ほろ苦いビールの味

大好きだった彼と別れた。
突然のことで、未だに頭が混乱したままだ。
ただ、他に好きな人ができたという言葉だけを残して、彼はいなくなってしまった。

私が彼を繋ぎ止めておけるようなものは何も残っていなかった。
いつも私が追いかけてばかりで、「付き合っていた」という事実は、
実は、私が勝手に思い描いていた解釈で、

本当は、

私がずっと片思いをしていただけなのかもしれない。

遊ばれていた?
と友人は今だからこそそう言うけど、私にとっては
そんなことはどうだって良かった。
もうお前とは会わない、と言われた時点で、
遊ばれていたとか、本気だったとか、そういう次元の話は
本当に、どうだって良くなってしまったのだ。

彼は早足で歩く人で、私はいつも後ろ姿を追いかけていた。
いくつもの季節を一緒に通り過ぎ、最後まで早足のまま、
見えなくなってしまった。 

彼は、ビールをとてもおいしそうに飲む人だった。 

一度彼の家で食事をした時、
途中のコンビニでビールを買い、彼の家で食事をした時、
苦いお酒は苦手、というと私の分まで飲んでくれた。
私は一緒に買っておいた、アルコール度数の低いチューハイを飲んだ。
それでも私は顔が真っ赤になり、とても恥ずかしかった。

「大丈夫、女はすぐ忘れちゃうのよ、この泡みたいに」
涙でぐしゃぐしゃになった私を、ビールを飲みながら友人は慰めてくれた。
そうかなぁ、と私もビールを飲んだら、その苦さに彼を思い出し、
顔が涙でぐしゃぐしゃになり、 また友人を困らせてしまった。
友人には何度この相談をしたのだろう。
付き合っている時にも、幾度となく「遊ばれているのかもしれない」と言った類の相談をしていたのを、今では痛々しく感じてしまう。
私、本当は、遊ばれていたの、分かってたんだね、と言うと、
彼女は、ふっと笑い、私のビールを奪い、一気に飲み干した。
喉が、ゴクッ、ゴクッ、とビールを胃に落としていくのがありありと見えた。

彼と歩く散歩道の空気、足音、公園のブランコ、都電が走る音。
みんな大好きだった。そして、彼のことも。
ほろ苦い味がする思い出は、ビールの泡みたいに消えてなくなるだろうけれど、きっと、それで良かったのだ。
彼のことをだんだん忘れていかないと、私は新たな恋への一歩を踏み出す事ができないはずだから。