投稿者: hmgrbean

  • 暇なのも良いけど暇を持て余すと逆に予定が欲しくなる

    暇なのも良いけど暇を持て余すと逆に予定が欲しくなる

    人間は無いものねだり

    去年の年末、溜まった有給休暇を消費すべく3週間くらいのお休みを取得しました。最初のうちはヒャッハー!な気分だったのですが、クリスマスを過ぎたあたりからは退屈になってしまって。有給休暇中にも関わらず会社PCを起動して未読メッセージをチェックする始末。

    もしかしたら私は、定年退職をしたらあっという間にボケてしまうタイプなのかもしれません。やることがないという状況を、シンプルに楽しむことができないので。ただ、自分のしたいことをすれば良いだけなんですけどね。そこに怠惰という気持ちがもしかしたら混ざっているのかもしれませんが、動く、という選択肢ではなく、動かない、という方向での時間の潰し方を考える必要があるのかと思います。

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    小さなタスクをたくさん持つこと

    それでは、何かやらなきゃいけないことをたくさん持つことで、日々の時間を過ごすことができるのではないかという考えについて。それ自体は良いことかもしれません。怠惰な気持ちを持つことなく、コツコツとやり遂げることは、もしかすると将来、大きな成果になる可能性があります。資格取得に向けた勉強をするとか。好奇心を持つことが、まず最初にあるべきかと思います。

    ただ、私は、タスクを持つことなく、日々、動かなくても楽しめる気持ちを持つことを育てたいです。なぜなら、そうすることで身体が不自由になり小さなタスクすらこなせなくなったとしても、日々を楽しむことができるからです。

    多分、その辺りは価値観が絡んでくる話なのだから、きっと正解はないのでしょう。小さなタスクの方を優先したい人だっているはずです。大切なのは日々、怠惰な気持ちを保つことなく暮らしていくことなのかなぁと思います。

  • 好奇心ってうまく付き合わないと損することもある

    好奇心ってうまく付き合わないと損することもある

    Tumberってあっという間に時間が溶けてくよね。

    めっちゃ分かる。

    この間、グダグダとTumblrのダッシュボードを見てたら、あっという間に3時間も経っちゃってて。明日仕事なのに!寝れない!とか考えながらまだダッシュボードをスライドし続けてるの。なんでああいうのってやめられないんだろうね。

    Tumblrはホントに時間の無駄だよな。とは言いつつ、俺も無限にダッシュボードをスライドし続ける時間がめっちゃ至福wwって感じることあんのよね。困るよなあれ。大好きTumblr。俺が死ぬまで残って欲しい。

    好奇心はどんどん時間を奪っていく

    好奇心は、自分を成長させてくれるとても重要な気持ちです。
    知らないことを知りたいという気持ちは、「成長したい」という気持ちの裏打ちでもあり、それを素直に認めないと自分が窮屈になってしまいます。

    一方で、好奇心の赴くままに知りたいことを知る活動を続けていくと、

    知らなかったことが分かる

    とても快感…気持ち良い…

    もっと知りたい…

    快感...


    が永遠にループすることになってしまいます。良いんですけど、良くないですね。
    ここが非常に難しいところです。

    好奇心を放し飼いにすると、生活に必要で重要なことが疎かになってしまうのよ

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    人間だもの、知的好奇心を満足させるのは、気力を得るために必要なことだと思うんです。

    だけど、それのせいで生活に重要な寝ること、食べることなどを疎かにしてしまってはいけないはずです。
    その天秤をどうコントロールするかが、人生にとってとても重要だと思うのです。
    本とかね、どこでも読めるし、ハマってしまうとあっという間に時間が経ってしまいます。

    多分大事なのって自分の価値観で、食とか寝とかを惜しんでまでも好奇心を満たしたいのであれば、そっちを優先しても良いのかもしれません。
    長い目で見るとそれは自分を苦しめることになってしまう場合があるので、健康には注意したいものです。

  • 酒と浦島太郎の話

    酒と浦島太郎の話

    産業革命の頃、安くて質のあまり高くないジンが沢山出回ったそうだ。
    それが、現代社会では、ストロング系チューハイと姿を変え、中~低所得者層の疲れた心を癒している姿が、あの頃と同じだと言う。

    私は産業革命の時代を生きていないので、その頃のことは良く分からない。だけど酒が自分の心を癒してくれるという感覚については、完全に同意する。
    酒が必要なほど心を痛めている人は、痛めている根本原因を見つけて絶やそうとはしない。

