12月16日の日記

昨日書いた、別れについて、あれからしばらく考えました。
別れ=寂しいという構図が私の中にはあるので、ポジティブに考えられることができません。
ただ、別れとは言え、この地球上にはいるわけで、LINE等の連絡ツールに友達として登録しておけば、その寂しさは15%くらい削減できるのかなと思います。

いつか来る、大切な人の別れについて

こんなん、心配の先取りでしかないので、考える時間が無駄かもしれないですが。
家族や両親など、近しい人たちともいつか別れが来る訳で、それはそれはきっと寂しい、悲しいものでしょう。
考えたって無駄なのにね。そのことを先走って考えて、寂しさに浸ったところで、なんのプラスになるというのだ、と。いや、けど、その寂しさに浸ることで、今のこの関係性の中で、親孝行をしておこうとか、家族サービスをしておこうとか、今よりももっと大切に考えることだってできるだろうし。

別れなんて来なければいいのに。
この寂しさが人生のスパイスになる?そんなことは期待していないんですよワタシは。
今のこの、私を取り巻く環境で構成されている、私を中心とした人間のかたまりに所属する人たちとはずーっと、私がこの世を去るまで別れたくないんですよ。
最期、みんなに見守られながら、この世を去りたいんですよ。
なんで、悲しまなくちゃいけないんですか。なんで、人は、情ってやつを身につけてしまったんですか。そんなものが、私の人生にとって、なんのプラスになるというんですか。
全て燃えてしまえ。そんなことがない人生になっちまえ

リアルな別れを考える

そんなことをここに書いても、ただのトイレの落書き程度の意味しか持たないわけですが、もしかすると私の先入観、固定観念を変えるべき時なのかもしれません。

別れ=寂しいという構図を、書き直すという話。

そもそもなんで、別れって寂しいんでしょうね。
もう会えなくなってしまうから。なぜ、もう会えなくなってしまうと、寂しいんだろうか。
もう会えないということは、その人との思い出を作ることができない。その人との未来を創り上げることができない。会って話したい、反応が見たい、ということができないから、と私は考えました。
未来を創り上げることができないっての、寂しいことなんですかね。

思い出があれば、寂しくないんじゃないか。
もう会えないとしても、寂しいと感じた瞬間に、その人との思い出をそっと記憶の引き出しから持ち出して眺めれば、寂しさで開いてしまった穴を埋めることができるのではないかな。
ポジティブに考えれば、そういうことなのかもしれないですが。

スナフキンだったらどう考えるんだろう、彼は孤独を愛していて、