投稿者: hmgrbean

  • 自分に自信が持てないというのは、果たして悪いことなのだろうか

    自分に自信が持てないというのは、果たして悪いことなのだろうか

    ものは考え用だから、自分の発言や行動に自信が持てていないというのは、裏返すとそれらに対して慎重に進めていきたいということの表れなのだろうと思います。
    私は小さい頃からそうやって自分の発言や行動に対して慎重で、自分の意見を大きな声で言うような人間とは対極な存在でした。
    10歳くらいまでで人間の性格が出来上がるとよく言われますが、その通り、私は10歳くらいの頃のマインドセットから何も変わっていないような気がします。

    果たして、それは良いことなのか、悪いことなのか。

    今日、それについてじんわりと考える機会がありました。

    私は外資系の会社に勤めていて、年に一回、査定の時期がやってきます。外資系の会社ということで、いかにアピールするか、それによって自分の評価が変わり、その先にはボーナスの給付額が変わったりするのですが、2024年の査定で、初めて、あまり良くない評価をとりました。
    まぁ、多少ボーナスの支給額が少なくなったところで、そういうもんかな、と思うのですが、少しだけ、もっとアピールがうまかったらな、と思う自分もいたりして。
    お金が全て、ではないですが、会社からあまり良くない評価をつけられるというのは、やり方が良くなかったのかな、と反省するための材料になりました。
    つまりそれは、私が自分の発言や行動に対して自信がないから、上司へのアピールなんてもってのほか、実直に、今自分に求められている仕事を無難にこなすことで上司は見てくれる、と勝手に信じていたような気がします。

    そんなものをいつまでも引きずっていても、何のプラスにもならないですよね。
    切り替えて、明日からの仕事をまた頑張って行こう、と思うのですが、冒頭に書いたように自分に自信がないから、そんな簡単にピッカピカの自分をアピールしよう、と変身する事ができないのが困ったものです。

    まず自分にできることは何だろう、と考えてみても、前述の通り自分の仕事を実直にこなしていこう、しか思いつかず、それでも良いのかもしれないですが、もうちょっと、自分をアピールするということを考えてみても良いのかなぁ。
    まずどうしたらいいんでしょうね。
    簡単に意識を変えるのは難しいけど、ちょっと考えてみても良いかもなぁ。

  • 押しがけでエンジンがかかった話

    昨日のブログで、ルネッサのガソリンコックがPRIになっていたまま放置したからガソリンが漏れた?と書きました。

    この↑記事を書きながら、この状態でガソリンを入れたらどうなるんだろう?とふと思い立ち、仕事が終わったと同時に自宅近くのガソリンスタンドまでバイクを押していきました。(片道1kmくらい、、真冬なのに汗だくなのはもう慣れた)

    途中、電車の下を通る歩道があるのですが、そこで試しに押しがけをしてみたら、エンジンがかかりました。

    !!!

    ギアを3速に入れ、ヘルメットをかぶり、下り坂を勢いをつけて降りたところでばつっとクラッチを繋いだところ、あんなに待ち焦がれていたスーパートラップの音が。。
    正直なところ廃車まであり得るよな、16万は高い勉強代だったわ、と思うところまで至っていたので、エンジンがかかったのはとても嬉しかったです。

    その後ガソリンを入れ、また坂道で押しがけを頑張ってみたのですが、アイドリングが安定せず直ぐにエンストしてしまう状況。バッテリーは完全にイってしまったので、押しがけを10回くらいトライしてみましたが、それでもエンストしてしまうので、それを何度か繰り返してエンジンがおかしくなってしまったら元も子もないので、昨日はそれで諦めました。

    PRIでガソリンダダ漏れということは、いくつかのサイトを調べてみたところクランクケースにまでガソリンが溜まりまくっちゃっているため、エンジンオイルを交換する必要があるとのこと。それも近いうちにやらなければ〜。早いとこ、いい感じの状態に持っていきたいと思います。

