投稿者: hmgrbean

  • 12月25日 一体感

    12月25日 一体感

    テレビでは一面の海が映し出されている。
    海と言っても色は緑で、つまりサッカーの試合を放送しているのだ。
    いったいどこのチームとどこのチームが試合をしているかさっぱり分からない男、宮島は、カウンターで一人、酒を飲んでいる。
    というか、この試合を誰かが観ているのだろうか。宮島はさりげなく周りを見渡したが、誰一人としてこの試合を観ている者はいなかった。
    いったいこの年の瀬に、誰が好き好んでサッカーの試合など観るのだろう。そう思ったがテレビの端の方にはそれぞれ、贔屓のチームを応援する人間が大声を上げていた。テレビを通しても歓声って聞こえるんだな、と宮島は一人で頷いた。

    人が集うってすごい。宮島はランドセルを背負って登校していた頃にそのすごさを体感したことがあった。当時の悪ガキ達が通学路の曲がり角にあるカーブミラーを道端に落ちていた石で割ろうとしていた。石はなかなか思うようには飛ばず、ミラーは何回石をぶつけられても下に落ちることはなかった。悪ガキ達と言っても頭の悪い生徒ばかりではなく、たまたま帰る方向が一緒だからという理由でその集団に巻き込まれている、いわゆる優等生な人もいた。宮島は、なるべくそういうグループには混ざらないようにと親から釘を刺されていたから、それを守るべく道の反対の方をこっそり通ろうとしたが、その努力虚しく、悪ガキ達に呼び止められた。

    「おいミヤジ!お前ちょっとこっち来いよ。手伝って欲しいんだ」

    宮島は、聞こえないフリをすることだって可能だっただろう。だけどあまりにも声が大きく、宮島は咄嗟に振り返ってしまった。ぎこちない笑みを浮かべつつ、良心の呵責に耐えながらも宮島は大きな力に屈しながら、ゆっくりと悪ガキ達の元へ向かう。

    「あのカーブミラーが気に入らないからさ、一緒に、この石で割って欲しいんだよ」

    宮島はもちろん、カーブミラーを割ることが間違っているということを知っているはずだった。だけどそこにいた6人の悪ガキ(とその仲間)達は、宮島にも強要する。

    ここで、宮島が持つ良心に従って断ることができただろう。だけどできなかった。なぜか?報復が怖かったからだ。俺、やらない、と言って石を返し、先に帰る、と言ってその場を後にすればきっと宮島は、良心に従って行動した自分を褒めるだろう。そんなことは分かっていたのに、できなかった。翌日、悪ガキ達がいっせいに無視し、クラス全員の男子(と仲良しの一部の女子)達が宮島を無視することが明白だったからだ。

    意を決する、という言葉を当時の宮島が知っていたかどうかは不明だが、少なくともそんな気持ちを持って悪ガキの一人から石を受け取り、カーブミラーめがけてその石を放った。すると石は一番重要なところを捉えたようで、ガシャン、ともギャシャンともつかないような奇妙な音と共に地面へと落ちた。

    「逃げろ!」

    悪ガキの一人が叫び、悪ガキ達と宮島はその場から一目散に駆けて帰った。その時に、一体感と恍惚感を得たことは宮島の胸にそっとしまってある。

    翌日、案の定学校の先生に頬を殴られた宮島は、やっぱりやるべきではなかった、と後悔するのであった。それが、彼にとっての「属することの代償」だった。

    そんな宮島だから、サッカーを応援する熱狂的な席の感覚を味わってしまうときっと、抜け出せないような気がしている。店主に熱燗のお代わりを頼む。あの時に感じた、「仲間である」ということと、「自分が放った石によってカーブミラーを壊す」という二つの快感はきっと、サッカーを応援する人達も同じように感じているはずで、その思いを得たいからこそ現地で大声を張り上げて応援する人達の中に、当時の悪ガキ達がいるような気がしてしょうがなくなり、手元にあった牛肉の煮込みが冷めてしまった。

