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  • 12月26日 役割の話

    12月26日 役割の話

    電車の中で、今日起きたことを思い返す。内省というほど立派なものではないが、事実として起こったことに対して私がどう考えたかを、ゆっくりと思い返すようになったのはいつからだっただろう。

    2023年が終わっていく。すでに多くの人が休みに入っている中、私は誰とも話す予定がないのに出社する。この、出社というものはコロナ禍によって考え方が大きく変わった。自宅で働くことを覚えてしまった人間は、出社することの意味が分からなくなってしまったのだ。私もその「多数」から溢れることなく、出社の頻度を増やすようになってからもその意味を思い出すことができない。

    コロナ以前は、出社することが当たり前だったのだ。その、「当たり前」という感覚を忘れてしまった人はいったいどうやって思い出すことができるんだろう。

    違う例で考えてみる。自転車に乗ること。感覚で覚えてしまったから、手足のバランスとか、どのタイミングで足に力を入れるとか、言葉で説明するのが難しい。だけど、自転車は乗れる。

    出社はそれと同じことなのかもしれない。こうして通勤している時間があれば、自宅で仕事ができるのではないか、と言ったような思いを拭う術を思いつくことができないのだ。

    その根底にはきっと、「出社するなんて無意味だ」という思いがある。一方、私たち「多数」を雇う経営者側には、「出社してコミュニケーションを活性化し、仕事の生産性を上げたい」という思いがあるはずだ。その両者が持つ思いが一体化しない限り、この乖離を埋めることなんてできないだろう。

    いくつかの大きな川を越える。その、それぞれの縁には見知らぬ家がいくつも建っていて、私の知らないところで生活を営んでいる人間がいる。

    その、見知らぬ人間の生活を思いながら、私は自宅へと帰路を進める。

    そこで、ふっと、あることに気づく。

    自宅へ向かう帰路の最中、私の心の中には帰宅して「会社の中の人間」から「自宅で過ごす人間」と役割を変えていく心の準備を行なっているのではないか。

    「会社の中の人間」のまま、「自宅で過ごす人間」の役を演じることは難しい。一人称だって「私」から「俺」、もしくは「お父さん」になるのだから、他者は混乱してしまうだろう。

    その、彼らを混乱させないように私は、心の準備を、通勤という時間の中で行なっているのではないだろうか。

  • 12月25日 一体感

    12月25日 一体感

    テレビでは一面の海が映し出されている。
    海と言っても色は緑で、つまりサッカーの試合を放送しているのだ。
    いったいどこのチームとどこのチームが試合をしているかさっぱり分からない男、宮島は、カウンターで一人、酒を飲んでいる。
    というか、この試合を誰かが観ているのだろうか。宮島はさりげなく周りを見渡したが、誰一人としてこの試合を観ている者はいなかった。
    いったいこの年の瀬に、誰が好き好んでサッカーの試合など観るのだろう。そう思ったがテレビの端の方にはそれぞれ、贔屓のチームを応援する人間が大声を上げていた。テレビを通しても歓声って聞こえるんだな、と宮島は一人で頷いた。

    人が集うってすごい。宮島はランドセルを背負って登校していた頃にそのすごさを体感したことがあった。当時の悪ガキ達が通学路の曲がり角にあるカーブミラーを道端に落ちていた石で割ろうとしていた。石はなかなか思うようには飛ばず、ミラーは何回石をぶつけられても下に落ちることはなかった。悪ガキ達と言っても頭の悪い生徒ばかりではなく、たまたま帰る方向が一緒だからという理由でその集団に巻き込まれている、いわゆる優等生な人もいた。宮島は、なるべくそういうグループには混ざらないようにと親から釘を刺されていたから、それを守るべく道の反対の方をこっそり通ろうとしたが、その努力虚しく、悪ガキ達に呼び止められた。

    「おいミヤジ!お前ちょっとこっち来いよ。手伝って欲しいんだ」

    宮島は、聞こえないフリをすることだって可能だっただろう。だけどあまりにも声が大きく、宮島は咄嗟に振り返ってしまった。ぎこちない笑みを浮かべつつ、良心の呵責に耐えながらも宮島は大きな力に屈しながら、ゆっくりと悪ガキ達の元へ向かう。

