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  • 教祖様が欲しかったのか

    仕事で、強い上司がいて、3年くらい前までトータルで5年くらい憧れ続けてたんだけど

    ロールモデルとして掲げるのは良かったんだが、それに自分がなれるのは不可能と気づいた3年前、

    その人に対しては未だに憧れてはいるのだけれど、その人になりたい、という類の憧れとは別次元のものになった。

    最近気づいたのは、私は、その人が教祖様になっている、宗教に入りたかったのかもしれない、ということ

    単なる仕事の上司なので、宗教とかそういう話とは一線を画す話ではあるのだけど、

    その人に見てもらえたら嬉しくなるし、声をかけてもらえても嬉しいし、

    つまり教祖様なんだろうな、と。

  • 相棒

    手書きでメモに残すのがとても好きで、この3本の万年筆を気分で使い分けている。ペン先の太さと、メーカーが違うので、それぞれの書き味に差があってとても面白い。

    一番下の黒いモンブランは、Mと太めだが、値段がダントツに高いという点もあり、書き味はダントツに良い。もっと細い、例えばFあたりの太さでモンブランを使ってみたいという気持ちが出てしまう。機会があれば銀座に行ってみたいなぁ。

    kakunoはEF、ラミーはF。どっちもガリガリという、紙に引っかかるような感触があり、どちらも紙質を気にするような造りに感じる。それでもまだkakunoのほうはラミーに比べて滑らかさがあるので、EFと極細ではあるものの、いつまででも書いていけるような気がする。
    ラミーも、まぁ悪くはないんだけど、ほぼ日手帳のトモエリバー向きだよな、と思う。
    私は普段、500枚で数百円という、格安のコピー用紙を使っているので、その程度の紙に大して、書き味を妥協しなきゃいけないよねぇとか思ったり。

  • どこかへ

    北へ向かう飛行機

  • 生まれてこなければ良かったのさ

    悲劇の誕生で、生きる目的などないと語ったニーチェは、その救済として芸術を取り上げた。芸術によって苦しみを忘却するのだと。

    たしかに音楽とかはその傾向が顕著で、私も音楽に助けられたことは数知れず。私から音楽を取ったとしたら、40%くらい体重が減る気がする。

  • 店内の音楽

    めっちゃ混んでる

    いつ来てもビートルズのレディマドンナがかかってる気がするんだけど気のせいだろうか

  • ワインを

    ヨーカドーにてアルパカを。ラス1だった。神は死んだ的なニーチェの本を読んでいる昨今だけど、ここは神様ありがとう、と思わずにはいられない

  • いつになったらダメじゃない自分になれるのか

    いつになったらダメじゃない自分になれるのか

    どうも自分に対して厳しいのではないか、と思うようになってきた。

    そう思うこと自体は、一長一短ではあるので、その両面を見て評価すべきことではあるのだけれど、かねてから考えている「自分にとって一番強い味方は自分」を理想とすると、それに近づけるためには、優しくもあり、厳しくもあるというスタンスが一番適切だ。

    自分を、許せない。怠惰な自分を。情けない自分を。自信のない自分を。いつまで経っても変わらない、自分を。

    自分がうまくできた時でも、自分を褒めることをしない。というか褒められない。褒めるということを考えただけで、謙遜してしまう。誰に?自分に。
    照れ臭いのだ。自分を褒めるなんて、と思ってしまう。

    だから、自分は、外からの承認欲求に頼ってしまう。内からは承認されないから。

    という点を、もう10年くらいのレベルで、考え続けている。

    自分を甘やかす、とか、そんな風に捉えてしまうから、きっと私は、そう考えられないのだ。

    ちょっと前に、20km走れた。あれすごかったよ。かなり寒い時期で、良く途中で諦めずに走れたよね。

    これが、言えない。こうやって文字に書けるんだから、そのまま自分に言い聞かせれば良いだけなのだけど、上に書いた数十文字の文章は、他人へ向けた言葉のように感じてしまう。

    拒絶してしまうということなのだろうか。

    受け入れたくないということ?自分は、いつまで経ってもダメな人間だから?