  • 12月22日 寒さの中で葛藤する

    12月22日 寒さの中で葛藤する

    食後に緑茶を飲むのが好きで、ティーバッグでお茶を良く淹れるようになりました。
    最近はエニタイムフィットネスに通い出し、それによって「せっかく消費したカロリーをお酒で補うなんてバカだ」と思い至り、お酒の量が減ったように思います。
    肝心の体重は徐々に、という言い方が適切だよねと思う程度に減っていってます。
    食べる量はそんなに変わっていないけれど、お酒の量と、運動量を増やしたのでそのおかげかと思っています。

    とは言え、日常でできるエクササイズを全部無視して、高いお金を払ってジムに通うのってどうかしてるよなと思います。
    自宅から1kmくらいのところにあるのでそこまでの行き帰りは走ったり歩いたりしていて、最近は寒いという理由でジムへ向かうのですが、さすがに1kmも走れば身体はぼんやりと温かくなってきていて。
    このまま、残り9kmくらい走っちゃったらジムへ通わなくていいじゃん、と毎回感じています。
    約8000円というお金がもったいないからジムへ通っている気分。
    意味が分かりません。8000円もあったら家族4人で美味しいご飯を食べられるじゃないですか。

    とかね。葛藤する日々。

    では、もしエニタイムフィットネスを解約し、外ラン生活に戻れるのかと自問すると、それは多分破綻するような気がするんです。
    なんてったって寒い。1kmくらい走れば温かくなるじゃんと上述しましたが、その1kmを走り切るまで、もっと言うとランニングウェアに着替えて外に出るところまでがめちゃくちゃハードルが高いのです。
    私の中で、寒いってそれくらいデカいインパクトがあって。
    それじゃー8000円払うしかないでしょうよ、という話。
    これはもうただのエゴでしかないので、自分の思うがままにお金を使い、身体を使えばいいだけの話なんですけどね。こんなところに書いたからって自分の気持ちがどちらかに傾くワケでもなく。

    ちょっと待て。

    私はここに自分の言葉で文章を綴ることで、自分の気持ちがどう考えているのかを視覚的に見たいのであろうか。
    私の脳で考えていることを、わざわざ目に見える形で表すことに意味なんてあるんでしょうか。
    分からない。

    寒いのは嫌い。
    8000円を払うのはもったいない。
    ご飯をたくさん食べたい。
    けど、痩せたい。

    この4つを全て成立させることの難しさよ。あっちを立てればこっちが立たず的な。
    ここで、自分が我慢できるのはどこか、と自分に問いかけてみるとどうなるか。
    もしかすると、寒さなのかもしれません。
    ここ10年近くランニングを趣味としてきた私が、今までできたのになぜ今になってできないなんて言うのか。
    ここに来て猛烈に寒くなったということもなく。
    今までの冬だって、今と同じように寒かったじゃないですか。何を今更言ってんだ、と。
    そうしても寒いのが気になるんなら、それをカバーするための防寒具を買えば良いだけの話では。それこそ8000円もあれば十分賄えるでしょ。
    キリがないのでこの辺で今日の日記終わり。ただ葛藤しただけ。

  • 12月16日

    12月16日

    またしばらく、日記からご無沙汰してしまいました。
    日常が忙しかったのかというと決してそんなことはなく、働いたり、笑ったり、クスリと笑ったりしていましたところ、この日記を書くのが少し面倒になってしまいました。

    日々、振り返り、内省をしないというのは、良いことなのか悪いことなのか分かりません。
    いや、内省はしたほうがいいだろ派だったんですけども、上記のようにとりあえず日々を生きることで精一杯な人にはこの内省というものがやけに重たく、そんなことをするくらいだったら違うことをしている方が良いですわなんていう人もいるでしょうから、そんな人に「おい君、内省をすることがどんなに大切か分からないのか」なんて言ったとて、暖簾に腕押しというものでしょう。

    要は価値観、という話ですね。

    最近は何に興味があるのかというと。

    インスタには少し載せていたりするんですけど、メダカを60cmの水槽で買うようにしています。中には30匹くらいのメダカがいるのかなぁ。この前はIKEAの子供の玩具を収納するプラスチックのバケツみたいなやつに飼ってたんですが、冬になっていくにつれてメダカたちは冬眠していって動きが鈍くなって面白くないよなと考えるようになったのと、まだ子供くらいのサイズのメダカたちが結構いて(9月くらいに孵化したのでまだ大きくなってなくて)、この子たちを外飼いしたら寒さで春を迎えられないんじゃないかと思い、一発奮起、ガラスの水槽に挑戦です。
    こんなやつ。超でかいです。

