばかり浮き彫りになって、めちゃくちゃ自信を喪失した1週間でした。
    普通に凹み、改善の兆しが全く見えず、ただただ、日々をやり過ごす日々でした。

    こういう時は、たぶん、自分の出来る事に集中して取り組むことが必要なのかな、と思います。
    そう思って、騙されたと思って、描きかけの小説に手を加えたり、ランニングしたり、桜の美しさに胸を打たれたりして、とりあえず自分というものを取り戻せたような気がします。

    自分の機嫌は自分で取るしかないからさ

    例えば自分の機嫌がめちゃくちゃ悪かったとします。
    自分の思い通りに人生が進まない時に、人間は大抵機嫌が悪くなるものです。
    そこで、他人に自分が描く思い通りの人生を叶えてもらうのでしょうか。
    王様なら、お姫様なら、それで良いかもしれません。
    彼らは、王様やお姫様の機嫌を保つことが仕事なのですから、それがミッションなわけです。
    けど、私はどうなんだろう。私は王様ではありません。
    私のご機嫌を伺う人間は、残念ながらいません。

    だから、自分で自分のご機嫌を伺うしかないのです。
    自分が機嫌よくすごくためにはどうしたら良いのか、今の自分に聞いてみるしかないのです。

    自分が機嫌を取り戻すためにはいくつか方法があって。
    自分が機嫌を取り戻すための引き出しが、実はいくつかあるんですよね。
    それの取捨選択、めっちゃ厳選して、今の自分にとって一番良いのは何か、私が、私のために考えるのです。
    私の機嫌は私が取るしかないのですから、そこで労力を惜しむことは言語道断なんです。

    自分の機嫌を取り戻すために何が良いかわからない時は

    時々、自分の機嫌を取り戻すための正解がわからない時、いったいどうしたら良いのでしょうか。
    散々悩んで分からない時は、たぶん、自分の思考が十分に働いていない時なのでしょう。
    そういう時は、寝るしかないのです。
    寝ることで、頭の中が整理されるのですから、改めて起きた時に、良いアイデアが浮かんでいるかもしれません。
    急に走りたくなった!とか、本が読みたい!とか、ゲームしたい!お酒飲みたい!など、自分の欲求が具体化されていくんですね。
    睡眠って、疎かにすると後で痛い目を見るそうなので、大切にしていきたいですね。

  • 私だって

    私だって

    私の声が届かない。そもそも、私の声はそんなに大きくないんだった。
    この世界は、私の声なんて必要ないのだった。私が何を考えて、何を発言しようが、季節は移り変わっていくのだった。

    そんなことは4歳の頃から知っていた。

    真夜中、1人で散歩していると、ある人のことを思い出す。
    少し好きだったような、けど別に恋人になるほどでは、、と躊躇してしまう人だった。
    もしかしたらあれが「男女間に芽生えた友情」なのかもしれない。

    分からない。男女間に友情なんて芽生えないはずなのだ。
    そこに友情が芽生えてしまったとしたら、人間は、人間はいずれ淘汰されていってしまうじゃないか。

    私の足音だけが聞こえる。真夜中の散歩。雨が少し降っているから、余計に周りの音が聞こえにくくなる。車が車道を走る度に、水を切るシャーっという音を立てる。

    桜の季節は、まだあまり虫の声は聞こえない。
    ジー、っと一瞬だけ聞こえたが、あれはもしかしたら私の脳内で流れた雑音で、いや、雑音ではなく夏にやった花火の時に、最後に花火を水に入れた時の音だったかもしれない。
    もしかしたら、あれは、花火が放つ最期の声だったのではないだろうか。
    私の脳にこびりついて離れない、あの、一瞬だけ放つ、ジュッ、という音。

    また頭の中に男女間の友情が出てくる。
    信号が赤になった。青になるのを待つ。
    そこに友情が芽生えたら、子孫を残すという本能を否定することになるだろう。
    そうしたら、もしその考えが主流になってきたら、人間は子孫を残すことよりも、友情を分かち合う方に興味を持つようになっていくのではないだろうか。
    私は男女間に友情は無い、必ずどっちかが友情よりも大きな好意を持つに決まっている、と考えている。そしてその相手は、その好意を利用して、自分が機嫌良く生きるための手段としてその関係を保っているのではないだろうか。

    もしかしたら私は、彼に対して好意を抱いていたのかもしれないのだけれど、
    それだと彼は私を利用していたということになる。言い換えると私は彼に利用されていた。身体の関係には発展しなかったから良かったのかもしれないけど、その基準がまずおかしいだろう。そして何よりも、利用されていたという、「下に見られていた」ことに対して、私は納得できないし、それについては否定したい。