    「あのカーブミラーが気に入らないからさ、一緒に、この石で割って欲しいんだよ」

    宮島はもちろん、カーブミラーを割ることが間違っているということを知っているはずだった。だけどそこにいた6人の悪ガキ(とその仲間)達は、宮島にも強要する。

    ここで、宮島が持つ良心に従って断ることができただろう。だけどできなかった。なぜか?報復が怖かったからだ。俺、やらない、と言って石を返し、先に帰る、と言ってその場を後にすればきっと宮島は、良心に従って行動した自分を褒めるだろう。そんなことは分かっていたのに、できなかった。翌日、悪ガキ達がいっせいに無視し、クラス全員の男子(と仲良しの一部の女子)達が宮島を無視することが明白だったからだ。

    意を決する、という言葉を当時の宮島が知っていたかどうかは不明だが、少なくともそんな気持ちを持って悪ガキの一人から石を受け取り、カーブミラーめがけてその石を放った。すると石は一番重要なところを捉えたようで、ガシャン、ともギャシャンともつかないような奇妙な音と共に地面へと落ちた。

    「逃げろ!」

    悪ガキの一人が叫び、悪ガキ達と宮島はその場から一目散に駆けて帰った。その時に、一体感と恍惚感を得たことは宮島の胸にそっとしまってある。

    翌日、案の定学校の先生に頬を殴られた宮島は、やっぱりやるべきではなかった、と後悔するのであった。それが、彼にとっての「属することの代償」だった。

    そんな宮島だから、サッカーを応援する熱狂的な席の感覚を味わってしまうときっと、抜け出せないような気がしている。店主に熱燗のお代わりを頼む。あの時に感じた、「仲間である」ということと、「自分が放った石によってカーブミラーを壊す」という二つの快感はきっと、サッカーを応援する人達も同じように感じているはずで、その思いを得たいからこそ現地で大声を張り上げて応援する人達の中に、当時の悪ガキ達がいるような気がしてしょうがなくなり、手元にあった牛肉の煮込みが冷めてしまった。

  • 12月22日 寒さの中で葛藤する

    12月22日 寒さの中で葛藤する

    食後に緑茶を飲むのが好きで、ティーバッグでお茶を良く淹れるようになりました。
    最近はエニタイムフィットネスに通い出し、それによって「せっかく消費したカロリーをお酒で補うなんてバカだ」と思い至り、お酒の量が減ったように思います。
    肝心の体重は徐々に、という言い方が適切だよねと思う程度に減っていってます。
    食べる量はそんなに変わっていないけれど、お酒の量と、運動量を増やしたのでそのおかげかと思っています。

    とは言え、日常でできるエクササイズを全部無視して、高いお金を払ってジムに通うのってどうかしてるよなと思います。
    自宅から1kmくらいのところにあるのでそこまでの行き帰りは走ったり歩いたりしていて、最近は寒いという理由でジムへ向かうのですが、さすがに1kmも走れば身体はぼんやりと温かくなってきていて。
    このまま、残り9kmくらい走っちゃったらジムへ通わなくていいじゃん、と毎回感じています。
    約8000円というお金がもったいないからジムへ通っている気分。
    意味が分かりません。8000円もあったら家族4人で美味しいご飯を食べられるじゃないですか。

    とかね。葛藤する日々。

    では、もしエニタイムフィットネスを解約し、外ラン生活に戻れるのかと自問すると、それは多分破綻するような気がするんです。
    なんてったって寒い。1kmくらい走れば温かくなるじゃんと上述しましたが、その1kmを走り切るまで、もっと言うとランニングウェアに着替えて外に出るところまでがめちゃくちゃハードルが高いのです。
    私の中で、寒いってそれくらいデカいインパクトがあって。
    それじゃー8000円払うしかないでしょうよ、という話。
    これはもうただのエゴでしかないので、自分の思うがままにお金を使い、身体を使えばいいだけの話なんですけどね。こんなところに書いたからって自分の気持ちがどちらかに傾くワケでもなく。

    ちょっと待て。

    私はここに自分の言葉で文章を綴ることで、自分の気持ちがどう考えているのかを視覚的に見たいのであろうか。
    私の脳で考えていることを、わざわざ目に見える形で表すことに意味なんてあるんでしょうか。
    分からない。

