投稿者: hmgrbean

  • 4月2日

    4月2日

    地獄なんてあるもんか。
    死んだらそこで人生は終わりで、そのあとの意識なんて何にも残らなくなっちゃうんだから。
    だって、意識って脳の中で起きる電気信号なんでしょ。

    だけどちょっとだけどちょっとだけどちょっと怖いな。

    それじゃあ、鬼って誰が作ったの?
    鬼はもう死んでる人なの?
    鬼はなんで、あんなに怖いの?

    少年は問い続けた。
    誰も答えのできないような問いを、少年は思い続ける。

    きっと死ぬ瞬間は、霧が晴れてパッと太陽が出てくるような、とても清々しい朝のようなんだ。
    じゃないとおかしいだろ。
    この世に生まれた瞬間だって、たくさんの光に包まれていたんだから。

  • 4月1日

    4月1日

    柏レイソルはまた負けた。開幕してから1度も勝っていない。

    こうなってくると責任は誰が取るんだ!という風潮が出てきて、日本人だなぁと感じる一方で、だからって監督を変えて上向きになりますか、っていうとそれはまた未知数なんだよな。

    私はネルシーニョ監督以外、あまりよく知らないので、それじゃ誰がいいんだって時に名前を出せないが、ネルシーニョ監督のおかげでいい試合を見させてもらったところもあるので、うまい感じに落ち着くと良いなぁと楽観視したりしている。

    昨日、現地で観戦し、負け試合を見たせいだろうか、今日はずっと眠く、怠く、あんま調子の良い1日とは言えなかったなぁ。
    今日は早く寝よう。

  • 3月31日 仕事の話

    3月31日 仕事の話

    システム開発の品質を考える仕事についていると、常に不安と戦っているような気分になる。
    リリースしたあとに、システム障害が出るかもしれないという不安。
    その不安を払拭するために、様々なテストを考えて、事前にそのリスクを取り除く。

    けどどんなテストをしたって、システム障害が出る時は出るんだよな。
    テストでは不具合がないことを証明できない。システム障害のリスクを限りなくゼロにしましたって観点でしか貢献できない。
    その時に、真っ先に「どうなってんだー!」って言われる人。
    手を替え品を替え、こちらとしては思いつく限りのテストをしましたよ、って体なのにね。
    もっと自信を持ったらいいのかな。

    一方で、

    辛い商売だな、とふと感じる。
    システム障害が全く出ないような、安定したシステムになっていくと、品質を考える人は不要でしょって要員整理の対象になるから。
    つまり自分の首を絞めるために、仕事をしているんだよな、と。

    もし、そんな、安定したシステムを作り続けられるような会社になったら、その時は自分の居場所がなくなってしまうかも、みたいな。
    そしたら別の、安定したシステムを作れない会社に入って、またゼロから組み立てていくのかもしれない。

  • 3月30日 プライドについて考えてみた

    3月30日 プライドについて考えてみた

    プライドが高い人ほど、偏見を持ちやすいように思う。
    自分の中で固まった固定観念があり、それをベースにして物事を考えることが多いと思うから。

    プライドって邪魔なものだろうか。
    誰にでも分け隔てなく接し、自分よりも相手を立てる人がいる。
    そんな人の周りには人が集まってくるし、信頼されていることが多い。

    私はそんな人に憧れている。

    そんな人の、プライドについてちょっと考えてみた。
    彼らにもプライドはあるはずなのだ。
    プライドを持つことによって自己肯定感が生まれるから。
    自信を持つことにもつながるような気がする。

    うーん。

    私の中で考えがあんままとまってない感じがする。ハードルを一段下げて物事を考えてみたい。

    このブログを書くに当たり、当初「プライド=悪」という構図を考えた。
    その等号は、プライドを持つと他人の意見を聞き入れる時に、偏見を持って聞いてしまうから、という理由を考えた。
    だけど、プライドを持ちながらも、人の意見をきちんと聞くことができる人だっている。少数派かもしれないけど。
    また、プライドを持つことで自分に自信が生まれる。
    私はここで生きてっていいんだ、働いてっていいんだという自信は、自分の存在意義を明確にする。
    これって結構重要なことで、自己肯定感の低い人、自分に自信が持てない人は、その先に「生きづらい世の中」が待っている。
    そう考えると、プライドって別に悪そのものではないよな。自分を支えてくれる味方のようなものだから。

    いや、別に否定するつもりはないんだよな。
    上述した通り、私はそんな人に憧れているのだから、なるべく自分の意見を持たずにニュートラルな視点で他人の話を聞こうとしていて、けどそれが仇となって自分に自信がないように感じているので、プライド、自信を持つ、ということと、プライドを前面に出さずに周りの話を偏見を持たずに聞くことのどっちを優先するかということなんだと思う。