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    酒は何も解決してくれない

    分かっていることについて書く。
    私はそれを十分に理解しているつもりでいる。

    酒は、気持ちをぼんやりさせ、現実から目を背けさせてくれる。
    それは数時間だけの夢見心地であり、酔いが醒めたころには現実に引き戻される。
    未成年者、もしくは酒が飲めないタイプの人は、浦島太郎が竜宮城に訪れた時を想像してもらえれば良い。
    彼は散々良い思いをした後、地上に戻ったらお爺さんになってしまっていた。
    おそらく20代、いやもっと若い時代だったかもしれない。
    そんな彼が竜宮城から帰ってきたら、お爺さんになってしまっていたのだ。現実は甘くない。

    お爺さんになってしまった浦島太郎は、後悔しただろうか。
    そうなることをあらかじめ知っていたら、竜宮城に行かなかっただろうか。
    現実が嫌で、早くお爺さんになり、最期を迎えたいと願っていたとしたら、あの展開はその願い通りであろう。
    もしかしたら浦島太郎は、それが乙姫からもらった贈り物で、心底欲しかったものかもしれない。
    だとすると、あれは悪い話のように思えるが、浦島太郎の願い通り、ハッピーエンドということになるだろう。

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    酒を飲んで考えること

    酒を飲み続け、酔いが回ってくるに連れ、次第に自分の考えについて制御できなくなってくることがある。
    私はそれを思考の爆発と勝手に名付けている。
    たまに、それが良い爆発を見せることがあって、英会話が捗ったり、小説が沢山進んだりする。
    現実から目を背け、右脳と左脳に良い効果をもたらしてくれるのかもしれないが、良く分からない。
    ただ私の中ではそれは全体の2割程度で、残り8割はあまり記憶に残らない、散漫な思考をしたりする。
    ぼんやりした頭の中で考えることも、たまには良いものだ。
    あまり実にならないが。

  • チームワークと、仲間を信頼すること

    チームワークと、仲間を信頼すること

    私は柏レイソルというサッカーチームを応援しており、スタジアムに足を運ぶことがある。

    実際に見るスポーツ選手の躍動感は圧巻だ。彼らがいかに本気で取り組んでいるか、現地にいるとそれが肌で感じられる。
    選手によって熱意に差があったりもする。
    熱意は顔に現れる。
    が、一見すると無表情に見えるプレーヤーも実はそれが顔に出ていないだけで、内面ではどう考えているか、計り知れない。そのようなプレーヤーの熱量は、インタビューした時の言動で感じられたりもする。

    チームワーク

    ご存知の方も多いと思うが、サッカーは11人でプレーするスポーツだ。
    11人。1人のゴールキーパーと、残り10人のフィールドプレーヤーだ。
    サッカーのフィールドはとても広い。意思を疎通させるには、大声を出して仲間に気づかせないといけない。
    90分ずーっと大声を出し続けるのは無理だから、アイコンタクトを取ったり、腕を振り上げある一方を指したりし、仲間に要求したりする。

    そしてその辺り、チームとしての動きを十分に浸透させるには、それに対応するための十分な練習が必要となる。
    彼らは、試合に向けてたくさんの時間を使って練習する。その中で、試合を想定した攻め方、守り方、そしてそれらを連動させた動きなど、複雑な練習をしたりしているのだろう。
    そんな風に、地道な練習を繰り返し、チームワークとは何かを身体に刻み込んでいるのだろう。

    大谷秀和という、キャプテンの存在感

    柏レイソルには大谷秀和という選手がいる。ユース時代を含めると20年以上柏レイソルに在籍する、いわばバンディエラだ。彼はすでに30代の後半を迎えており、世代交代を感じさせつつも、相変わらず試合に出ている。
    スタメンで出たり、後半から出たりするなど様々な出場機会がある。

    彼はボランチという、中盤から少し守備よりのポジションだ。
    彼に期待されているのは、落ち着きと安定感だ。
    彼の統率力は立派で、フワフワした試合展開の際に彼が登場すると、急激に落ち着きをもたらしたりする。
    おそらくそれまでの試合展開で彼が感じとる中で、ツボを心得ているのだろう。
    入るとほかの選手たちにささっと指示を出す。
    それだけでチームの雰囲気が急に変わったりする。
    実際はネルシーニョという監督から大谷選手が何か指示を受け、それを選手に浸透させているのだろう。だから、監督は大谷選手を信頼していて、そして大谷選手は監督からの指示を聞くことなく、監督がどのような要望を持っているか、聞かなくても分かる状態なのかもしれない。

