投稿者: hmgrbean

  • 7月31日 成長することについてその2

    7月31日 成長することについてその2

    昨日、人が学び、成長することについてブログを書いた。
    あんまりまだ自分の中では合点がいってなくて、それはなぜかというと、人は意識的に学ぼうとしなくても、無意識のうちに学習しているだろう、ということがあり得るからかもしれない。

    ちょっと視点を変えてみる。
    上述した「無意識のうちに学習しているだろう」という点について。
    例えば、私たちは時間を持て余した時にニュースサイトで最新のニュースを見たとしよう。
    最近ではニュースに匿名でコメントを載せることができるところが多い。
    そのコメントから、人の考え方というのを学ぶことができる。
    こんな感じで、何かから意識的に教わろうと言うもの以外から、人は吸収することができる。
    だけどここで、意識的に「人の考え方を学ぶ」と考えながらコメントを読むことで、意識的にその考え方を学ぶことができるはずだ。

    となると、学ぶことを意識することでより深く、そして意味のある学びを得ることができる。
    無意識的な学び自体も重要で、それがあることで意識的に学ぶことのきっかけを掴むことができるのではないだろうか。
    それをきっかけとして、意識的に深く学ぶことで、自分自身の知識や理解に組み込むことができるはず。
    さらに、自分の得た知識をベースに、一段階ステップを上げて、さらに深い分野へのドアを開けることになるだろう。

    人は意識的に成長することができる。
    毎日の生活の中で私たちが遭遇する無数の情報を吸収し、それをどのように自分自身の成長に利用できるかを理解する。
    無意識的な学びから、意識的な学びへと移行することで、より深く、完全に理解し、そして新たな可能性を開くことができる。
    学びは人間の基本的な能力なのかもしれない。
    意識的に学んでいくことで、そのプロセスを有意義で、充実したものにすることができるだろう。

  • 7月30日 成長することについて

    7月30日 成長することについて

    今日は暑かった。今日も暑かった。
    日曜日ということで、明日からまた始まる1週間に向けて英気を養うべく、少しだけ行動して、だいぶ休んだりした。

    今日はカレーを作った。
    ナスとピーマン、そして玉ねぎのカレー。
    夏野菜が安い時期なので、そっち方面のカレーにした。
    いつもじゃがいもとにんじんみたいな根菜ばっかりのカレーなので、たまに趣向を変えてみるのも良いものだ。

    人間ってマンネリが嫌いだからね。
    マンネリが嫌いなのはなぜなんだろう。
    ベランダにいるメダカはほぼずーっと餌を求めて泳ぎ続けている。
    たまに疲れちゃったりしないのかなとか思ったりするけれど、彼らの体がそういうふうにできているんだろう。
    話が脱線してしまった。

    マンネリが嫌いなのは、人間は成長する生き物だからだ、と考えたことがあった。
    だけどそれは意識の高い考え方なんだと思う。
    この世に生きている人間全てが、成長したいと考えているだろうか。
    成長したい、と考えていながら、本は読まず、余暇はスマホゲームに勤しみ、お腹が空いたら菓子パンを食べる人が、成長していると言えるのだろうか。
    多分、考えすぎなんだと思う。
    生きてるだけで丸儲け、と誰かが言っていた。
    成長するには、身体的欲求が満たされていなければいけない。
    満腹で、睡眠もバッチリ取れている快活な人が、成長に向けて新たな芽を伸ばしていけるのではないだろうか。
    私はどうなんだろう。

  • 7月29日 花火って、一瞬で出会いと別れを演出するんだよね

    7月29日 花火って、一瞬で出会いと別れを演出するんだよね

    近くで花火の上がる音がしていて、ベランダに出てみると二箇所から花火が上がっているのが見えた。
    一つは超有名なところで、もう一つはどこだろう、ちょっとわからない、と思ってGoogle mapで方角を見てみたら、埼玉県のあたりかな、というところまではわかった。