    いざ、こういうのを用意してしまうと、ここでずーっと眺めてても飽きないので良いです。もっと早くやれば良かったかもしれません。
    あと、60cmにして良かったなと思いました。
    最初は45cmとか、30cmとかでいいかななんて思ってたんです。最初だし小さいやつから、みたいな安易な思い込み。だけどメダカが20匹以上いるのは分かっていたし、この子達が窮屈なところで暮らしてその結果酸素が足りなくなって死んでしまったりしたらかわいそうだよな、てかそれだったら60cmでいいじゃん、とひとりブレストして決めました。いやー。楽しい。

    別の話題。最近読んだ本。
    宇佐見りんさんの、かか。

    これネタバレになってしまうと思うのであんまいろんなことは書けないですが、主人公の、かかを思う気持ちを親身になって考えてみると、ギューって胸が苦しくなる思いです。
    いわゆる、毒親なんですよね。毒親に育てられた子供は、その家庭が作る世界が全てだと思ってしまうから、毒親が話すように話し言葉を覚えるし、だから、この書き方になってるんだろうなぁ。
    怪物級の描きっぷりですね。ここまで独創的に描けるのすごい。勝ち負けの話ではないですが、私には到底追いつくことのできない描きっぷりです。

    そんなところかなぁ。まだ何冊か読んだんだけど忘れました。

  • 11月22日 読書感想文 ★★★☆☆ 橋を渡る 吉田修一

    11月22日 読書感想文 ★★★☆☆ 橋を渡る 吉田修一

    ジャケ借り。橋を渡る、ってタイトル、よくないですかみなさん。私は好きです。
    橋って「こっち」から「あっち」をつなぐものなんですよね。
    「こっち」と「あっち」にはそれぞれ、どんな言葉を入れても良いと思うんですが、そこには「川」という大きな隔たりがあるはずなんです。それをつなぐための「橋」という存在。

    私は図書館に行くと、吉田修一のところをチェックする程度に好きです。私は新刊を追うような生活をしていないので新しいのが出たとかは分からないんですけど、それでも普段目にしたことのないタイトルが図書館の棚にあったりすると、おっ、なにこれ、と思ったりします。

    それがこの、「橋を渡る」でした。
    この、いい感じのタイトル、今まで借りたことあったかなぁ、と最近メモリのアクセス領域が減ってきている私の脳を巡ってみたのですが、記憶にはありませんでした。
    借りてみて、読んでみると初見。やった、吉田修一の新しい話が読める、と嬉しかったです。

    このお話をざっくり言うといくつかの短編に別れていて、それぞれがビミョー、すっごくビミョーに結びついている群像劇なんです。
    そしてこの展開、賛否分かれるだろうなぁーと思いながら読みました。
    詳細はネタバレになるので割愛しますが、吉田修一、こんな展開も描くのか!ビックリ!という感じでした。個人的には、現実的路線で行ってくれたほうが気持ち良いなぁと思ったり。

    吉田修一さんの好きなところは、必要最低限な描写と、スピード感です。まず描写については、物語を読者が理解するのに必要な分だけ描いてくれるような気がします。私がそう感じているだけかな。もしかすると、「私の知りたい量」と、「吉田修一さんの描きたい量」が一致しているのかもしれません。
    しかし、私の知りたい量っていったい、どういうことなんだろう。
    私が知りたい=物事を理解したい、というのに、私がタガを外せばいくらでも知識を得ることだってできるんだろうに、そう考えると私も必要最低限しか情報を必要としない人間なのかもしれません。

    たまに、いろんなことを知りたがる人っているよなそう言えば。
    その情報、今、必要です?みたいな。そこ別に核心じゃないですよ、みたいな。
    情報だって断捨離したら良いのに、とか思っちゃう。余計な情報を持ったところで、それをきちんと使うことをしないと役に立たないんじゃない?とか。