    当面、残ってるタスク

    • エンジンオイルを交換する。近くのバイク屋でやってもらうか、自分でやるか。自分でやる場合は廃油をガソリンスタンドとかで引き取ってもらう必要があるとのことですね?ほんとにそんなことやってもらえるんでしょうか。半信半疑ですが、昨夜ガソリンを入れたガソリンスタンドが一番近いので、そこまで洗面器を持っていけば良いのだろうか。電話して聞いてみたら良いんでしょうけどちょっと心の準備が必要だ。。
    • バッテリーを充電か、交換する。楽天でバッテリーと、充電器のセットが5000円くらいでしたので、ポチりました。まず、今ついているバッテリーを充電してみて、セルでエンジンがかかるかを試してみて、その後、バッテリーのヘタりぐあいをみて新しいバッテリーに替えてみます。
    • 場合によってはスパークプラグもいずれ替えることになるかも?

    安定して乗れるようになるまで先は長い〜。

  • もしかしたらPRIとなっていたのが原因?

    もしかしたらPRIとなっていたのが原因?

    またまたバイクの話です。
    昨日より悶々としていて、YSPに持ってったけどやんわりと断られたし自分でやるしかないか〜、けどなーちゃんとできるか不安だ、のあたりが悶々とした原因ですが、
    ちょっと考えると、今、私は2つの不安、もやもやがあることが分かりました。

    1. ヤフオクで少なくないお金を払って買ったのに、そのお金をドブに捨てるようなことになるんじゃないかという不安
    2. ある程度のDIYならやっちゃうという性格の元、バイクに関しては全くの素人で、そんな私に直すことができるのだろうかという不安

    細かく分けるとこんな感じ。
    2を乗り越えられれば、1は自動的に払拭されていくはずなので、まずは2をなんとか乗り越える必要があるんだろうな、と。

    さて、あれからいくつか原因とか、そういうものを考えています。その辺を整理したく、まとめてみたいと思います。

    バイクが急に動かなくなるまでの経緯

    1. ヤフオクの取引先に行く。ナンバーを取り付けて、セルを回す。1度ではかからず、だけど2度目ですんなりかかった。
    2. ガソリンは直ぐに入れてね、と言われ、そこから2kmくらい走ったところでガソリンを満タンに入れる。
    3. そこから40kmくらい走る。途中、エンストなどもなく、快適なドライブだった。
      あ、一度、道の駅があったのでちょっとだけ休憩。その時もエンジンは一発でかかる。超調子いいじゃん、と思った。
    4. 帰宅して割とすぐ、近くの図書館へ。家から3kmくらい。
      ここでもバイクは一発でかかる。
    5. 図書館へ到着する際、このボタンなんだっけ?と軽い気持ちでキルスイッチを押してしまう。
    6. 図書館へ。10分くらい眺め、バイクへ。
    7. かからない。そういえばキルスイッチ後ってエンジンがかかりづらかったような、と思い出す。
    8. 押しがけのやり方を今更調べる。45歳の老体には結構ハードだったけど、2回くらいチャレンジして失敗。汗だく。
    9. ここで、タンクのコックが、PRIになっていることに気づく。私はここを触っていないので、1の時からPRIだった。
    10. ネットでPRIのことを調べる。私が20年前にルネッサに乗っていた時は1度も使わなかったと思う。
      調べてみると、ガソリンを強制的にエンジンに送るもの(意訳)ということを理解した。
    11. 3kmを押して帰宅。PRIのまま放っておく。
    12. 翌日、バイクの下からガソリンが漏れまくっているのに気づき、焦る。
    13. 変なの掴まされてしまった!!と気分が動転する。

    ざっとこんな感じ。
    で、今日、少し気持ちが落ち着いたところで、改めてネットでPRIのことを調べ、いくつかのサイトを巡っていると、こんなサイトに出会いました。

    https://www.europark.com/xj900/diary/dia20120301.html

    だから今回も、プラグのカブりだけ取り除いて再始動し、エンジンを温めてガソリンを気化させてしまえばよかったのに、何を間違ったか、このときの私は、キャブを外してフロートバルブのチェックを始めてしまった。この時点では未だ、ガソリンコックが PRIになったままとは気がついていなかった(笑)。