    花火に少し、思いを寄せてみる。
    大きな音と共に魅せる、一瞬の鮮やかな輝き。
    そのために何週間もかけて準備してきたんだろうな、と花火師の苦労なども考えてしまう。
    一瞬で消えるものに、なぜそんなに魅了されるのだろう。
    それは一瞬で消えるから良いのだろう。
    昨日書いた、別れについて、というところと少し近しい感覚。
    花火は一瞬で出会いと別れを演出するんだよね。
    その両方を体感することができるから、そしてそれを大切にしようという思いを持つ人が多いから、花火大会っていう規模で行われるのかもしれない。

    真っ暗な空に舞い上がる、大輪の花。
    時間の尊さ。一瞬で過ぎ去る刹那。記憶に留めておこうと思うけれど、いつもぼんやりとしか残らない不思議。むしろ露天商で買って食べた焼きそばや、ぬるい缶ビールの味の思い出の方が強い。

  • 7月28日 別れることについて

    7月28日 別れることについて

    さっきオフィスで仕事していたら、今日で最後なんです、と挨拶に来られた同僚がいてびっくり。
    彼とはちょっと一緒に仕事をした程度だったが、ご丁寧に挨拶されて返って驚いてしまった。
    正直なところ、彼がいてもいなくても今の自分が持っている仕事には影響がない。
    だから、辞めてしまったとしても、別に困ることはないのだけれど、
    それよりもまず、知ってる人が少なくなっていくのが少し寂しい。
    私は外資系の会社に勤めているということもあり、入れ替わりは激しいように感じる。
    だからこそ、なのかもしれない。こんな感じで知っている顔がまた一ついなくなってしまうのが、こんなに寂しいものだと。

    今まで何回の別れをしてきただろう。
    今生の別れと、そうではないもの(また会える可能性のもの)に分けてみると、圧倒的に後者の方が多い。
    だけど、私から意識的に「会いにいく」という行動を起こさない限り、その割合が50%ずつ、私の頑張り次第では左側に重心が寄っていってしまう。
    ではいったい、私は今「仮の別れ」をしている中で、何人に「まだ会いたい」と思っているか。
    実際のところ、片手で数えられる程度かな、と思う。
    これが、ドライと感じられるかは、聞いた人の感じ方次第だけれど、私はその五人に対しては、私が苦労してでも会いたいと思っているのは確実だ。
    別に私は、これがドライだとは思っていない。
    その五人に対して熱い思いを持っているから。

    もしかしたらその五人のうち、誰かは、すでにいなくなっているかもしれない。
    そう考えてみると、少しばかり私にプレッシャーをかけるように感じる。
    だけどそのプレッシャーを前向きに捉え、いろいろな調整ごとをこなし、そしてその人たちに会いにいくことができたら、私は幸せかもしれない。

  • 7月27日 正しさとは

    7月27日 正しさとは

    数日前からChatGPTに触れる機会が多く訪れており、その中で私は彼(勝手に男性だと仮定している)とたくさんの対話をしてきた。
    その中で、私が生業としているシステムのテストという観点に置き換えて考えた時に、彼の出す回答が正しいかどうかを判断するのって結構な難敵なんじゃないかと思い始めてきた。

    基本的に彼を100%信じるのは危険で、それは彼の会社のCEOも言っていて、だからこそ使う人が「ちゃんと正解を知っている」ことに対して対話をしていくべき、なのかなぁ、と。

    自分のわからないことを彼に答えてもらう、っていう、理想的なAIの使い方はどこかのタイミングでできてくると思うんだけど、それでも、「得体の知れないAIなる生き物」に正解を委ねるというのは、一種の神頼み的な感覚とも言えるんじゃないかね。

    その辺の回答。彼もちゃんとその辺は考えている模様。ChatGPT4である程度この辺の会話をした後で出てきた回答。

    回答の正しさってこういう技術的なものだけではないよね。
    昔から、困った時は「どちらにしようかな、天の神様の言うとおり」で決めてきた経緯がある人間としては、自分の意思では作れない正解を、どっかに委ねながら生きてきたんだよなぁ。
    それが、今はGenerativeAIになっただけ、という感覚、というか。