    余計な情報を得たくないから、SNSをやめてみる、とかね。小説の題材とはあまり関係のないエリアですが、そういうところも小説から学べたりするよなぁ。

    ところで、必要十分な情報量ってどうやって調整するんだろうなぁ。
    私は吉田修一さんのどこが好きなんだろう。
    と思った時に、出てくるのが「スピード感」というワード。
    どういうことかと言うと、物語の進むスピードです。そのスピード感が、止まるべき箇所ではきちんと止まり、進んでもいいところではばーっと飛んでしまうところとか。この緩急の付け方で、適切な情報量をコントロールしてるんだとしたら、それはきっとすごいことだと思います。

  • 11月21日 読書感想文 ★★★☆☆ 長い終わりが始まる 山崎ナオコーラ

    11月21日 読書感想文 ★★★☆☆ 長い終わりが始まる 山崎ナオコーラ

    この本、初見だと思って読んでいたんだけど、読み進めて気づきました。これ読むの2回目だった。
    私はこんな風に、少し斜に構えたような(という表現が正しいとは思えない、なんだろう)タイトルが好きで、タイトルと作者だけを見て図書館でジャケ借りをしました。
    前も同じような気分で、お、山崎ナオコーラじゃん、ん、なんだこのタイトル、奥行きがあって好きだな、という程度の気分で借りたんだろうなと思う。

    さて、このお話。ざっくりあらすじを申し上げると大学生のサークルでの話。主人公の女の子がちょっと変わった考え方を持つ子で、それを取り巻くサークルの人間関係とか、就職活動とか、そういう系の「考えなきゃいけないこと」や「やってかなきゃいけないこと」に対して前向きに取り組んだり、時にはネガティブになってしまったり、まぁ、人間だものいろんな気分があるよね、というお話。

    人間っていろんな面があるよなぁ、と自分のことを考えたりします。
    どこで何をしている自分が一番、自分らしいと言えるのか。そんなことをしばし考えたりもします。もしかすると、お酒を飲んで好きなことを考えたり、したりしている時が一番自分らしいのではないか、と今、ふと思いつきました。お酒の力を借りて理性みたいなものを外し、その殻の中にこもっていた「私」というものをゆっくりと陽に晒してみるような。陽に当てすぎてしまうとカラカラに乾燥してしまうので、適度に酔いが覚めたらまた理性をいう殻をかぶるんです、多分。

    しかしまぁ、理性っていうものがよく分からなくなりますね。
    例を挙げると、例えばさ、人によく見られたい、から他人に愛想よくするとかさ、それが本当の自分ではない、と仮定するじゃないですか。だけどそれだって、広い目で見たら自分なワケだし、これが本当の自分、とか、これは本当の自分じゃない、とかって、ただの偏見なようにも感じます。私の存在、個性に対する偏見。
    そういうのを、山崎ナオコーラさんは、しっかりと考えながら書いているような気がする。敏感というか。

    この、長い終わりが始まるというのは、ある曲のことを指しているんだそう。
    「終わり」というのは一瞬なことが多くて、終わりと一言に言ってもいろんなコンテキストがあるけど、その「終わり」が長いとは?と思ったんだよなぁ。割と最初の頃にその種明かしが出てくるから気持ちはスッキリしたんだけど、

    大学時代って、
    学生時代の終わりを表してるじゃないですか。

    この作品の中にはその、大学4年生の心境が高らかに綴られていて、「学生生活の終焉」を、ある曲にちなんで描いているんだよなぁーきっとそうだよなぁー。
    ですよね?って聞いたら山崎ナオコーラさんは、「ふふ、忘れた、分かんない」とか言いそう。

    途中、セックスに疎い男女がその行為を恐る恐る体験するところがあるんですが、私も経験が多いとは言えない方に属する人間なので、そのシーンはちょっと微笑ましかったです。
    そういう時期、あるよね、的な。
    しかしアレですね、この、疎いカップルが持つ心境みたいなものを丁寧に描けるのすげぇなぁ。そういう心境を体験した人しか描けないのではないだろうか、知らんけど。
    だとすると私も、はい、きっと描けるんだと思います。思わず数十年前のそういう時を思い返してみて気持ち悪くなりました。