  • 停滞した一週間

    停滞した一週間

    家族四人で仲良くコロナ陽性となり、地獄の一週間を経た。
    一般的な、健康的な身体を持つ四人なので、自然治癒力がきちんと働いてくれたおかげで、コロナとは言え、熱は下がり、料理をするところまで回復できた。
    お酒を飲む気力だけはあまり湧いてこず、少しだけ挑戦したが苦味が口に広がった時に、時期尚早という言葉が浮かんできた。

    身体を壊すと、健康の大切さが身に染みて実感できる。

    私は、健康だったんだな、と気づくことができる。

    これは、病気の中で得られる、数少ないメリットの一つであるように思う。

    だからなんだと言うのだ、それに気づかないくらいずーっと、それこそ死ぬ間際まで健康なのが一番良いに決まっているだろう。
    いつか明かりは消える。だけど、その、消える瞬間まで、暗闇を知らないほうが幸せに決まっているのだ。

    辛い時期を知らない人は、挫折を知らない人は、不幸だと言われるが、そんなものは知らずに、辛い思いをせずに死ぬまで生きた人が一番良いに決まっている。
    それが人生のスパイスだ、そういう方面の気持ちが人生を厚みのあるものにしてくれる、という考え方、よく分かるのだけど、辛い時期とか、挫折というのは人の価値観だから、それを得ることでプラスになった!と感じるかどうか、人それぞれなのである。
    だから、無理して苦労をさせるということは、やるべきなのかもしれないけれど、一番良いのは、苦労しないということなのではないだろうか。

  • 前向きな後悔

    前向きな後悔

    相変わらずの、後悔ばかりしている人生である。

    プライベート、仕事、そういう括りに全く関係のない、様々な後悔が、そりゃもう飽きることなく押し寄せてくる。人生は波打ち際なのかもしれない。
    自分の力ではどうすることもできない「波」というものを、ギリギリのところで惹かれながら、だけど濡れたくないから、それまたギリギリのところで逃げる、そんな感じで刺激というものと付き合っているような、気がしている。

    今日も今日とて後悔していたのだけれど、少しだけ考えたのだ。

    後悔はいつも、「〜すれば良かった」とか、逆に「〜しなければ良かった」のように、自分が選んだ選択肢と逆のことが、理想なように思えてくるのだ。

    その、選択する時には、自分が最終的に選択した方が魅力的に見えたのだから、その時の自分を信じてあげたい。人間だもの。

    だが、一方で、後悔という気持ちを抱いている時には、その当時の自分には見向きもせず、「自分が選ばなかったほう」を魅力的に感じるのだ。

    その気持ちに至るには、自分が元々選択して「しまった」ほうに対して失敗という結果を抱いているからであって、だからこそ、こっちを選ぶべきではなかったという経験が付加される。
    そして、「もともと選ばなかった方」に対し、その経験を踏まえ、魅力が増すのである。

    つまり後悔は、次は良い選択をしようという気持ちの表れなのだ。

    そう考えると、なんとなく後悔って、
    後ろ向きな気持ちを纏っているように感じるのだけれど、
    実際はそんなことなくて、
    失敗から得られた経験をプラスした自分が抱く後悔と言うのは、
    むしろ買ってでもすべきなのではないか、と、ぼんやり仕事中に考えた。

  • 他人に仕事を任せられない人のことを考えてみたら

    他人に仕事を任せられない人のことを考えてみたら

    他人に仕事を頼めないのは、自分がその人にものすごく期待しているから。
    期待の幅が狭いことによる。つまり自分のせい。

    もしその人が何か失敗をしたとしよう。
    その時、任せた人の責任になる。
    つまり、私の責任に。

    そうだ、私はその人が失敗した時に、責任を取りたくないから、それだったら自分がやってみて自分で失敗する方が、満足いくものになるから、結局いつまでたっても人に任せることができない。

    思い切って、ばーんと渡してみてはどうだろうか。

    もしかしたら、その人が、自分が期待していたものを上回る結果をもたらしたとしたら、その仕事を任せた自分の成果にもなるのだ。
    失敗した時には、もちろん私が責任を取ることになるんだけど、失敗にならないように適切なタイミングでフォローしてあげれば良いのではないか。

    もしそこで失敗したとしたら、きっと私は教訓を得るんだろう。
    そしてその後、同じ人、もしくは違う人に任せた時に、その時の教訓を生かすことができるのだ。

    人間だからな。失敗してナンボだよな。
    てか、失敗のうちに入らないだろそういうの。