    まだまだ彼に期待することは多い。ずっと柏レイソルの選手として戦い続けてもらいたいものである。

  • 草花たちは「春が来た」と肌で感じることができる

    草花たちは「春が来た」と肌で感じることができる

    ベランダで飼っている盆栽や観葉植物たちが、茶色一辺倒だった冬の時期を過ぎ、少しずつ芽が出るようになってきた。
    新しい葉をつけ始めると、彼らが生きていることを実感する。

    新しい葉が出てくるこの時期は、彼らを見るだけで元気が出てくる。
    日本は1月と4月に、新たな気持ちを持つ時期がやってくる。
    その、二つがあることに感謝したい。

    4月の存在感

    日本だけだろうか、その季節に「新しい」という意味を見出しているのは。良くわからないけれど。
    桜の咲く季節で、何かを始めるのにちょうど良い気候だから、昔の人は4月をその時期に設定したのかもしれない。
    そしてその風習は私の中にもきちんと備わっていて、この季節になると、なんとなく嬉しくなってしまう。

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    社会人になると

    だけど社会人になると、当然だが4月はただの、12月あるうちのひとつという感覚になってしまう。
    4月になっても環境は変わらず、新しいことを始めようという気持ちが芽生えるようなことはないのだ。

    まぁ、それはそれでしょうがないのだろう。職場は学校ではないから、4月になるからと言って定期的に配置換えを行うようなことはしないからだ。している企業があるかもしれないけど。

    だからこそ、私は、ベランダに棲む観葉植物たちのことを観て、そういう気分を得るのかもしれない。

    彼らは生きているために、葉を身に付ける。シンプルに、彼らの生を全うするために、葉を身に付けているだけなのだろう。だから、彼らは私がそんな気分に浸っていることを知らない。
    知らないからこそ、良いのかもしれない。

  • 機嫌良く過ごすためには、不安を取り除くよりも共存することが必要なのかな

    機嫌良く過ごすためには、不安を取り除くよりも共存することが必要なのかな

    常々、機嫌良く過ごすにはどうしたら良いかを考えている。最近のヒットは妄想に反応しないこと、それによって平常心が生まれ、心のバイオリズムが激しく波打つような事象から避けることができる、ということ。

    それを突き詰めて考えていくと、つまるところ妄想の根本は自分が抱く不安にあり、それならば不安を除去すれば良いのでは、と考えるようになった。

    次から次へと湧いてくる不安

    なかなかなくなってくれないものである。心配性なのかもしれないが、至るところに不安を抱えている。平穏に過ごすことはこんなに難しいのか。おかげでこのブログ投稿も捗ってしまう。

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    多分考えすぎなんだと思う。いつまで経っても消えないのだきっと。最終的には、不安がないことが不安、という境地に至るような気が、しているというか、確信に近い思いを抱いている。

    だからこそ一緒に暮らす

    人によるのだと思う。

    不安は、いつまで経ってもなくならない。当たり前だ。順風満帆すぎて退屈になり、なにか不幸を起こしたくなるような衝動に駆られたとしよう、それだって「安住することに対する不安」が根本にあるのだろう。

    であれば、考え方を変えてみる。不安は、不安に違いないのだけど、それを不安と捉えても、それはそれ、として受け流すことだって必要だ。命がなくなるような不安、なにかトラブルに対する予兆なのであれば流石に見て見ぬふりをするのは難しいけれど、重要性の低い不安、それがトラブルとなり現実になった時のインパクトが低いと考えられるのならば、あえて無視する、というか一緒に暮らすことが必要なのではないだろうか。

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    そうやって不安と共存することを覚えていけば、だんだん、自分の中での不安に対する基準が生まれ、ある程度許容することができるのではないだろうか。これをあえてブログにするということは、そう、私はできていないのだ。だからいつまで経っても心が小さい男のままなのである。

  • 好きなことを仕事にするのは、正解か否か。

    好きなことを仕事にするのは、正解か否か。

    結論から先に言うと、価値観による。

    仕事=楽しい、好きのようなポジティブな考えを持つ人は、おそらくこの問いは正解と考えるだろう。
    だけど仕事=楽しいものではない、と考える人だっているのだ。
    天職に出会っていない、という言い方が正しいのかもしれない。

    天職って、なかなか見つからない

    そもそも天職ってなんだよ、という話ではあるが。
    私の考える天職とは、ずっと続けていてもくたびれない作業で、そしてそれがお金になる職業のことである。そんなうまい話、なかなか見つからない