    しかしアレですね、世の中には外向的な人、内向的な人と2つに大きく分けられるようですが、この後者に属する人は、きっとこういう話が好きなんじゃないかと思う。
    内向的な人の心に響きやすいストーリーを描くのが得意なんだと思う。

  • 11月13日 題名のない日記

    11月13日 題名のない日記

    HHKBに使っている充電式乾電池の持ちがここ2ヶ月くらいで急激にへたれてきたように思います。
    定期的に充電する頻度がものすごく増えたんですよ。
    ダメになっちゃった?にしてもまだそんな使ってないんですけどね。

    いやー。寒くなりましたね。
    足元を暖めるパネルヒーターを出しました。
    ゆっくりと冬に向かっていけば良いものを、こんな急に変えることないのに。

    定期的に、このままいなくなっちゃっても別に良いかな、と思うことがあるんですが(この日記にも何度か書いてると思う)、やっぱり家族の存在って大きいよなぁ。
    特に子供。
    彼らが成長していく姿を後ろから見届けたい。そんなふうに思うようになりました。
    季節の移ろいのように、彼らもいつの間にか成長しているように感じるんですけど、それはイコール私も歳をとっているわけで、いつまで元気でいられるか分からないので、残された人生を全うできるように生きていきたいなと思っています。

    とは言うものの大したことはしていなくて、それこそ普通の生活を営んでいるわけですけど、それでもこうして日記を書くことで、自分の思っていることを可視化する程度にしか生きていないです。

    書くことないなー、と思いながらペンを走らせています。

    たまには会社のことを。
    上司で、とてもお世話になった人がいるんですが、その人が会社を辞めるという話を聞きました。
    とても悲しい、寂しいです。
    その話を聞いた時には条件反射で「ついていきます!」って言ったけど、そんな気楽に会社を変えるのもどうかな、とか、今の会社に不満は別にないんですけどね、とかを考えており、まぁ、このまま残ろうかなと思っています。
    その人は女性で、私よりも10歳くらい上の方なんですが、自分の意見をはっきり持ち、ばりばりと仕事をこなすタイプの人。
    彼女に救われたことは何度あるだろうか。結構多くの時間を共にしたように思います。

  • 11月10日 日記と成長と私

    11月10日 日記と成長と私

    一日がいつもと同じようにすぎていくけど実際は違うことを考えて生きている。はずなんだけど、だいたいのことを忘れてしまう。そういう、忘れちゃうところが勿体無いと思っていて、つまりもったいないと思う気持ちがモチベーションになってるんだな。

    それを記すことで何かのプラスになるんだろうか。ふと忘れてしまうようなこと、それは本当に瑣末で、忘れてしまっても私の人生にはなんの影響もないものなんだけど、それでも日記に記すことで、改めて自分の目で見て思い返すことができる。それって良いことなんだろうか。

    たられば論になってしまうけど、人間が日々成長していくことを前提としよう。2023年11月10日に私が考えたこんなことを、数年経った後で改めて見返してみると、なるほど今の自分とは違う考えを持っているんだな、ということになったりするのではないだろうか。

    それはもしかすると、人生における楽しみの一つなのかもしれない。自分が、どう成長したかを確かめるための材料として、過去の、私が考えていたことと今を見比べてみて、考えてみて、私は確かに成長していると実感することが、人生において大切なことなのではないだろうか。

  • 10月31日 来年の手帳と私

    10月31日 来年の手帳と私

    来年の手帳をどうするか、頭から煙が出そうなほど悩んでいます。
    幸せな悩みですよねぇ。手帳なんて、本来はなくても生きていけるものだから。

    そう考えると、それがないと生きていけないものってどんなものがあるんだろう。

    • 食料
    • 衣類
    • メガネ

    私の場合、これくらいかなぁ。
    それ以外のものは、なくても生きていけるでしょ、という判断。
    スマホがないと死んじゃうっていう人がいるかもしれませんね。
    大災害が起きた時に、確実な情報を得るためのツールとして考えれば、スマホも必要なものになるかもしれません。
    けどそれもたらればの範疇を逸脱することはなく、バッテリーが切れたらおしまいなのです。
    スマホとか、ものに依存した生き方をしたくないなぁ、と思ったりもしています。