    私の状況、まさにこれなのでは!!!
    私も危うく、キャブレターを外してどうのこうの、と見てしまいそうでした。
    仕事が終わったらガソリンを入れに行ってみようと思います。

  • 今日も今日とてバイクの話

    今日も今日とてバイクの話

    SRVルネッサからガソリンがおびただしく漏れたあと、ガソリンが出なくなってきました。
    多分、タンクに残っていたガソリンが全部出たのだと思われます。

    そして今日、どこか近くのバイク屋に持っていって直してもらうために預けようと思ったのですが、2軒、それぞれ持ち込んだんですがどちらからも断られる始末。

    1軒目は街のバイク屋って感じのお店で、車体番号から過去のパーツなどを検索してくれようとしたのですが、流石に古すぎて検索にヒットしなかった、とのこと。。
    お店の看板にHONDAの翼のマークが掲げてあったので、流石に難しいな、と思い食い下がることなく諦め。
    2軒目は本命の、ヤマハのお膝元のYSPへ。1軒目から2軒目の間は3kmくらいあったでしょうか。
    ヒーヒー言いながら、途中何度も休憩をしながら持っていったのですが、10年以上前のバイクに関しては基本的に受け付けられない、とのこと。。
    整備士さんにかるーーく、3分くらい見てもらったのですが、ざっくり見たあとに「これ相当かかりそうっすよ」という、とてもショッキングなお言葉。
    今から3ヶ月後の4月に整備の予約を入れ、バイクは3ヶ月置きっぱなしにしてもらおうと思ったのですが、倉庫もいっぱいで、ということでまた押して自宅まで帰ることに。
    250ccだから軽いというのもあるかもしれませんが、トータル6kmくらいを押して帰って疲労困憊。
    さすがに古いバイクだとバイク屋さんで直してもらうっていうのはだいぶハードルが高いのかもしれません。
    自分でタンクからキャブレターのあたりを外してみて、どこがおかしいかを調べられれば良いのですが、そういうとこに関しては全くの素人です。
    こんな私にできるかどうか、甚だしく不安、この不安は「バラしてみて何もわからず、一旦戻してみたけど不明なパーツがたくさん残ってて元通りにならない」というもので、それは私がどんだけ勉強してタンクからキャブレターに至るあたりを知ったところで、経験に基づくアクションを起こすことができないかもしれないので、自分でバラすのは最終手段かなと思いました。工具もないしね。工具なんてプラスマイナスのドライバーとかIKEAの家具についてきた六角レンチくらいしかありませんから、そんな私がそこまで至るには数多のハードルを超えていかなければいけないんだよな、と思ったりしています。

    まー、バラしてみてダメで、そこで諦めて捨てちゃうということもありなのかもしれませんけど。
    ヤフオクで買ったばかりで、まだ30kmくらいしか走っていないのにもう廃車にするっていうのは、それまた超つらいハードルだよな、と思ったり。

    明日以降、しばらくこの辺りを逡巡するような日記になるような気がします。

  • 4DN SRVルネッサ ガソリンが漏れまくっていました

    4DN SRVルネッサ ガソリンが漏れまくっていました

    いやーーーー、、、
    恐るべし個人売買。。

    今朝、バイクを見に行ったらダダ漏れでした。

    ガソリンが漏れまくっています

    明日、近くのバイク屋に持って行こうと思いますが、果たしてきちんと乗れるようになるのか分からずです。
    ショックが大きく、寝込むほどではないですが、それに近いくらい気持ちが沈んでしまいました。

    ネットをくまなく散策してみたのですが、タンクからキャブレターへ繋がっているケーブルがへたれているのか、もしくはキャブレターが何かしら悪さをしていて、そこから漏れたのか、、
    タンクにガソリンが残っているかもわかりません。
    困ったなー。