    考えすぎだろうか。考えすぎだろう。
    信号が青に変わった。私は横断歩道を歩く。
    パーカーが少しずつ雨に濡れていく。気づかないうちに、雨は少し強くなっていた。
    コンビニで350mlの缶ビールを買って帰ろうか、少し悩む。

  • 人生がうまくいかないなんて百も承知でした

    人生がうまくいかないなんて百も承知でした

    主に仕事関係で、うまくいかない感じのものごとが続いていて、心の居所、持って行き所がきちんと定まらない一日でした。

    知ってる。そんな一日があることなんて、生まれた時から知ってた。
    知ってたけど、知ってるんだけど、どうやってもおさまりどころが見つからない今日は、その場をしのぎつつ、とりあえずやっつけました。

    自分の思い通りにいく人生のほうが、もしかしたらつまらないのかもしれません。
    なるべくなら苦労派したくない、できるだけ楽して過ごしていきたい。そう願う人も多いでしょう。
    お金が湯水のように使えるような人生だった。もしかしたら仕事をせず、日々、自分のやりたいことをやって暮らしていく。宝くじがずっと売れ続けているのも、そんな生活を夢見ている人が多いからなのかな、と思います。

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    だけど人生は、そんなに甘くない。
    もしかしたら、生まれた家がそんな家で、いやーそうなんです、私、湯水の如くお金を使うことができるんです、という人は、こんなブログを書こうとは思わないでしょうね。
    私はそっちの人の心を読み取れないのと一緒で、そっちの人は私が抱える苦悩を知ることはできません。

    そっち側の人になりたいか、というと、ストレートにYesとは言えないんだよなぁ。
    多分ですけど、こういう苦悩があるからこそ、喜びの価値が見える気がするんだよなぁ。
    仕事は、お金を稼ぐための手段ですが、仕事から得られる喜怒哀楽は、人生にとって少しのスパイスになるかもしれないからです。

  • 過去は振り返らない、未来には期待しない

    過去は振り返らない、未来には期待しない

    相変わらず機嫌良く暮らしていくにはどうしたら良いかと言うのを考えています。

    ホント、ものすごい時間を使って考え続けているような気がします。
    それだけ時間を使っているのに、思いつくのは、新たなアイデアではなく、哲学書や心理学の本で書かれていることばかりなんですよね。

    多分、私には新しいアイデアを思いつく才能がないのかもしれません。
    それよりは、過去の人が築き上げた知識をかみ砕き、自分の中で浸透させるほうが好きなのだと思います。

    Ike louie Natividad at Pexels

    そう考えると、今の自分は過去の人が作り上げてきた礎を眺めながら生きてきたのだろうなぁ。
    そして私からは、残念ながら何も生むことはできない。

    過去を振り返ると、自分のできなかったところばっかりが浮き彫りになり、
    未来に期待してしまうと、今の自分がとても小さな存在に見えてしまうのです。

    それって、自分が機嫌良く生きたいというマインドセットに対して、真っ向から対抗しようとしてるよなぁ、と感じます。
    今の自分に満足するだけで、もしかしたら、未来って明るくなのかなぁ、とか、

  • 突発的な行動力はものすごく魅力的だが、慎重な人を否定するのもおかしい

    突発的な行動力はものすごく魅力的だが、慎重な人を否定するのもおかしい

    お前、週末どこ行ってたの?!急にいなくなるからびっくりしたわ。

    あぁ、、、急にワインが飲みたくなってさ、甲府まで行ってた。日帰りで。弾丸。ずっと飲んでずっと酔っぱらってた。

    急に思い立ってそんなすぐに行動できるのかお前!マジか。すげーな。交通費高いな、とかせめて一泊したいな、とか、そもそももっとちゃんと計画したいな、とかなかったのか…

    そういうのめんどくせーんだよね。ワイン飲みたかったし、それで十分じゃん、と。あ

    世の中には用意周到に計画を練る人と、考えるよりまず行動!という人、2種類がいるように感じます。
    論じる前に、まず、これは価値観の問題だから、どっちがいいか、ということではないです。私自身も、両面の良さを理解しているし、どっちにもなりたいと思っているからこそ、それぞれの考え方を理解できる気がするので、それぞれの思いを考えてみたいな、と思います。