    さて。冒頭に述べた手帳の話。
    私は2010年くらいから手帳生活を始め、その時から一貫してほぼ日手帳を使っています。
    2018年くらいまで普通のオリジナルサイズ、A6のものを使っていたのですがその後にデイリーページのないdayfreeをしばらく使い、今年となる2023年からカズン(日付あり)を使っています。
    オリジナルのdayfreeからカズンへと移行した理由として、毎日たくさんのことを考えよう。それを書き留めておこう、と思ったのですが、このブログと同じような時期、秋口に入ったあたりから少しずつ疎かになってしまい、今ではそれが義務として考えるようになってしまいました。
    義務感を持って生きるのってちょっと自分の中ではないよな、と感じ、
    それに相まってほぼ日手帳カズンには大きく分けて3セクション(マンスリー、デイリーバーティカル、デイリー)あり、その2つ目のデイリーバーティカルにほとんど手を付けず、そんなことなら最初からなくていっか、と思ったりしています。

    ここに私の心境を書くことで、周りの人に見てもらいたいというよりかは自分の中での考えを整理したいという思いで書いているので、つまり、カズンのデイリーはもう使わなくても良いかな、と思っています。
    正直に言うとカズンはちょっと重たすぎた。在宅勤務が続くからデカいやつでもいいよなと思って買ったんですが、出社する時に携行しようとするとカバンが重たくなってしまい、ちょっと辟易しています。
    だけどサンクコスト効果もあり、せっかくカバーまで買ってしまったんだから中だけ来年のカズンを買った方がいいよなぁ、と思ったり。このあたりが超迷ってるポイント。
    で、結論を述べると、多分ですがカズンのdayfreeを買うような気がしています。
    日付なしモデル。dayfreeだとデイリーバーティカルがないし、デイリーページもないから、普通のカズンと比べると半分くらいの重さになるんですよね。それだったら持ち運ぶのも苦ではないよな、と自分に言い聞かせつつ。

    ほぼ日手帳をぜーんぶやめて、モレスキンとかロイヒトトゥルムみたいな外資大御所系とか、無印良品のちっさいノートとかも考えてはいるんですけどね。無印だったら気軽に使えるし、とか。
    悩みは尽きません。超幸せな悩みだと思う。
    まだ時間はあるので、まだまだ悩みたいと思います。

  • 10月19日 海外文学とジェットストリームと私

    10月19日 海外文学とジェットストリームと私

    15日ぐらいぶりに、日記を投稿します。
    何かを書きたい!というわけではなく、何か書かないと!というスタンスで日記を書いています。
    今年の2月くらいからコンスタントに日記を投稿してきたのですが、ここまで開けたのは初めてです。
    この存在を忘れていたわけではなく、日々の生活で他のことが優先されてしまって、時間をうまく確保できなかったのが一番の理由です。
    この、「日記を書かなかった」という過去の出来事から、ダメだな自分、、と少し寂しい気持ちに浸っていても何もプラスにならないので、大切なのは今、ということで前を向いて生きていきたいと思います。
    まずできるのは、日記を書くということ。
    自分の気持ちを深く知るきっかけにもなるんだから、そういう点でも日記を書くということを大切にしていきたいと思います。

    最近は、同僚から勧められた、海外文学を読んだりしています。
    直近ですとサローヤンの、パパ、ユーアクレイジーを読みました。
    あんなお父さんになりたいなぁと思えるような、ユーモアのあるお父さんと、10歳の息子のハートフルストーリーという感じでしょうか。
    もちろん、小説には描かれないお父さんの素性があるのでしょうけれど、少なくとも小説に描かれている範囲では素敵なお父さんだった、という印象です。
    今私の手元にある本は、たんぽぽのお酒と、夏への扉。これらもオススメされました。
    図書館の返却期限までに読み切らねば。


    別の話題。
    最近、文房具の神が唐突に舞い降り、ジェットストリームを使い始めました。

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    感想(2件)