  • バイクを買いました

    バイクを買いました

    大学生の頃に友人たちとバイクに乗っていて、社会人になってからは乗らなくなり、一度手放してしまったんですが、そこから20年もの年月を経て、バイクを買いました。

    いわゆる、リターンライダーってヤツでしょうか。
    20年ぶりに乗るバイクは、めっちゃスピードが出て怖かったです。
    普段は車しか乗っていなかったので、直接風を浴びる圧力だったり、横を走り去るたくさんの建物、田園風景だったり、そういうものがダイレクトになんのオブラートにも包まれずに五感から脳に突き刺さる感じがもう、バイクにしか味わえないものだよな、という感じです。

    どんなバイクを買ったのかというと、それまた大学時代に乗っていた、ヤマハのSRVルネッサというバイクです。同じバイクを買い直したんです。
    全く同じというわけではなくて、少し細かい話になるんですがマフラーとか、ウィンカー、ハンドル、というバイクカスタムの基本3点セットはすでに前オーナーが換えている状態です。
    ま、細かいところはどうでもいいから、私はルネッサというバイクにまた乗ることができて良かったです。

    どんなところから買ったのかというと、ヤフオクです。個人売買ってヤツですね。
    自宅から電車と徒歩で行ける圏内でバイクを出品していて、少し様子を見ていて、気持ちを込めて入札。私が入札した金額を誰も上回ることなく、無事に購入することができました。
    それにしてもアレですね、ヤフオクってバイクの車体を買う時って追加の手数料がかかるんですよね。もし買われる方はお気をつけください。

    https://support.yahoo-net.jp/PccAuctions/s/article/H000005313#t-raku

    さて、無事にバイクを受け取ったのち、ホクホク顔でバイクに乗って帰ってきたワケですが(落札前に自走引き取りがオッケーか確認しておりました)、無事に自宅まで帰ってくることができました。
    ヤフオクで相手は業者っぽい感じの方でした。とは言え、ヤフオクは個人売買ということになるので、バイクの状態はだいぶ気にしてたんですけどね。
    実際はきちんと走る、止まることができる、ちゃんとしたバイクでした。

    が、

    いったん自宅に戻り、そこから自宅近所へまたバイクで出かけた時に、事件が起こりました。
    近所というのは図書館で、自宅から4kmくらいのところにあるのですが、そこへ着いた時に、「このスイッチなんだ?」と思って押してしまったのがキルスイッチで、これはバイクが倒れたとか緊急事態に陥った時に押すボタンなのですが、それを押してエンジンがストップ、でそこからかけ直そうとしても全然かからなくて。
    俗に言う、エンジンがかぶるというヤツです。ガソリンが変な風にエンジンに残ってしまい、プラグの火花が飛ばないっぽい感じのヤツ。
    幸いなことにバッテリーはきちんと残っていたので、そこから何度もエンジンをかけようとスイッチを押しまくったり、また、ギアを1速、2速に入れてがーっと走り、そのはずみでエンジンをかける押しがけというヤツを試したりしてもダメでした。
    30分くらい頑張ってたんですが結局ダメで、4km、鉄の塊を運んできました。超辛かった。
    そういえば昔乗っていた頃もキルスイッチを使って以降はエンジンがかかりづらかったのを後々になって思い出すという事態。

    さて、明日にはかかるでしょうか。
    試してみたいと思います。
    また、せっかくの機会なのでプラグを新品のものに替えてみても良いのかなと思いました。
    どうやら品番はCR7HSAというものだそうです。
    プラグを替えたらまたブログに載せたいと思います。

  • やりたいことを全部やったら何が残るのか

    やりたいことを全部やったら何が残るのか

    人生でやり遂げたいことをいくつか考えてみると、それには気力や体力やお金みたいな資本が必要にはなるけれど、それでもそれらの資本を投入してやり遂げた時、人間には何が残るんだろう。
    究極の状態のように思います。
    そこまでやり遂げてしまったら、もう人間は後は死ぬだけなのではないかと。
    と、ここまで書いて、私が数年前に抱いた「全部、死ぬまでの暇つぶし」という感覚は、それの一端を担っているような。
    当時の私は、だいたいやりたいことはやり遂げてしまって、後はもう死ぬのを待つくらいしかないな、くらいの、今考えると青臭く、お前の目は節穴か?その年でやり遂げたぜ!なんてはえーだろまだ、やることあるだろうよ、と思うのですが、人間ってそこまでやり切ると、人生に未練を残らないということになるのでしょうか。
    ちょっと考えてみても、死ぬまでにやり切ることができないだろうと思うようなことはいくつか思い浮かびます。