    寒いのは嫌い。
    8000円を払うのはもったいない。
    ご飯をたくさん食べたい。
    けど、痩せたい。

    この4つを全て成立させることの難しさよ。あっちを立てればこっちが立たず的な。
    ここで、自分が我慢できるのはどこか、と自分に問いかけてみるとどうなるか。
    もしかすると、寒さなのかもしれません。
    ここ10年近くランニングを趣味としてきた私が、今までできたのになぜ今になってできないなんて言うのか。
    ここに来て猛烈に寒くなったということもなく。
    今までの冬だって、今と同じように寒かったじゃないですか。何を今更言ってんだ、と。
    そうしても寒いのが気になるんなら、それをカバーするための防寒具を買えば良いだけの話では。それこそ8000円もあれば十分賄えるでしょ。
    キリがないのでこの辺で今日の日記終わり。ただ葛藤しただけ。

  • 12月16日

    12月16日

    またしばらく、日記からご無沙汰してしまいました。
    日常が忙しかったのかというと決してそんなことはなく、働いたり、笑ったり、クスリと笑ったりしていましたところ、この日記を書くのが少し面倒になってしまいました。

    日々、振り返り、内省をしないというのは、良いことなのか悪いことなのか分かりません。
    いや、内省はしたほうがいいだろ派だったんですけども、上記のようにとりあえず日々を生きることで精一杯な人にはこの内省というものがやけに重たく、そんなことをするくらいだったら違うことをしている方が良いですわなんていう人もいるでしょうから、そんな人に「おい君、内省をすることがどんなに大切か分からないのか」なんて言ったとて、暖簾に腕押しというものでしょう。

    要は価値観、という話ですね。

    最近は何に興味があるのかというと。

    インスタには少し載せていたりするんですけど、メダカを60cmの水槽で買うようにしています。中には30匹くらいのメダカがいるのかなぁ。この前はIKEAの子供の玩具を収納するプラスチックのバケツみたいなやつに飼ってたんですが、冬になっていくにつれてメダカたちは冬眠していって動きが鈍くなって面白くないよなと考えるようになったのと、まだ子供くらいのサイズのメダカたちが結構いて(9月くらいに孵化したのでまだ大きくなってなくて)、この子たちを外飼いしたら寒さで春を迎えられないんじゃないかと思い、一発奮起、ガラスの水槽に挑戦です。
    こんなやつ。超でかいです。

    いざ、こういうのを用意してしまうと、ここでずーっと眺めてても飽きないので良いです。もっと早くやれば良かったかもしれません。
    あと、60cmにして良かったなと思いました。
    最初は45cmとか、30cmとかでいいかななんて思ってたんです。最初だし小さいやつから、みたいな安易な思い込み。だけどメダカが20匹以上いるのは分かっていたし、この子達が窮屈なところで暮らしてその結果酸素が足りなくなって死んでしまったりしたらかわいそうだよな、てかそれだったら60cmでいいじゃん、とひとりブレストして決めました。いやー。楽しい。

    別の話題。最近読んだ本。
    宇佐見りんさんの、かか。

    これネタバレになってしまうと思うのであんまいろんなことは書けないですが、主人公の、かかを思う気持ちを親身になって考えてみると、ギューって胸が苦しくなる思いです。
    いわゆる、毒親なんですよね。毒親に育てられた子供は、その家庭が作る世界が全てだと思ってしまうから、毒親が話すように話し言葉を覚えるし、だから、この書き方になってるんだろうなぁ。
    怪物級の描きっぷりですね。ここまで独創的に描けるのすごい。勝ち負けの話ではないですが、私には到底追いつくことのできない描きっぷりです。

    そんなところかなぁ。まだ何冊か読んだんだけど忘れました。

  • 12月27日の日記

    12月27日の日記

    もうすっかり世間は年末気分。

    そりゃそうだ、12月27日なんだから、と思ったが私の中では別に年末だろうがどうでも良く、
    自分が健やかに過ごせれば良いのではないか、と思っている次第。

    仕事はすでに落ち着いていて、今日はずーっとJavaのトレーニングを受けていた(オンライン視聴)。

    暇なほうが嬉しいのか

    それには2パターンあると思っていて、暇だと落ちてしまうか、そうじゃないか。

    「仕事の貧乏性」と言う言葉を5年くらい前に聞いて、はっ、俺、それじゃん、と考えてしまった。
    引用元はどっかで流れてきたTumblrだったような。

    ざっくり言うと、「常に仕事を求めてしまう人」のことを指す。
    何か手持ちの仕事がないと落ち着かないような、ちょっと生き急いでいるんじゃありません?という人。