    ちょっと意地悪な質問をしてみた。

    それに対し、追加で、以下の会話。そうだよね、という雰囲気の回答。

    正しさ、と言う言葉自体が曖昧なんだから、答えは60億人いれば60億通りの考え方があるはずだよな。
    テロ組織は危険!と思う一方で、彼らにしてみたら彼らこそが正義という考え方になるはずだから。

    そういう点で、正論を突きつけることの危険性も孕んでるよなぁ。
    だってその正論は、あなたの意見ですよね、ってことになるから。
    誰から見ても正しいって言うのは、それこそ「人間はいつか死ぬ」くらいのもので、それ以外については反論の余地があるものばかりじゃん。
    柏レイソルが今めちゃくちゃ弱くて、このチームを応援し続けることに意味は?と言う問いかけにしたって、それはあなたのクラブ愛がどのくらいあるか次第でしょ、みたいな話だろうし(なんか脱線した気がする

  • 7月26日 恋愛小説はもう描けない

    7月26日 恋愛小説はもう描けない

    自分にはもう、恋愛ものの小説は描けないと思う。なんというか、自分自身にそっち側の気持ちが湧いてこない感覚があって。図書館でそれ系の本を、いわゆるロマンス系?を借りようという気持ちも、全然湧いてこない。抗うつ剤を飲み始めてからかな?だいたいそのくらいから。

    とは言えエンタメ的にはその方面が好まれるのは分かっていて、受けを狙うのであれば書くべきなんだろうけれど、そっち側のことを考えようとしても全然頭が働かなくて。ある程度テーマを絞って描きやすく環境を整えても、筆の進みが悪い。というか進まない。

    これが40代男性における性欲の減退だと言うならば、ほんと人間の本能に対して素直すぎるだろ、と思ってしまう。

    では、私はどんなテーマで描きたいのだろうと、しばし考えてみる。すると、私は人間の生死や、出会いと別れ(恋愛とは関係のないもの)を描きたいのだと、思い至る。

    本当に描きたいものを考えているとき、私は幸せだと感じる。もくもくと頭の中から白い雲が頭上に湧き出て、その中には私が産んだキャラクターが、初めはぼんやりとしているのだけれど、時間が経つにつれて輪郭が強調されてくるのをイメージする。

    彼らに囲まれている時、幸せなんだなぁと思う。そして普通に仕事している時に、描きたいものが浮かんでくると仕事の手を止め、しばし彼らと戯れる。

  • 7月25日 短い日記

    7月25日 短い日記

    仕事に没頭している。目の前にある仕事がとてもたくさんあって、休まる暇がない。
    自分の整理のために、現在仕掛かり中の仕事を整理する時間が欲しい。
    どれも優先度が高く、できれば早くやっつけてしまいたいため、自分の中できちんと整理して仕事を進めていかないと、何にもできていないじゃない!と怒られてしまうこと待ったなし。

    どれもこれも自分で蒔いた種だからしょうがない。自分が、自分でやりたいと手を挙げたのだから。
    いや、気分はだいぶ前向きだろ。
    たくさんの仕事があって嬉しいんじゃないか本当は。
    そうだね、その通りだね。

    今は自分の力をつける時だから、精一杯努力したいと思う。
    何度かツイートもしたけれど、ChatGPTにプロンプトを送り込んで、意図した回答を得られるように頭を使うのが今、一番楽しい。
    全くもって、全然うまくいかないの。
    笑っちゃうくらい。だけどそこが楽しいなぁと感じたりする。

  • 7月24日 Chat GPTとblurと私

    7月24日 Chat GPTとblurと私

    今日は1日、Chat GPTに溺れました。
    自腹で課金も。とりあえず1ヶ月、無心になって何かを得るための活動に充てたいです。
    仕事で使うんですけどね、けど、自分で自由に使いたいという気持ちがあったので、会社の経費は使わず、私のポケットマネーから出しました。1ヶ月あたり20ドル。今だと141円くらいなので、1ヶ月で2820円くらいってところか。それくらいのものは手に入れたい。

