若い人の可能性を狭めることなく、大きな翼を使って羽ばたいて欲しいと願う
7時に起床。今日は長男がお茶の水まで夏期講習に行くので、まだ行き慣れていない長男に合わせて一緒にお茶の水まで。電車は空いていた。8月10日、明日は祝日、それと絡めてお盆休みに入っている人が多いのかなー、と思った。
お茶の水。予備校とか大学が多いし、若者が多いなぁという印象。長男を塾の入り口から見送る。背中はまだ小さいかもしれないけれど、その背中を優しく支え、押すことのできるような父親になっているかと自問する。彼には彼の人生がある。彼の、これからの人生が、順風満帆に進んでいったらいいと願う。時には大きな障害とか、乗り越えなきゃいけない課題が出てくると思う。その前に、彼の思い描く第一志望の大学に無事に合格しなければいけないというチャレンジングな状況を、彼は彼なりの力で乗り越えなければならない。
たくさん勉強したからといって、合格が確約されるわけではない。もしかすると、残念ながら彼の第一志望に合格できないかもしれない。だけど人生は続いていく。合格しないと、それは失敗と思うかもしれない。そこで、失敗を失敗と捉えるのではなく、人生を快活に進めるための一つの材料として捉えてもらえたらいいと思う。
そこからお昼くらいまでオフィスで働いて、帰宅。18時からランニング。5kmの予定だったけれど思いの外涼しくて、風が心地よく(すでに秋の気配を感じた)、気持ちよかったので9kmまで足を延ばした。最後にダッシュ。その時は何も考えていなかった。音楽をイヤフォンで聴いていたけれど、音が耳で止まり、脳まで届かない感覚。無酸素運動になっちゃうと辛くなるので、残り200mを呼吸の頻度を高め、無事に走り切った。
ホントは10kmでも良かったんだよな。だけど膝がぼんやりと痛くなりそうな気配だったので9kmでストップ。後悔はしていない。むしろそこでやめて良かったと思う。
人生は続く。膝を痛めてしばらく走れないことよりも、ギリでやめて、次に臨むことをメインに考えていく。
若い子だからって何も考えていないワケではいない
恩田陸の「夜のピクニック」読了。恩田陸は蜜蜂と遠雷以来の2作目。青春小説の金字塔。三浦しをんの風が強く吹いていると同じ印象。若者が体を使うという点で同じ匂いを感じたのかな。
高校生が、24時間かけて長い距離を歩くという話。異母兄弟の主人公たち。題材としてはそれだけ。今私が書いた30文字くらいのテーマを、恩田陸という変態(褒めてます)が描くとこうなるんだ、という印象。会話多め。
途中、私の青春時代のことを思い出す。郷愁と呼ばれるやつ。感傷に浸ったりもしたけれど、大円団のエンディングを迎えて、安堵した。
私は、理想の青春時代を過ごしたのだろうかと考えた。何度も考えた。高校は偏差値57くらいの、私の中では普通と呼ばれるランクの、茨城の県立高校。高2の時点から恋人ができ、その人と高3の最後まで付き合った。いわゆる恋人という感覚ではなく、むしろ友達に近かった。今考えると、いわゆる高校生の性欲に急かされて付き合っていたのではなく、友達の延長線上という感覚で付き合っていたのだなと改めて思い出す。彼女は優しい人で、面白く、色々なことを話したよな、と思う。ほとんど忘れたけれど。だけど彼女と過ごした時に感じた空気とか、冬の寒さとか、そういうところは心に残っている。その引き出しを数十年ぶりに見つけ、開けられたことは、小説を読んでよかったなと思う。
中学の友達とバンド組んで、ユニコーンとかハイスタとかのコピーバンドをやっていた。バイトはマクドナルドでやっていた。そんな高校時代だから、勉強にはあまり力を入れず、だから大学は地方Fランだった。もっと勉強しておけば良かったかな、と今、勉強を超頑張っている長男を見ると思うけれど、当時にもし戻れるとしても結局は同じ人生を歩んだんだろうなと思う。
あの頃は楽しかったんだろうか、とか、どんなことを考えて生きていたんだろうか、もしかすると大したこと考えずに暮らしていたのかなとかも思ったけれど、あの頃はあの頃なりに、当時の自分としてたくさん悩んで、学んで、時間を過ごしてきたんだろうなと思う。