    こんな感じのやつです。

    ジェットストリームを使うのは人生で2本目で、以前はほぼ日手帳を通販で買った時についてきたものを以前使っていました。
    そうそう、ほぼ日手帳を通販で買うと、ジェットストリームが付いてくるのは今でも続いていて、毎年更新されるからどんどん増えていくんじゃないかなーと思ったりしています。
    余計なものは持ちたくないので2年目以降は近くにあるLOFTで買うようにしていますが。
    私が今使っているものは、スヌーピーのピーナッツが大好きな奥さんが持っているもので、使っていいよ、と気軽にくれました。色合いとかもちょうど良い感じで、私もスヌーピーが好きなので、大切に使っていきたいです。

    さて、ジェットストリームの何が良いのか。
    使っている人なら分かると思うんですがペンの滑りが良いんです。
    あまり力を入れなくてもすらすらと文字が書けるという点、私の中では結構高めに優先度を置いていて、本当に気持ちよく書くことができます。「すらすらと」というのが強調したい点。ボールペンも進化してるよなぁ。気持ちよく書けるペンが増えたように思います。
    次に、インクの出がちょうど良いという点。
    私の中でジェルインクはちょっと出過ぎる感があってそんなに好きではなく、普通のボールペンだと少し物足りない。
    その点で、ジェットストリームはちょうど良い印象を抱いています。
    相変わらず万年筆も併用しているんですが、乾くまで待つとか、書く時のペンを当てる角度とか気にするのがちょっとな、ということで少しだけ熱が冷めている状態。まぁ、しばらくしたらまた万年筆最高!と思える日が来ることと思います。

    好きなものに囲まれて暮らすのってすごく重要ですね。
    ジェットストリームとか、手帳を含めた文房具もその一つだし、残り少ない人生を謳歌するには小さいところから最善を尽くしていくのって何気に大切だなと思います。
    世の中って大半はどうでも良いことである一方で、自分の中で譲れないと思うものに関しては、きちんと自分の中にある心の声を取り入れていくべきです。
    シンプルに言うと、気分が明るくなるんですよね。
    気分が明るくなると機嫌が良くなるし、そうなると世の中のいろんなことが自分にとって肯定的に映ります。
    大人になったら、自分の機嫌は自分で取る必要があるので、そういう点でも、好きなものに囲まれて暮らすというのはとても大切なことだと思います。
    この日記を読んでくれている人、身の回りにある「好きなもの」を意識して、自分の気分がどんな状態なのかっていうのを考えてみるのも良いかもしれません。