    例えば読書。
    読書は、この世で発行されている本を全部読もうと思っても、おそらく死ぬまでに読み切ることはできないでしょう。私は40代中盤なので、気力が残り35年続くとして、いったい何冊の本を読むことができるんだろう。
    1週間に2冊* 52週* 35年=3,520冊!
    結構なボリュームですね。私は日本文学が好きなので、3500冊も読めたらもう死んでも良いわ、ってくらいに感じるかもしれません。
    仮に、死ぬまでに3500冊の本を読むぞ!と決めても、読み切るのは難しいだろうな。
    ちょっと調べてみると1年間に出版されている本は、なんと7万冊だとか。
    私の目に触れない本がたくさんあるんだろうな。7万冊ってすごいですよね。10年で70万冊ですよ。

    閑話休題。

    ふと、3500冊を読み切る目的ってなんだろうと思いました。
    3500冊を読んで、あぁ面白かった!と感想を抱くことが目的なんだろうか。
    最近よく、いろんなところで「アウトプット」という言葉を目にします。

    小説を読んだらなるべく読書感想文を書くようにしていますが、そうすることが大切なんだとか。
    読んだらそれで終わり、というのも良いですが、読んだ後に感想を書くと、不思議と、その物語のことをいつまでも覚えているように感じます。
    特に自分の中で刺さった小説は、強い気持ちで書いたりしますので、その時に、物語を思い出し、反芻して自分の中でも考えてみて、その中で覚えるということになっていくんだろうなぁ。

  • 疲れたらたっぷり眠れ

    疲れたらたっぷり眠れ

    自己嫌悪におちいったとき、何もかも面倒でいやになったとき、何をしてもくたびれて仕方ないとき、元気を取り戻すためには何をすべきだろう。
    ギャンブル?宗教?流行のリラックス療法?ビタミン剤?旅行?飲酒?
    そんなことよりも、食事をして休んでからたっぷりと眠るのが一番だ。しかも、いつもよりずっと多くだ。
    目覚めたとき、新しい力が漲る別の自分になっているだろう。
    「漂泊者とその影」より

    何をそんな当たり前のことをそんなストレートに、と思いました。
    いや、けど、何を優先するかという価値観次第ですよねこんなの。
    私は、睡眠を割と高めの優先アイテムに置いているので、ニーチェのこの言葉は共感することができます。

    が、だからと言ってこのブログを読んでくれている方に「睡眠を高めの優先アイテムに置きましょう」とは言えません。言いたくありません。
    個人個人の考え方があり、ましてや多様性社会などと言われている中で、そんな画一的な、まして今と全く違う世界が背景にあるところで書かれたものに、全員が共感するべし、というのは難しい話なのです。

    ただ、睡眠は、お金がかからず、目を瞑るだけででき、必要なのは時間(と寝るための場所)だけという非常にシンプルなものなんですね。
    何か物を買いたいとか、温泉とか、暴飲暴食とか、ほとんどの場合、お金が必要です。
    考え方次第ですが、睡眠をたっぷり、欲望のままに取ったとき、「だいぶ寝たなー!」とすっきりしていると思います。時間かかったなー!みたいなネガティブな感想は抱きつつも、寝たことによってストレスが発散され、前向きに考えることができるはずです。
    一方、物を買う、温泉、飲食は、一時の満足感は満たされると思いますが、結局寝ていないとしたら、機嫌はいつまで経っても改善されないのではないかな。
    って、敵のような比較対象として取り上げてみましたが、そうは言っても、冒頭に書いた通りこれは人の価値観に関わる話だから、自分にとっての優先アイテムってなんだろう、と考えてみると良いかもしれません。