小説を読んでいて、高校生でも悩むところはたくさんあるよな、常に人間って何か考えて生きているんだろうなと思う。それは17歳でも、47歳でも一緒のこと。てかあの頃からもう30年も経っているのか!あっという間だった。あっという間にここまで来て、大好きな家族に囲まれて、好きなことやって生きているよなと思う。後悔しててもしょうがないから、前を向いて、やれることにフォーカスして生きていく。
嫌っていた世界がこんなに綺麗だったとは
Laura Day Romanceの、brighter brighterという曲が好きで、先日のブログに自分なりの考察を書いてみた。その続きを考えてみたい。
誰もが祈るように言えないことを 胸に秘めるけど 時折零れていく危ういことと分かっていながら 閑話休題 ねぇ これから これからの話だけしよう 最期の日まで奪われない そんなものが欲しい
正しさの暴力で傷ついた心に 優しさが余るほど世界は甘くない 力なく呟く 言葉は 誰かが聞かなきゃ 窓打つ雨音と変わらない 音と変わらない 遠くを見つめている
心の岸辺で あなたの名前を頻りに呼ぶたび 跳ね返る私と私の姿を 対岸の前の水面に見つける brighter brighter 嫌った世界がこんなに綺麗な場所だとは brighter brighter 嫌った世界がこんなに綺麗ば場所だとは brighter brighter 嫌った世界が こんなに綺麗な場所だとは brighter brighter
人間って、自分の想像する世界の中で生きている。自分の想像する世界の外に出てみようと、半ば思い立って一人旅をする人もいる。自分探しの旅ってやつ。それは新たな価値観や光景を目にしたときに、自分がどう反応するかを試す場所なんだと思う。
それは、場合によっては自分の想像をはるかに超えるような世界を目にするかもしれない。時には生死の価値観を揺るがせるような事態を目にすることだってあるだろう。そんな光景を目にして、沈んでしまう自分。そんな、期待していなかった自分の反応が、心地良くなかったとしても、それも自分だから、とある意味納得して、人生を進めていく必要があるんだと思う。
この歌詞に共感できるところは、そういう、自分の想像する、期待する世界ばかりではないこと。それをきちんと受け止めること。そうやって人生は進んでいくんだから。自分の思い通りにいくばかりが人生ではないから。冒頭に書いた長男の背中を見ても、これから彼なりに大きな課題を抱えていくことだってあるだろう。だけどその場所に飛び込んでみると、想像とは全然違うような、もしかするといい意味で刺激を受けることがあるかもしれない。Laura Day Romanceの人たちは若い。私からするとあんま調べてないけれど多分20歳くらいの差があるんだろうなと思う。今考えてみると私の20年前、その頃は楽しかったんだろうなと郷愁に耽ることだってできるけれど、大半の記憶は薄れていて、良い記憶しか残っていない。だけど当時の自分だっていろんなことに悩んでいただろうし、嫌なことだって少なくなかっただろう。けれど今の自分は、その頃の経験や思考を土台にしてい生きている。今、私が納得した人生を送れているのは、その頃の紆余曲折は必要不可欠だったし、Laura Day Romanceの言うように、嫌っていた世界が実は綺麗だったということだってあったのだと思う。
人生は続いていく。いろんな経験を糧にして、自分を成長させていくのは自然の摂理だ。これからもきっと私はたくさん悩んで、時には「もうこんな世界イヤだ」と思うことだってあるだろう。だけどそれも人生。いい部分だけではなくそういう部分もひっくるめての自分なんだから、色々な感情や思考を抱きしめて、生きていきたい。

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