私にはエモい文章を書くなんて無理だと痛感する
そもそもエモい文章ってどういうことだよ、とその時点で立ち止まってしまう。
後ろを振り返ってみて、過去の自分を思い浮かべ、エモかった瞬間を切り取ることができたとしよう。
だけどそれを、言葉にする力を持っていないことに愕然とする。
言葉を知らないということなのかもしれない。つまり語彙力の問題?
私は今まで何冊の本を読み、それらからどれほどのエッセンスを得たというのだろう。
本の読み方が正しくなかったのでは、なんていうことも考える。
47歳。私は割と、自分の年齢を気にする。
47歳。80歳で死ぬとして、残り33年。
そのうち半分は身体が動かない、心に火が灯らないということで、過少に見積もって16年。
私が自由にいろんなことができるのは、あと16年ということになる。
気持ちよく春を迎えることができるのは、あと16回。
夏の陽射しに耐えることができるのは、あと16回。
豊かな秋の恵みに喜ぶことができるのは、あと16回。
冬の美しさに目を輝かせることができるのは、あと16回。
その間に、自分の納得できる小説を上梓することはできるのだろうか。
その前に、そもそもなんで私、小説を世に出したいんだっけ?とも思う。
もともとの理由はとても不純で、ただ、家で仕事をしたいから、というものだった。
おそらく10年くらい前になるだろう、今から考えると2016年頃(完全にうろ覚え)、私は日々の出社に疲れていた。
家で仕事できたらいいのに、という思いは10年どころではなくもっと前、もしかすると新卒で入った会社の時点で考えていたのかもしれない。
出勤時で得られるストレスは半端ない。満員電車嫌い。得られる恩恵と言えば、狭苦しい中で読む小説くらいのものだ。
コロナ禍を経て、週の半分くらいは自宅で仕事ができるようになった。だから本質的な問題は解決されたのだ。
これで良かったのだろうか、とふと考える。
これで良かったのかもしれない。
最近、インターネットで見かけた言葉。
静かに続けることのできる人が、いちばん遠くまで進めることができる。
野球で有名なイチローは、日々、同じように準備し試合に臨んでいたと聞いたことがある。
変なことを行うのではなく、毎日同じように起き、食事を摂り、準備運動をするなど、一般的な人間のやるべきことと大差ないはずだ。
違うのは、それをイチローは、繰り返し行うことができたということ。
私は文章力が全然ないと感じているけれど、それも同じことで、日々、何かしら文章を考えて書くことで、
もしかすると、ずいぶん遠いところまで来てしまったな、と後ろを振り返ることができるのかもしれない。
そしてその先には、冒頭に書いたエモい文章を書くことができるのかもしれない。
いつから始めればいい?それが遅いということはない。今日からだって。というか、ここで綴っていることがそのきっかけになっているのだろう。そう信じたい。