    ちなみに私は、1に睡眠、2に食事、3に運動です。
    めっちゃ普通ですね。40歳を超えてからは心身の健康に気を付けるようになり、私は特に暴飲暴食で体調を崩しやすいので、無理に食べ過ぎたり二日酔いになるほど飲みすぎたりしないように、節度を守っているつもりです。3ヶ月に1回くらいはやってしまうんですけども。

  • 夜が明ける 西加奈子 ★★★★☆

    夜が明ける 西加奈子 ★★★★☆

    西加奈子さんを読むのは3作目です。サラバ!、まく子、そしてこの「夜が明ける」。
    どの本を読もうかと言うのはあらかじめ決めているわけではなく、図書館で在架されているものをパパっと見て、そこからジャケ借り、という感覚で、この本を手に取りました。

    いやぁ、壮絶でした。
    西加奈子さんの想像力にただただ圧倒されるばかり。
    サラバ!も、まく子も、かなり熱量の高いお話でした。
    だけどこの夜が明けるは、個人的には、それらを凌駕していると感じました。

    西加奈子さん、もしかすると壮絶な貧乏体験をしたのかもしれませんが、それだとしても、貧乏なことを適切な言葉で表現することがいかに難しいか。それを、西加奈子さんの筆力をもって読者に届けようとする気持ちがすごい。
    特に凄かったのは、貧乏のところと、パワハラのところ。
    少しは救われてほしいなぁと読者側として思わずにいられないほどの、貧乏+パワハラと言う両輪で襲ってくるところは、正直読むのがしんどかったです。
    私は、幸か不幸か、そのどちらも壮絶なレベルでは経験したことがないので、それらは想像するしかないんですが、私が主人公だったら辛すぎて自殺してしまうと思います。それくらい辛かった。
    最初の40ページくらいまではだらだら読んでいたのですが、それ以降は一気に読んでしまいました。次が気になってページを捲る指が止まらない、というのを感じた久々の作品でした。
    読んだ後、思わず、重たいため息。

    プロットをぼんやり考えてみると、二人を主人公と読んで差し支えないでしょう、彼らが生きようともがく気持ちを持つキャラクターが立ち、彼らを取り巻くような、少なからず彼らには迎合しない人たちがいる感じ。ストーリーについてはネタバレになっちゃうので詳細までは描きませんが思春期の頃から青年へと、そして33歳に至るまでの紆余曲折、紆余曲折なんて四文字熟語だけでは語りきれないほどに大小さまざまな波が押し寄せてきます。
    私の中では冒頭に述べた貧乏+パワハラのところの描写とストーリーがリアルで、壮絶すぎて、だから逆に幕切れのところは、えっ、このまま終わっていくの?!、と残りのページボリュームを左手の親指で感じながら読んでいました。最後は報われてほしいと多くの読者が考えただろうと思いますが、、いや、主人公の彼らは彼らなりの、ハッピーエンドだったのかもしれないですね。

    また、人間は、小説に、いったいどんなことを求めるんだろう、そんなことも考えながら読み進めました。
    おそらく私の場合は、私とはかけ離れた境遇の人が登場する物語を欲するような気がします。というか、小説を読む人ってみんなそんなもんかね。
    エンタメ性に溢れるストーリーというのは、そういうものなのかもなぁ。ふと思いましたがいわゆる探偵ものは、実際に刑事や探偵を生業としている人は読むんだろうか。そういうものを生業にしていても、小説に描かれるような奇抜な殺人事件みたいなものに触れる機会ってそんなにないから、それはそれ、って感じなのかなぁ。
    私は、私が生業にしている業種/職種に近い物語を読みたいか、と言われると微妙だなぁ。私は共感ではなく、私とは関係ないところで繰り広げられるストーリーに一喜一憂したいタイプなんだろうな。