    とりあえず、Pythonを勉強するために、ブロック崩しゲームを作りたい、と言ったら、ご丁寧にもサンプルのコードを提供してくださりました。
    すごいね。ちょっとお願いするだけで魔法のようにプログラムを教えてくれるんだもん。
    これを機に、Pythonできます、と言えるくらいのスキルを身につけたい。

    もともとは仕事で、Chat GPTを使って品質を上げるなにかになったりしないかね?が発端にあって(最近この話を書いた気がする、再掲)、なにはともあれ、何がどこまでできるのかが気になるので、ちょっと触ってみますね、というところです。とはいえ社内システムの実装内容を安易に載せるわけにはいかず、マスキングするの?と腰が引けている状態なので、なんとかして仕事に活かせたらいいなぁ。

    話は変わって、音楽の話。
    Apple Musicを彷徨っていたら、blur、新作出たんだぜ、お前好きだったろ?って提案を受けまして、早速聞いてみたんですが、相変わらずのblur節でとても心地が良いです。
    おまけにジャケットがまた、The Great Escapeで使われていた海の色と、プール?の色がそっくりで、あの頃を思い出してしまいました。
    あの頃というのは青春の真っ只中、1996年頃です。私にとってその頃は黄金のように輝いていました。
    blurが好きで、だけど周りはoasisの方がちょっと人気があって、理由はきっとわかりやすいからだったと信じてやまないですが、私はblurが好きで良かったと思いました。oasisは再結成はしないけれど、blurはこうして、もともとのメンバーでまだアルバムを出し続けてくれているから。
    私がおじさんになっても、こうしてblurが音楽を届けてくれること、そして私自身が、あの頃と同じような感性でblurを聞き続けていられることが、シンプルに嬉しいです。

  • 7月23日 自分の時間を確保するのと、家族との時間はどっちも重要なんだから

    7月23日 自分の時間を確保するのと、家族との時間はどっちも重要なんだから

    多分思い過ごしなんだけど、何もここに記さなかった日は、まるで私がこの世に存在していなかったかのような感覚を受ける。
    何かは考えている気がする。
    その証拠に、ほぼ日手帳には何かしら私の言葉が綴られているから。

    昨日までは大阪まで家族旅行で出掛けていて、そのせいで自分を振り返る時間を取るのが難しかった。というのは言い訳で、家族のせいにして自分の時間を取らないということは、ちょっと自分の人生を歩いていない気がして勿体無い。
    自分という人間はこの世に一人しかいないのだから、そして私に与えられた時間は私が生きるためにあるはずだから、それを満喫する必要があるんじゃないかと思う。
    いや、待て、この先に何があるか知ってるぞ私。
    自分の時間を犠牲にして、家族や同僚など、他人のために費やすことで、奉仕の精神のもとで生きていくことになり、そして自分を蔑ろにして自分のメンタルにダメージを与えてしまうんだよな。
    やめよう。自分の時間をきちんと確保しよう。

    一人になりたい、という自分の願望と引き換えに、家族との時間があるのだとしたら、どちらを優先したら良いのだろうと考えることが多かった。
    だけどそれは比較すべきものではない。なぜなら、どっちも同じくらい人生にとって大切なことだから。
    そこで私が、家族のために多く時間を使っていると感じているならば、少し立ち止まって自分の時間を多く確保すれば良いのだ。
    1日は24時間しかないし、1年は365日しかない。
    その中で、自分がやり遂げたいことをきちんと設定して、それに向かって一直線に進めば良いのだ。
    と、自分に言い聞かせ続けて、10年くらいは経ったのではないだろうか。
    なーんにも変わってないんだな。

  • 7月20日

    7月20日

    なんと大阪まで車で来ている。GWくらいにUSJに行きたいねーなんつってチケットとホテルを取り、新幹線も良いけど車で行ってみるか、ということになり。私がドライバーなので550km、およそ8時間くらいかけてやってきた。

    それだけ一人で運転に没頭する時間があったので、140文字で作れる小説を考えていたんだけどなかなか着想には至らず。昔付き合っていた彼氏と同じ車を見かけた、から当時の思い出を巡って…みたいなのを思いついたんだけどなぁ。