    プライドを持ちつつ、なるべく偏見を持たずに暮らすというのが、今の自分の最適解なのかもしれない。

  • 3月29日

    3月29日

    好きなものに囲まれて暮らすことが、どんなに幸せなことかと。

    物欲って絶えないんだけど、ちょっと胸に手を当てて考えてみよう。
    今、自分が持っているもので十分なんじゃない?
    今あなたが持っているものを買った時の気持ちを思い出してみよう。
    それが手元に届いた時はどんなに嬉しかっただろうか。

    わかってる。この世界は物で溢れている。
    あなたの物欲をどうすれば刺激できるか、企業の人たちはものすごく考えている。
    あなたが買うことで、企業にお金が入り、また新しい物欲に向けて商品を作るのだから。

    それを企業努力と呼ぶのであれば、この世は余計なものまで努力が注ぎ込まれているような気がして仕方がない。

    だけど、だけどね。
    あなたが今持っているもの、それで十分満足なんじゃない?

  • 3月28日

    3月28日

    大雨の降る空間の上には、太陽が燦々と輝いていると気づいた時に、私の知ってる世界は一部分だけで、その、言わば「無知の知」と言えるような気づきに、私の脳を伝わる電気信号のスピードと密度が上がったような気がした。
    一時期、「アハ体験」と呼ばれたことがあったが、人生において何度かその、脳がアップデートされる瞬間がある。
    おそらくそう思ってるだけで、実際には何も変わっていないだろう。
    私の場合、パキッとした音と共に、ぐわーっと脳がぐるぐるし出す感覚。

    人生において、何度もない機会。

    私は私の意識で生きていて、他の人は他の人の意識の中で生きていることに気づいた時とか。
    みんなそれぞれの人生を歩んできて、いろんな経験をして今のみんなができていると気づいた時。
    それに気づく瞬間、なんか適切な言葉があった気がする、忘れたけど。

    ちょっと脱線するけど、「子供は親を選んで産まれてくるのか」という話。
    私は、意識は後天的に出来上がるものだと思ってる派なので、子供が持つ意識はその親、ないし教育のために近くにいた人から培われるものだから、そう考えると子供は、周りにいる人から唯一無二のものとして作られる。だから、同じ意識を持ったまま、別の親の元で育つということはあり得ない。だから私の答えはノー。というか、親を選ぶという意識はそもそも存在しない。

    難しい。私の意識は、ただ、脳の中で動いている電気信号なのだから、その電気信号のOUTとINを結ぶ経路は私の経験によって作られているはず。その経路は、私が抱いた感情によって徐々に作られていくのだとすると、親とか、周りの人から受けた感情を元にして唯一無二のものとして作っていく。
    その思考回路の癖こそが、まさに私を表現していて、それが個性と呼ぶのかなぁ。知らんけど。

  • 3月27日

    3月27日

    ストレスとうまく付き合う方法、みたいな本をたくさん読んできた。
    この、「たくさん」というところがポイントで、僕はこのストレスというものにめちゃくちゃ気を遣っており、そしてこのストレスに気を遣うことに対してストレスを感じている、という、なんとも負のスパイラルな状態が出来上がっている。

    そもそもストレスと「うまく」付き合う方法なんてないのだ。
    受け流すか、根本治療としてその原因をなんらかの方法で取り除くかの二択しかないのだから。
    受け流すための方法を、つらつらと書いてある本ばかりで、受け流し方は千差万別、ランニングするのも良し、たくさんご飯を食べるのも良し、これは人それぞれなのだな、と言うことにようやく気づいた。
    つまり、どんな本を読んでみても、その「自分に合った受け流し方」を紹介しているだけで、その中から自分に合ってそうなものを選択し実行に移すための指南でしかない。

    その中でも、自分に合っていて、生活に染み付いているものを少し書いてみたいと思う。

    1. ランニング。これが今まで自分が味わってきた趣味の中で一番長く続いている。5km、30分くらい走った後の爽快感は確かに病みつきになる。調子に乗ってフルマラソンまで臨んだことがあったが、経験上20kmくらいまでで十分、それ以上は自分の身体を痛めつけるためだけに走るという感覚。
    2. 観葉植物。僕はマンションに住んでいるので、ベランダで育てられる程度しか植物を持っていないけれど、彼らがゆっくりと成長する様は、まるで自分の子供が成長していくそれを見守っているかのよう。
    3. 人付き合い。自分の器というものがあるので、広げすぎることはあまり得策ではない(自分が100人と友達になれるという自信がある場合を除く)。結局のところ人間は他人と関わり、誰かの役に立つことで生きている実感を得るような気がしている。誰も来ないような山奥で、ひっそりと一人で暮らす人を除き、自分のやれる範囲で社会生活を広げていくことも大切だと思う。

    ストレスを軽減するために一番良いことは、ストレスの原因を取り除くことである。
    なかなか現実って難しいんだけどね、、シンプルに逃げることももしかすると生きていく中では必要なことなのかもしれない。