  • 読書感想文 モモ ★★★★★

    読書感想文 モモ ★★★★★

    完全にナメてました。

    名作とは言え児童書だろ、しかもかなり前に出たやつだし、くらいの感じで。

    読んだきっかけ

    Xを通じて知り合った方が、ご自身を作り上げた本の中にこれを挙げていて、おいおいマジかよ、と思ったのがきっかけです。私はその方を信頼していて、そこまで言うなら、と図書館で借りたという経緯になります。

    私が住む自治体の図書館ではこれを児童書コーナーではなく、ヤングアダルトコーナーに置いていたので、探すのに少し苦労しました。借りた時は宝物を見つけたかのような気分。

    だけど分厚い。ものすごく分厚い。同時に、他に何冊も借りていたので2週間以内に読み切れるんだろうか、もしかしたらモモだけ読んで残り全部を返す羽目になるのではないか、と思いました。

    だけどそんなことは杞憂でした。

    帰宅してすぐに読み始めたところ、これがまためちゃめちゃ面白い。子供向けでもあるのでひらがなが多め、だから本が分厚いということなのかもしれません。

    この作者が上手いのか、訳者が上手いのか、もしくは両方とも上手いに違いないのですが、ストーリーへの緩急の付け方がとても上手いのです。

    そして物語を盛り上げていくところに対する書き方。

    灰色の、なんかよく分からない軍団が、だんだんとモモに近づいてくるところの描写が素晴らしく、話の展開が気になって仕方ありませんでした。

    主人公モモ

    モモという女の子が主人公なのですが、表紙に彼女の外見が描かれています。

    あえて彼女の顔を描かないところに、読者の想像力を掻き立てる工夫がなされています。

    おかげで、どんな顔をしているんだろう、これイタリアとかギリシャとか、そういうところだから、そういうところにいるような女の子なんだろう、みたいな想像をしました。

    モモは不思議な魅力を兼ね備えていて、会話をしていると、その相手がだんだん気持ち良くなってくる、とのこと。

    今の時代の言葉で言うなら、聞き上手ということになるのかな。

    なんでそんなふうに上手に、人の話を聞けるんだろう。

    モモに限らず、聞き上手な人は相槌の質が高いことが多いですね。

    相槌の質って本を読んでもなかなか上達するのが難しくて、というのも会話をしながら、どんな相槌を打ったら相手が気持ちよく喋れるんだろうか、って考えながら聞かないといけなくて、それには話を聞くと言うことと、相槌をどう打つか考えるという両面で物事を考えながら聞かないといけないからです。

    それは天性とも言える素質なのかなー、と思います。両方を頭の中で動かしながらってなかなか簡単にはいかないから。

    物語で心に残ったセリフなど

    モモはまるで、はかり知れないほどの宝のつまったほら穴に閉じ込められているような気がしました。しかもその財宝はどんどんふえつづけ、いまにも息ができなくりなそうなのです。出口はありません。だれも助けに入ってくることができず、じぶんが中にいることを外に知らせるすべはありません。それほど深く、彼女は時間の山にうずもれてしまったのです。
    284ページ

    時間が、無限にのしかかってくる感覚。

    それを”財宝”と表現することで、作者の価値観を読者の心に植え付けているなぁと思いました。

    時間って、財宝なんでしょうか。あんまそんなイメージを持っていなかったので驚きました。

    けど、「自由な」という意味を付け加えることでより一層、作者の気持ちを汲み取ることができるなー、と。

    自由な時間。これは悪い意味で言うと、退屈でしょうか。

    何もすることがなくて暇を持て余している感覚。モモが、石段に座り、かつての友人たちを待つ間、彼女もまた、退屈と感じていたのかも知れません。

    今、私は家族で過ごす自由のために、自分の時間を会社、社会に提供し、その対価としてお金をもらっています。そのお金を使って「やりたいことをやる」という意味での、自由を手にいれることができます。時折、仕事によって気持ちが打ちひしがれてしまい、家族で過ごすはずだった自由な時間を楽しむことができないことがあります。