    Photo by Rodolfo Clix on Pexels.com

    とりあえず行ってみようぜ、な人

    イギリスから、アメリカに渡った人と、オーストラリアに渡った人、みたいな比喩を見たことがありました。
    前者は、考えるよりもまず行動派。
    後者は、誰かの指示を待ち、思慮深く考えているうちに周りに巻き込まれてしまった派。

    どっちがいいという話ではありません。
    たぶん、世界は、両方の人がいるからこそ、成り立っているはずなのだから。

    前者、考えるよりもまず行動、という人には、野心が見えます。
    自分の欲望をストレートに満たそう、というスタンスの持ち主。
    早死にしたとしても、「まぁ、私のやりたいことをやり遂げたからいいかな」と、満足感が高い気がするんすよね。

    もし、時期尚早で、行動だけ先走った場合、どうなるのだろう。
    行動から得られる満足感のせいで、もしかしたら後悔はしないのかもしれません。
    もしかしたら、こっち側の人は、たくさん失敗を重ねているかもしれないです。
    けど、それによって「次から控えよう…」ではなく、次も相変わらず突っ走ってって
    結果失敗してしまう、みたいなことになるので、学習はしないけど満足した、ってなるのかもしれません。

    しれません、と書いているのは、私はそっち側ではないから、あくまで想像で書いているからです。

    私はそっち側の人をうらやましいと思っていて、なぜなら、人生は機嫌良く生きた人の勝ち、という価値で考えた時に、そっち側のほうが機嫌良く生きられるような気がしているからです。

    慎重に生きることだって、決して悪くはないのよね

    別に、私たちのマインドセットをフォローするために書いているのではありません。

    けど、特筆したいのは、慎重に生きる人と、先に行動する人の、人生における優先度の違い、それをちゃんと言及しないと、このブログは終われないな、と思っています。

    慎重に生きる人は、自分にとっていかに「嫌なことが起きないか」です。つまり、何も起きないことが前提。
    一方、先に行動する人は、いかに「自分にとって楽しいことが起きるか」です。だから、苦難はあっても楽しんだ者勝ちなんですよね。

    つまり、相容れないんですよ。だから、比べるのがおかしい。
    プラマイゼロがいいのか、プラスに延びるのがいいのか。

  • 手帳にはむしろ、ふと気づいたことをたくさん書き入れておくべき。それが思い出帳になっていくから

    手帳にはむしろ、ふと気づいたことをたくさん書き入れておくべき。それが思い出帳になっていくから

    相変わらずバレットジャーナル的な手帳生活をしています。
    ToDoは平日、仕事のタスクに対して付けていることが大半なので、休日はあまり手帳に触れなくなりました。
    休日こそ、留めておくことが沢山あるように思うのですけどね。

    これとか。一生覚えておきたい瞬間でした。

    https://twitter.com/hmgrbean/status/1373107035835797508?s=20

    慌てて書き留める必要があるほどに、多くのことを忘れていってしまう

    とても愛らしい思いを忘れないうちにメモっておくのがとても難しいのです。
    ↑に載せたツイートは、私が運転している時に感じたことなのでそのタイミングで書き留めるのが難しく、家族には言いませんでしたが心の中で40回くらい思い出を反芻しました。
    そのおかげでなんとか忘れずに、数十分後にはツイートすることができました。

    ホント、忘れてしまうことが多くて困ります。
    忘れたくないと思えるようなことほど、すぐに忘れてしまうのに。

    人間はそもそも、どんどん忘れていく人間なのです。
    忘れていくというか、常に新しい考えがドバドバと湧いてくるから、古い記憶っていうのは上書きされていってしまうんですよね。
    バージョンがあって、例えば24時間前の自分に戻りたいと考えたとしても、そんなことは簡単にはできません。当然ですけど。
    だから、その瞬間に私が感じたことを、忘れないうちに、書き留めておく必要があるのではないかな、と思うんですよね。

    思い出を残すのって、ただの自己満足でしょ

    私がロマンチストなのかもしれません。
    現実に満足していない、という側面があるのかもしれません。
    実際にはだいたいのことに満足していて、ただ、過去の記憶をちょっとだけ取り出してそれを眺め、また戻すっていう思考が好きなだけなのだと思います。

    良い思い出はたくさん思い出すことで、忘れないように長期記憶のほうに書き込まれるものです。
    悪い思い出も、残念ながら何度も思い出してしまうので、忘れないんですよね。
    それらの、強弱の振れ幅が大きい思い出たちはきっと、私が意識していなくても忘れることがないはずなので、私はそれ以外の、本当に些末な思い出たちを手帳とかに書き留めて、忘れないようにしたいんだよなぁ。自己満足ですけどね。