  • 3月26日

    3月26日

    今日はレイソルの試合があったのでその感想でも。

    ルヴァン杯、予選、アビスパ福岡と柏レイソルの対決。

    こちらはフロートが2試合連続のスタメン、そして推しの武藤さんも久しぶりのスタメン。マオが日本代表戦に出ているのでその代わりといったら失礼ですが、ちょっと頼もしそうな布陣でした。
    いろんなところで叫ばれている通り柏レイソルは去年の8月くらいから勝ち戦を見ておらず、私はスカパー民ではないので中継を見ることができませんでしたが、現地で応援されている方々のツイートを見て一喜一憂しました。

    結果としては3-3の引き分け。
    まぁ、結果だけ見たら負けていないから良いというのもあるかもしれませんが、レイソルを応援している私からすると、勝てなかったか…という気持ちがひとしお。。
    先制し、2点差まで引き離したのにもかかわらず、手のひらからするりと勝ちが遠ざかっていきました。辛かった。

    辛いのは選手も一緒だと思いますが。

    一方、ツイッター界隈で見ていると監督解任論が多く叫ばれているのが目に付きます。
    確かに、上述した通り去年の8月から勝っていないことを考えると、そう思い至るのも分かるのです。
    私はどっち派でもなくて、というのは、監督を交代したからと言っても、それが勝ちに直結するわけではないからです。
    監督をシーズン中盤で替えると、切り替えのために監督の戦術を浸透させるのに時間もかかるし、数試合は我慢しなければいけないかも、というのもあるから。
    かといって続投派でもなくて、やっぱり今の戦い方だと勝ちに繋がりづらいのかも、と思えるのです。去年調子が良かった時に、他のチームからたくさん研究されてしまったのかなぁと思ったりも。
    まぁ、現実を受け止めて自分のやれる範囲で応援していくぜ、というスタンスに変わりはないのですけども。

    次は3月31日、ホームで浦和レッズ戦です。
    会社の同僚と見に行く予定。そのあと飲むつもり。ということでそっちの方が楽しみだったりもします。勝てますように。

  • 3月25日

    3月25日

    今日は期待以上に生きることができた。
    小さな喜びが、胸の辺りに、仄かに灯る。

    最近雨ばかりで、それだけを考えると気分が滅入ってしまうのだけど、家の中で暮らすことを考えてみたら意外とやれることが多いなって思って、その中から私の気分が上がることを優先してやっていったら、あっという間に1日が終わってしまった。

    こんな感じで、小さな喜びを心に積み重ねることで、私を肯定する私が生まれるんだなと、ちょっと思ったりする。
    それはまるでポイント生活みたいだ。スーパーのポイントカードのような。
    普段の買い物ではなんにも気に留めないようなことだけど、それを知らず続けていくと、500円のお買い物チケットに化けたりするのだから。

    もしかすると人間は、大きな喜びを得ることよりも、こんな瑣末なことで積み重ねていった方が、死ぬ時に、後悔せずに逝けるんじゃないだろうか。
    私は知らない間に大人になってしまったけれど、こんな「人生の真理」みたいなことに、なんで今まで気づかなかったんだろう。
    いや、本当は気づいていたのかもしれない。
    駅までの道すがら、越えなければいけない歩行者用信号が全て青だった時。
    夜明けごろに目が覚めてしまって、トイレへ行った後にたまたま見つけた朝焼けの色に気づいた時。
    ちょっと好きだった人と、音楽の趣味が合うと知った時。
    ガリガリ君の当たりクジ。

    もしこれから大きな喜びを得ようとして大きな壁にぶつかってしまったら、その壁を乗り越えるのに無理してもがくことよりも、壁の下に咲くタンポポを見つけてみよう。そのタンポポに癒されることで英気を養い、その力で壁を乗り越えられるのかもしれないから。

  • 3月24日

    3月24日

    晴れと雨、どちらも愛すことが、真理。

    少年は、晴れだけが好きだと言った。
    そんな彼は外で遊ぶのが好きで、雨だと遊べないからだと言う。

    確かに雨だと洋服は濡れるし、行動が限られてしまう。

    だけど考えてみよう。雨の後に訪れる晴れ間のことを。
    それは雨が降るからこそ、そのありがたみが分かるのだから。
    または、雨音のことを。
    あの独特な、パラパラという音は心を癒してくれるではないか。
    多分、むかーしむかし、洞窟の中に住んでいた頃、
    雨宿りをしている中で、ぼんやりと外を見ていた時の自分は、
    早くやまないかなぁと思う一方で、なんとなく心を落ち着かせていただろう。
    そうやって、人間は生きてきたじゃないか。

    別に晴れだけが好きっていうのも一つの価値観だからね
    それを否定するつもりは毛頭ないんだけどさ、
    もうちょい違う視点で見てみると、雨も悪くないなぁって思ったりするんじゃないかなぁ。