    それって、ものすごく残念なことです。

    ゆとりが楽しみを海、それによって対価を得るための活力を得るという循環が、どんなに貴重で、どんなに難しいことか。

    今の私は、その、ゆとりを感じながら生きているのだろうか、と本を読みながら感じていました。

    時間を、財宝と捉えるべきことに、私は違和感を抱いていないだろうか。

    自由を十分に謳歌できているだろうか。

    灰色の男たちに惑わされ、自由を疎かにし、財宝を見失って生きてはいないだろうか。自問が尽きません。

    きちんと考えるべき問題、人間が忘れてはいけない、とても大切で大きな問題だと思います。

    ふつうの場所では、時間はおまえの中に入っていく。それでおまえの中には時間がどんどんたまっていき、そのためにおまえは年をとっていく。

    315ページ

    時間が自分の中に入っていく、という感覚。

    原文は分からないのですが、これを訳した人の才能たるや。

    時間がまるで液体のように身体の中にたまっていき、それを栄養にして年をとっていく、とはすごい発想です。

    今までそう考えたことはなかったけれど、これからはそのように、時間を飲み込んで生きていくんだな、って考えていくことになる気がします。

    だけどもし、時間が栄養になるんだとしたら、きちんとした栄養として身体に取り入れたいものです。

    良い時間は例えば、貴重な体験とか、ゆとりのある時間から得られるでしょうから、例えば子供たちとすごす時間とか、大好きな趣味とか、睡眠とか、なるべく怠惰なことではなく、きちんとした時間を過ごしていきたいなと思いました。

    この物語のように、時間をもとに戻すことはできないので、過去を振り返ってもそれが糧になるとは限らないため、たまに参考にする程度で、日々、良い選択をしていきたいです。

    うーん、違うかな。

    過去、自分を肯定するために、自分が判断した選択は全て正しかった、と考えて生きるべきなのかもしれません。

    そんなことで後悔したってしょうがないから。

    はじめのうちは気のつかないていどだが、ある日きゅうに、何もする気がなくなってしまう。何についても関心が持てなくなり、なにをしてもおもしろくない。
    だがこの無気力はそのうちに消えるどころか、すこしずつはげしくなっていく。日ごとに、週ごとに、ひどくなるのだ。
    気分はますますゆううつになり、心の中はますますからっぽになり、自分に対しても、世の中にたいしても、不満がつのってくる。そのうちに、こういう感情さえもなくなって、およそなにも感じなくなってしまう。なにもかも灰色で、どうでもよくなり、世の中はすっかり遠のいてしまって、自分とはなんのかかわりもないと思えてくる。怒ることもなければ、感激することもなく、よろこぶことも悲しむこともできなくなり、笑うこともなくこともわすれてしまう。そうなると心の中はひえきって、もう人も物もいっさい愛することができない。ここまでくると、もう病気は治る見込みはない。あとにもどることはできないのだよ。うつろな灰色をしてせかせか動き回るばかりで、灰色の男とそっくりになってしまう。
    そうだよ、こうなったらもう灰色の男そのものだよ。この病気の名前はね、致死的退屈症というのだ。
    321ページ

    長い引用となります。

    生身の人間が、だんだんと灰色の男になっていく描写。余裕をなくし、何かに縛られてせかせかと働く人間の様を表しているように見えます。

    こうはなりたくないと思っていても、いざこの状況になってみると周りが見えなくなり、だんだん灰色になっていくんだろうなぁ。

    時間を節約して、効率的に生きることを否定するつもりはありません。

    私も、ライフハックとか、時短術と呼ばれる類の話はむしろ好きな方です。

    だけど、そればかり優先して大切な余裕とか、ゆとりとか、そういうのを見失ってしまっては人生が台無しになってしまうのではないでしょうか。

    人のフリ見て、というわけではないけれど、自分はワーカホリックなところがあるので、定期的にこのことを思い出して、自分を俯瞰して見つめ直す必要がありそうです。

    家族と過ごす時間とかもきっと、こういうことの役に立つ気がしますけどね。

    そういえば最近、子供と遊んでいない気がするなぁ。

    このままでいいんだろうか。