    私が、その時に自分のことだと感じたのは、暇な時にその時間を満喫することができないから。
    *仕事において

    常に仕事を求めてしまうのは、良いことなのかもしれないけれど、長い人生で見たら暇な時だってあるんだから、そういう時にはきちんと心を休める必要があるんだよな、と今更ながらに感じています。

    そういう意味で今一番近くで働いている同僚は、暇をきちんと満喫できる人なので、彼を見習えば良いのかもしれません。

    どこでそうなってしまったのか

    最近、子供の発達に伴って生まれてくる言動や行動を見てると、私に似てきたな、と思うことが多いです。
    それってやっぱり親の背中を見て育つ、と言うことなのかなと思うのですが、私の性格からすると慎重で怖がりなところとか、やっぱ子供にも伝染するんだろうなと思います。
    慎重で怖がりって長生きするように思うし、良いと思うんですけどね。
    なるべく長く生きるように埋め込まれた私たちの遺伝子として一番真っ当な生き方なのではないかと。
    だって慎重で怖がりだと余計なことをしないし、病気?!って思ったらすぐに病院に行くし。
    たまに男らしく冒険を!とかも考えて、うーん、ってなるんですが、思うだけで実行には移さず。

  • Apple arcade | アウトランダーズ | ステージ18 オリバー王子

    Apple arcade | アウトランダーズ | ステージ18 オリバー王子

    ステージ17が私にとっては超絶過酷でしたので、アウトランダーズのステージ18は正直難しくありませんでした。
    失敗せずに、無事にオプションを含めステージをクリアすることができました。

    やったこと全部書く

    • まず人を、農場と工務店に全振り。朽ちかけた建物は全部リサイクルへ。それで結構な丸太の数を確保することができます。
    • 農場ではステージ17と同様、レタス多め。ついでとうもろこし、トマトの順番。
    • パン屋と風車小屋があるのは嬉しい。人が余ればそこへ。
    • 木工所はもはやデフォルトで必要な設備になりましたね。
    • ここでも余裕が出た瞬間に植林を作ります。木を植えていこう。
    • 最終的には農場が2つになりました。人を50人まで増やそう、ということで最初から用意されているの1つだけじゃ足りなくなると思ったためです。
      2つ目でもレタス、とうもろこし多め。小麦を少々。
    • ここ、なかなか人が増えていかなくてちょっと焦ります。
      だけど大丈夫、居酒屋を作ることで出生率が上がります。困ったらお酒の力、ってやつですね。
    ほぼ最後頃の全景。食物に余裕があるのって本当に幸せなことなんですね、って哲学的なことを考えたり考えなかったり。
  • リトル・バイ・リトル | 島本理生 | ★★★★☆

    リトル・バイ・リトル | 島本理生 | ★★★★☆

    島本さんの作品を読むのは3話目です。
    ファーストラブ、ナラタージュに続いて今作が3つ目。

    あらすじ

    母子家庭で暮らす若い女性の視点。
    母と、異父姉妹の妹と3人暮らし。
    習字教室に通い、ティッシュ配りや看板持ちのバイトをしていて、ひょんなことから知り合ったキックボクサーとの淡い恋を体験。彼のお姉さんがなかなか個性的。

    (私視点の)島本理生さんの作風

    島本さんの表現で私が面白いと感じる点がいくつかありますが、私としての1番は「登場人物の一挙手一投足、仕草を丁寧に描く」ことです。
    それが心地よくて、ずっと触れていたいと願いたくなってしまいます。仕草の表現がとても豊か。サマーセーターについたモルモットの毛を取りながら〜、とか、ついその情景が浮かんでしまいます。

    2つ目は、小気味良い場面展開です。
    全般的に淡々と物語が続く印象があり、サラサラと読めてしまいますが、時折ガラッと場面が変わるところがあり、気持ちが強制的に切り替えさせられるのが面白いです。

    3つ目は、登場人物の愛嬌が面白い点です。
    上述した、キックボクサーのお姉さんがとても面白いです。私には姉がおり、そういう点でも共感を持ったというか、近しい存在に感じました。終盤にある、車の中での会話とかだいぶ面白かったです。