  • 10月4日 (小説)サトの初恋

    10月4日 (小説)サトの初恋

      サトは大きく息を吐いた。そうすると、自動的に空気が身体に取り込まれるのが面白くて、何度か同じ動作を繰り返した。
      届かない恋というのは面白いもので、そのおかげで人生が豊かになったような気がした。豊かというのは、サトの感覚で言うといろいろな感情が生まれるということ。好きな人がいるんだけど、彼に惹かれていじらしい想いをしたこと。恋に焦がれるというやつだ。舌でそっと上顎を撫でる。ざらざら、ごつごつした上顎は、今までいくつの食物が通り抜けていったんだろう。
      北脇くんという、3つ隣のクラスにいる彼とは、ちょっと前に学校の購買前で見かけた。陽キャとは正反対の、重たい前髪、分厚く、地味なメガネを装った彼は、誰にも見つからないようにそっとパンを買いに来たのか、というほどに存在感がなかった。
      彼の何に惹かれたのだろう。具体的には分からないのだけれど、一つ言えるのは、サトも北脇くんと同じようなメガネをかけて、そして陽キャとは正反対の人種ということだ。共通点が多い、とサトは考えたのかもしれない。上履きの中に小石が入っているのに気づいたサトは、誰も見ていないことが明らかな2時間目の休み時間に、そっと音を立てずに上履きを脱ぎ、履いている方を反対にして小石と思われるものを落とす。少し振ると、黒っぽい、小さな物体が下に落ちるのが見えた、ような気がした。
    こんな小さなことでも、北脇くんだったら聞いてくれそうな気がするとサトは考える。休み時間は何をしているんだろう。3つ隣の、3年5組にいると知った時は嬉しかった。まるで宝物の場所を見つけた時のような気分だった。そこから数日しか経っていないんだけれど、北脇くんのことをもっと知りたい、と思うようになった。
    こういう時って行動に移したほうが良いんだろうか、とサトは考えた。サトにはこれが初恋とも言えるようなほどの、心を揺さぶられるイベントであった。だから、残念というべきか、サトには経験がないからどうやってアプローチしたら良いのか、全く分からなかった。最初に思い浮かんだのはラブレターだった。この、スマホを一人一台持つ時代に、あえての手紙。そんな演出はただただ気持ち悪いだけだ、とサトはそのアイデアを切り捨てた。それ以外のアイデアが思いつかないサトは、3時間目へと入った。
    こういう時に、相談に乗ってくれる友達とかいたらなー、と空想みたいなことをサトは考えた。これもまた残念なのだけれど、サトにはそういうことを気軽に喋ることのできる友達がいないのだった。一緒にお弁当を食べてくれる太田さんという人はいるのだけれど、彼女もサトと同様に、恋というイベントに対して経験は少なそうな感じがしたのだ。だから相談するだけ無駄かな、ごめんね太田さん、とサキは考えた。そんなことを考えていたら先生に指され、サトは話を聞いていなかったことが露呈し恥をかいた。
    何事も進展がなく、一週間が過ぎた。これが恋愛小説だったらつまらないだろうな、私だったらここで読むのを止めるな、とサトは考えた。そこでアイデアが天から舞い降りてくるのを、サトは感じた。そうだ、図書館に行ってそういう本を借りたらいいんじゃないか、とサトは思いついたのだ。図書館なんて小学校の時にやった読書感想文の本を借りた時以来だ、まず図書館のカードがどこにあるかを探さなければいけないな、とサトは考えた。そして、いや待てよ、とサト。借りなくても、図書館で読めばいいんじゃん、と思いつく。週末の予定が決まった。私の恋愛小説を読んでくれている読者のためにも、私のこの初恋を先に進めなければいけない、と誰も読んでいないことを想定していないサトは、訳のわからない自意識の下、週末に図書館へと挑む。
    ここで北脇くんも図書館に来ていたら、恋愛小説としては急展開なんだけどな、とサトは考えたが、そもそも北脇くんが私と同じ市内に住んでいるかどうかわからないんだった。私の高校は4つくらいの市から生徒が通っているから、北脇くんはきっと違う市に住んでいるのだろう、とサトは勝手に解釈した。
    そもそも本を読まないサトは、この膨大な本の中でどんな風にお目当ての本を見つければ良いか全く分からなかった。恋愛のお手本?それは小説なのだろうか、それとも自己啓発みたいなタイプの本なのだろうか、それすらも分からなかった。恋愛小説の女王みたいな触れ込みの小説家とかいたよなー、誰だっけ、といつだかやっていた王様のブランチみたいな番組の内容を思い出そうとしていたが、残念ながらそれ以上の情報がサトの脳内には存在せず、すぐさま空中に飛び散った。
    ところが、ところがである。図書館に北脇くんと良く似た人がいるではないか。何やら分厚い本を脇の下に抱え、自習できそうなエリアへと向かっている姿が見えた。あれは本当に北脇くんだろうか、横顔、それもほぼ後ろに違い角度でしか顔を見ることがなかったから、あまり自分の目が信用できないサトは、北脇くんにはバレずに、顔を確認することができる場所を探すことにした。
    これでは何をしに来たのか分からないではないか、と読者は考えるだろうな、とサトはぼんやり考えた。読者のことなんて忘れてしまえ、と私は思わずにいられない。こうなったらサトのことを応援するしかなかろう、と読者は考えるに違いない、とサトは考え、自分勝手だな私って、ふふ、と一人でニヤついていたら、北脇くんみたいな人が大きなテーブルにある椅子を引き、そこに座った。
    驚く事に、北脇くんの隣には同い年くらいの女性が座っているではないか。北脇くんが見つけてきた本を二人で眺めながら、何か小さな声で喋っているのが窺い知れた。
    終わったな。まだ、始まってもいない私の初恋は、ここで散ってしまうのか、そう考えたサトは、本来の目的である恋愛にまつわる本を探すことなく、図書館を後にした。そういえば私が小学校だった頃に来た図書館って入り口で靴を脱いで、自分で持ってきた上履きを履いたような、とぼんやり考えたサトは、ついでに、その上履きにも、小さな小石が入っててすごく気持ち悪いことを思い出したのだった。