    そもそも自分の中で、「ずっと続けていてもくたびれない作業」とはいったい何か。私は、全くもって何も思い浮かばないのである。天職が見つかっていないのか、そもそも天職がないのか、分からない。こうして文字をタイピングしているのはくたびれないので、もしかしたらこれが天職かもしれないが。

    こうして毎日ブログを投稿することができているのは、もしかしたら一つの天職になり得る可能性だってあるだろう。だけど私の中で、それが、お金につながるとは思っていないし、そこまで大それた文章を書けている自信だって無い。だけど一つ言えることは、毎日続けていくことで、何かしら自分の中でひらめきが生まれるかもしれないということである。

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    根底にある、毎日続けることという、基礎体力について

    天職については上述の通り自分のひらめきを待つことで、見つかる場合があると書いた。その、見つけ方であるが、単純に日々の生活を続けていて急にひらめくことがあるだろう。だけど、個人的にはそれは稀だと考える。なぜなら、日々の生活は、ほぼ何も考えずに過ごしているからである。それよりは、自分の好きな行為をわざわざ意識して行うことで、それを通してひらめくことができるような気がする。これ、私、続けてるけどくたびれないよな、と気づくためには、毎日続けるという基本的な姿勢が必要だと思う。

    そう考えると、毎日続ける気力や体力のある人は、天職に就きやすいのかもしれない。毎日続けることができれば、それが自然と天職であると認識しやすいので、なおさら気づきやすいような気がする。

    私の転職ってなんだろう。私はこのブログ投稿を、趣味として、遊びの範疇で続けているのだが、いつか、お金を稼ぐ日が来るのだろうか。

  • 今日の振り返りが、明日への糧になるように、前向きになって考えてみる

    今日の振り返りが、明日への糧になるように、前向きになって考えてみる

    どんどん仕事が忙しくなってくる。

    日々、資料作り、会議の段取り、調整事、あっという間に時間が吸い取られていく。

    私は何かしら成長しているのだろうか。

    私が今持っているスキル内でなんとかなっているもので、ゾーン状態には感じていないので、おそらく、あまり成長できていないような気がする。
    それでも良いのだ、たまには。
    上司から指示されたことについて抜け目なく遂行出来ているのだから、上司へ向けた承認欲求は高まっていると感じられる。

    今日を振り返ることの大切さ

    しかし、自分の成長はできていないとしても、日々、自分のやったことを振り返る時間は必要だろう。
    最近はほぼ日手帳でバレットジャーナル化しているので、今日やったことの結果をまとめ、明日に向けて手帳を終わりにする必要があるのだ。
    朝から夕方まで、あっという間だった。
    一瞬で終わってしまった。
    記憶に残らない思考や言動、妄想など沢山あったように思う。
    それらをゆっくりと思い出すことで、明日への活力を見出すことだってできるのではないだろうか。

    振り返った収穫は、きっと明日への糧になる

    めちゃくちゃ前向きな姿勢で描けているので、多分、まだ仕事への気力は高いのだろう。

    今日振り返って、うまくいったことは明日以降の仕事に対するモチベーションになるし、もしうまくいかなかったことがあったら、それも同じように、次はちゃんとやろうという気持ちを持つことで、モチベーションにつながってくる。

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    多分、私には希望が見えているのだ。今日より良くなろう、という希望を。
    うまくいかなかったことについて、ぼやくことで現実から逃避できるかもしれない。
    ぼやきながらお酒を飲む、これだって立派なストレス発散だろう。
    それでストレスがゼロになり、また明日からリセットして頑張ろう、というスタンスなのであれば良い気がする。
    だけど私の場合、根本治療をしなければ気が済まないタイプなので、お酒を飲んで現実逃避をするということが、実は性に合っていないのではないだろうかということに、最近になってようやく気が付いた。
    お酒は人を選ぶのだろう。
    私は、現実から逃避するためというよりも、ただ酔って良い気分になりたい、という目的がふさわしい気がしている。

  • 相手に期待することのリスク

    相手に期待することのリスク

    仕事やプライベートに関係なく、人間は他人に期待してしまう。
    業務を渡したからと言って、相手は私ではないのだから、私の期待する100%で応えられるとは限らないのだ。
    だけど、期待してしまう。
    自分の思い通りに仕事を進めたいからこそ。
    そこに大きな間違いがあるというのに。