    このリトル・バイ・リトルは芥川賞候補になったということで読みました。
    私として興味があったのは、ストーリーの作り方、およそ150ページ程度で収められることの多い芥川賞で、物語の展開としてはやはり起承転結があるのだろうと思っています。
    この物語で言うと冒頭の、読者の理解を深めるところから始まり、キックボクサーとの出会いから、ちょっとしたデートが承なのかなぁ。
    そしてキックボクサーの誘いで行った飲み会が転、最後の公園のところが結?だとすると結末がちょっと尻切れ感なのかなぁ。ストーリーとしてきちんとした結末を迎えさせようとする気がないのなら、別にふっとした瞬間に切っちゃうのも有りなんだろうなぁと思いました。
    まぁでも二人の淡い恋の、これからを読者は想像するのでしょう。私もそうしました。
    そうやって余韻を残して終わりにする感じも、島本さんならではなのかもしれません。

    星を4つにしたのは、私の満足度によるものです。
    期待していた温度感で、ボリューム、登場人物への愛着などから4つにしました。
    面白かったです。

  • 東京ドイツ村で素敵なイルミネーションを楽しんできた思い出

    東京ドイツ村で素敵なイルミネーションを楽しんできた思い出

    超寒かったけど、寒いからこそイルミネーションの美しさが伝わるような気がするんですよね。
    昨日の話になりますが、千葉県袖ケ浦市にある東京ドイツ村に行ってきました。
    私の住む東葛地域からは、高速道路を使って1時間30分くらい。
    混雑していなかったせいかだいぶ近い印象でした。
    もっと遠いと思っていました。

    それにしても外環の松戸から下に延びる線ができて本当にありがたいです。
    今までは16号を地道に降りて千葉北インターまで行くか、東京に入って西葛西とか通る線を通って行くしかなくて、なのでだいぶ時間の短縮の恩恵を受けています。ありがとう日本。

    袖ヶ浦インターチェンジを降りてからは10分も走ってないような。
    途中、セブンイレブンが2軒あるくらいの、のんびりとした山間(っぽい)道を通り、目的地である東京ドイツ村へ。
    この時期だと高いんですね、入場料で3500円かかりました。

    園内は超広くて、各地域までは車で行っても良し、ということで各地域に駐車場があるのがとてもありがたいです。
    とは言え、夜になると混雑するって聞いていたので、駐車場はある程度固定した方が良いだろう、と思い途中からは腹を括って歩くようにしました。
    園内、ほんと超広いので、1万歩を超えていました。1万歩を超えたのは超久しぶりです。つっても前回は10kmのランニングをした時とかなので、運動でもない時に1万歩を超えたのはなかなかすごい。

    ボートに乗ったり。

    スワンボートから。鳥が飛び立つ瞬間を見て感動したり。

    写真は撮ってないんですが、お昼ご飯はメインエリア(っぽい)ところにあるレストランで食べました。
    醤油ラーメンが900円。子供はドイツっぽい、ベーコンとジャガイモが1つのお皿に乗ったもの、800円、あとビーフカレーが900円、カツカレーが1500円とかでした。微妙に高い。スキー場のゲレンデで食べる感覚ですね。

    さて肝心のイルミネーション。昨日(2022年12月17日)は16時40分から点灯していました。
    見晴らしの丘で、点灯する時を見届けよう、となり、だいぶ寒かったですが点灯の瞬間を見ることができました。感動しました。

    光度を下げて撮ってみました

    全体的に、高いなー、なんて印象がありましたが、東京ドイツ村のイルミネーションって有名だし、せっかく同じ千葉県に住んでるし、見る機会があっても良いかな、ということで見に行ってよかったです。
    イルミネーションのために作られたパンダとか、ノアの方舟みたいなやつとか、昼間見ると、え、なんでこんなところに作ってあるの?みたいな素朴な疑問が浮かんだりしたのですが、夜、イルミネーションを見て、その答えがわかったというか。全部イルミネーションのために作られているんだな、と。
    また行きたいか、と聞かれると、イルミネーションは1回でいいかなー、くらいの感覚でしたが、子供たちは体を動かすことがとても楽しかったらしく、イルミネーション以外の季節に行ってもいいかな、と思いました。

  • 12月16日の日記

    12月16日の日記

    昨日書いた、別れについて、あれからしばらく考えました。
    別れ=寂しいという構図が私の中にはあるので、ポジティブに考えられることができません。
    ただ、別れとは言え、この地球上にはいるわけで、LINE等の連絡ツールに友達として登録しておけば、その寂しさは15%くらい削減できるのかなと思います。

    いつか来る、大切な人の別れについて

    こんなん、心配の先取りでしかないので、考える時間が無駄かもしれないですが。
    家族や両親など、近しい人たちともいつか別れが来る訳で、それはそれはきっと寂しい、悲しいものでしょう。
    考えたって無駄なのにね。そのことを先走って考えて、寂しさに浸ったところで、なんのプラスになるというのだ、と。いや、けど、その寂しさに浸ることで、今のこの関係性の中で、親孝行をしておこうとか、家族サービスをしておこうとか、今よりももっと大切に考えることだってできるだろうし。

    別れなんて来なければいいのに。
    この寂しさが人生のスパイスになる?そんなことは期待していないんですよワタシは。
    今のこの、私を取り巻く環境で構成されている、私を中心とした人間のかたまりに所属する人たちとはずーっと、私がこの世を去るまで別れたくないんですよ。
    最期、みんなに見守られながら、この世を去りたいんですよ。
    なんで、悲しまなくちゃいけないんですか。なんで、人は、情ってやつを身につけてしまったんですか。そんなものが、私の人生にとって、なんのプラスになるというんですか。
    全て燃えてしまえ。そんなことがない人生になっちまえ

    リアルな別れを考える

    そんなことをここに書いても、ただのトイレの落書き程度の意味しか持たないわけですが、もしかすると私の先入観、固定観念を変えるべき時なのかもしれません。

    別れ=寂しいという構図を、書き直すという話。

    そもそもなんで、別れって寂しいんでしょうね。
    もう会えなくなってしまうから。なぜ、もう会えなくなってしまうと、寂しいんだろうか。
    もう会えないということは、その人との思い出を作ることができない。その人との未来を創り上げることができない。会って話したい、反応が見たい、ということができないから、と私は考えました。
    未来を創り上げることができないっての、寂しいことなんですかね。

    思い出があれば、寂しくないんじゃないか。
    もう会えないとしても、寂しいと感じた瞬間に、その人との思い出をそっと記憶の引き出しから持ち出して眺めれば、寂しさで開いてしまった穴を埋めることができるのではないかな。
    ポジティブに考えれば、そういうことなのかもしれないですが。

    スナフキンだったらどう考えるんだろう、彼は孤独を愛していて、

  • 12月15日の日記

    12月15日の日記

    ほぼ仕事しかしていない。

    7時過ぎに起きて、小学2年の次男を小学校の近くまで送り、すぐ帰宅して朝食、で仕事をして18時40分くらいに終了。

    言葉で書いてしまうと、わずか30文字くらいの一日だったんだな、と。

    明日で最終日を迎える、友人みたいな同僚について

    その人が辞めると知ったのは、今週の月曜日。
    本人から、辞めるんだー、と聞いた。

    人生には多くの出会いと別れがある。
    私も、おそらくそれぞれ数百程度の出会いと別れを経験してきたように思う。
    その中で、本当に悲しかった別れってどのくらいあっただろうか。
    思い出は美化されてしまうから、私が指折り数えて浮かび上がったその人たちとは、とても美しい別れをしてきたように思う。

    別れるのは寂しいから、連絡先を、というのが定例になっているけど、それは寂しさを紛らすためなんだよなぁ。
    そのうち、きちんと連絡を取り合っている人なんて、ほんと両手で十分に収まるくらいだもんな。

    さて、明日最後を迎える同僚とは、定期的に連絡を取り合っていくのだろうか。残念ながら、LINEの友達リストに埋もれていってしまうような気がする。動機が、思い付かないというのがその理由。その人だってきっとすぐにでも新しい仕事に就くんだろうし、しばらくはそれ以外のことに目を向ける暇なんてないだろうから、という自分なりの先入観。
    本当は、そんなことないのかもしれないのにね。
    新しい職場での出来事、見つかった壁とか、そういう話を聞きたいんだよな俺は。もしかしたら彼女だってそういうことを話したくなるかもしれないのに。その相手に、私が立候補することだってきっと、悪いことではないのに。立派な動機になるはずなのに。