    大きな間違いというのは、「誰の問題か?」という点をきちんと考えなかったということである。
    私は、結果的には相手に期待したことになり、それが失敗を招いたということになるのだろう。
    幸いなことにまだ取り返しの付くことなので、課題解決を明日に引き伸ばし、とりあえずモヤモヤしている今の気持ちを整理したい。

    何度も自分に言い続けたい、「相手に期待するな」と言うことを

    私はまだ、揺れ動いている。
    今日、ある人に電話をしたら不在だったので、折り返しの電話をもらいたい旨を伝えていた。
    だが、向こうの伝達が悪かったのか、折り返しの電話は返ってこなかった。
    気になって改めて電話すると、「本日はすでに退勤した」とのこと。

    私はそこで軽く嫌味を言い、明日、改めて電話をもらえるように伝えた。
    私はものすごく機嫌が悪かった。
    仕事なんだから、ちゃんとその人に伝達して欲しかった。
    仕事なんだから、ちゃんと折り返しの電話をして欲しかった。

    仕事なんだから、というエクスキューズは、本当は考えるべきではないのだ。
    仕事だろうと何だろうと、相手に期待してしまっているのだから。

    それは誰の課題なのだろうかという、課題の分離について

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    嫌われる勇気という本が好きで、基本的にKindleでしか本を読まない私だが、それだけはわざわざ紙の本を買ってしまった。
    その本を読んで開眼したというか、私が塞ぎ込んでいた部分が開放された気がしたからだ。

    そこに書いてあった、「課題の分離」ということについて考えたい。

    課題。私が折り返しの電話を要求したのは、結局のところ、誰の問題なのか。
    今回を例に挙げると、折り返しの電話をお願いした先は近所の教育機関である。
    担当者からの電話は、私の子供に関する話だった。
    担当者から電話が来ないと、私の子供に関する課題が解決されないのだ。
    そう考えると、私の子供が最大の当事者ということになる。
    そして、私は保護者という立場なので、私もその課題解決に加担する必要がある、ように思う。

    だとすると、もしかしたら私は、担当からの折り返しを待つことなく、相手と話ができるまで電話をし続ける必要があったのかもしれない。
    私は気長に、折り返しの電話を待つという選択をしてしまったので、この結果を招いたのだ。

    もし今日中に話せなかったら解決しないという問題であれば、私は電話し続けたんだろうな、と思っている。
    そこに、重大性の考慮によって「気長に待つ」という選択をした背景が思い浮かぶ。

  • 自分に自信がないことを、思考プロセスの矯正によって直そうとしたけれど、やっぱ難しい

    自分に自信がないことを、思考プロセスの矯正によって直そうとしたけれど、やっぱ難しい

    2月が終わった。

    毎度のように、毎月、本当にあっという間に終わっていく。
    手帳で2月を振り返ると、これも毎度のように、仕事が7割くらいを占めている。
    残り3割がプライベートのような感覚だ。
    ワークライフバランスをきちんと見極めましょう、と会社から推奨されているが、良くも悪くも在宅勤務が基本的なワークスタイルになっているので、より一層仕事へのウェイトが強くなったように感じる。

    君はそれを「無駄」と呼ぶ

    2月は28日しかない。
    そのため、他の月よりも早く終わってしまう。
    なんとなく損した気分になるのはきっと、無駄に過ごす時間が多いからなのだろう。

    何が無駄なのか。
    自分にとっての経験は、一つも無駄ではないはずだ。
    私はそうやって、自分が起こす行動の全てに意味がないと考えているのだ。
    いつもそう。
    そうやって心に鍵をかけるのだ。

    自分が、自信を持つことを否定しているのだ。

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    なぜ、自信を持ってはいけないのか

    なぜ、自分の行動に対して胸を張って「意味のある行動をしている」と言えないのか。
    私は数年かけて、理想の自分というハードルを下げてきた。
    そうすることで、今の自分を肯定するためだ。
    肯定はやがて鮮やかに私の心を潤してくれると信じてきた。
    そしてそれはなんとなく、自分の中を満たしていくように感じていた、

    のだ、

    が、

    こうして描く日々の雑感の中で、随所に「自分は自信がありません」といった観点の書き方が生まれてきてしまうのだ。

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    思考プロセスの矯正というのは難しい。
    というか、不可能なのかもしれない。
    いつも自分は何に対しても自信がなくて、だからこそ自信に満ち溢れたような人間に対して憧れを持っていて。
    私は、いつまでたっても自信を持っていない私を受け入れようとしないのだ。