投稿者: hmgrbean

  • 走れた日、書けなかった日

    走れた日、書けなかった日

    昨日5km走った。ペースも上がった。一昨日までの自分に打ち勝つことができた。
    距離、ペース共に速かったら他に気にするものなどないだろう。

    だけど、残念ながら、ブログを更新することができなかった。
    会社から帰宅後、すぐに走り、子供と風呂に入り、夕食、そして心療内科の薬を飲んだところで、クレイジージャーニーで砂漠に咲く花のやつやってて、それを観てしまった。
    そして、ちょうど終わることに睡魔。
    ブログを更新するタイミング無し。

    いっそのこと通勤中に更新とかしても良いのかもしれないけどね。
    iPhoneで、フリック入力でも書けるっちゃ書けるんだけど指が痛くなってしまってどうもね。
    たくさんの量を書くとなるとなかなか難しいよな。
    帰宅時にはHHKBを持ち歩いているのだから、どっかカフェとか、テーブルがあるところに寄って書くとかでも良いんだろうけど。
    そんなことするくらいなら早く帰れよって思ったりもして。

    なんの中身もない文を書いているなぁ。

    そして今日の日記。
    今日は仕事で、Excelのピボットテーブルをこれでもかってくらい使いまくった。
    毎日10個くらいのピボットテーブルを作っている気がする。そんな感じの仕事。
    7月に入社して、10月にアサインメントが変わってメインで集計・報告の仕事をするようになってからずーっとそんな感じ。
    最近はパイロットの色彩雫、蛍火を使っている。
    書いている時は薄いなー、って思うんだけど、少し時間が経つとだんだん濃くなっていく気がする。
    それでも濃いめのインクよりは薄いんだけど、仄かに放つ色彩の鮮やかさがとても美しくて癒やされる。

    今日の手書き日記を振り返ると、こんなことが書いてあった。そうだそうだ、出勤時にそんなことを考えていたんだった。
    「昔好きだった人に似ているからという理由で、今いる人を好きになったとしたら、それは失礼なことだ。お前が好きなのは「お前の記憶の中にいる、昔好きだった人」なだけで、今、そこにいる人ではないのだから。
    そりゃそうだ。それはただの未練というヤツだろう。

    では、昔好きだった人を今でも好きだと気付いた場合、人間は、どうしたら良いのだろうか。
    まず、再びアタックするのか(1)、空気がゆっくり抜けていく風船のように、ゆっくりと忘れていくのか(2)。それによって戦略が変わってくる。
    前者、再びアタックしよう!(1)の場合。
    まず、「再び」ということは、一度失敗しているはずである。
    そこでもまた選択肢があって、片思いから告白を経て散ったのか(1-1, 2-1)、それともいったん付き合ったけれどなんらかの理由で別れてしまったのか(1-2, 2-2)。
    こちらの後者、つまり2-2、いったん付き合ったけど別れたパターンでは、そこからやっぱり好きでした、に至るには、振られる、つまり向こうから別れを切り出される方が自然だろう。
    だって自分から振っておいて、やっぱり好きでしたってパターンっての、自分勝手すぎるだろ、と思ってしまう。

    いや。
    うーん。

    考えすぎだろう。というか、風呂敷を広げすぎだろう。

    いや、けどさ、自分から、例えば違う人を好きになっちゃってさ、だけどその後にやっぱあなたが好きでしたごめんなさい、ってこともあるよな。
    相手は振り回されっぱなしだけど。
    相手は、受け身で、自分から行動に移すような人ではないとしたら、一度離れた人が再び自分の元に返ってくるの、実は嬉しかったりするのかなぁ。

    考えすぎた。ちょっと面白かった、この思考実験。

  • 恋よりも、嫉妬の話をしたくなった

    恋よりも、嫉妬の話をしたくなった

    恋焦がれる、という言葉がある。
    気持ちが焦げるほど好きだと、今の私は理解している。
    では、恋をしている時っていったい、どんな気分なんだろう、とテレビのCMでプロポーズをする男性と女声の姿を見ながら考えた。

    気持ちが焦げるほど、熱い思いを抱く。
    私は柏レイソルが好きで、現地のゴール裏で応援する時はそれこそ、熱い思いを抱いて精一杯大きな声を出して応援する。
    しかし「焦げる」って。やり過ぎではないだろうか。
    ものが焦げると、もとに戻すことができなくなる。不可逆だ。
    まぁ気持ちについてはそれほど、後戻りができないほどの思いを抱くってことはさすがにないだろうけれど、と思いながらもふと、嫉妬という言葉を思いついた。
    嫉妬は怖い。もとに戻ってこれなさそうな気がする。
    私は嫉妬というと、憎悪という言葉を連想する。
    ねたみ、そねみ、という言葉の持つ強さ。

    嫉妬は、自分が手に入れることのできなかったものを他の人が手に入れたと知った時、気付いた時に感じるもの」

    という言葉を最近知った。
    自分があれほど恋焦がれるほど好きだった相手を、他の人がかっさらっていったと気付いた時、人はどんなことを思うんだろうか。
    後戻りできる程度で、「まぁ、時期が悪かった」とか、「もともと合う人ではなかったのだ」とか、「縁がなかった」くらいで片付けることができる人は、もしかすると恋焦がれるというレベルに達していないのではないだろうか。

    いや。
    うーん。

    恋焦がれるレベルというのは、人それぞれだから、それは私の考える程度の話か。
    となると、恋焦がれる=後戻りできない、という式は、成り立たないのかもしれない。

    それよりも私は今、恋焦がれるということよりも、嫉妬の方に気持ちが惹かれているのを否定できない。
    嫉妬モノ、というジャンルの作品、映画やドラマってなんで人気があるんだろうか。
    映画やドラマって、昨日も書いたけど、非日常を楽しむものだから。
    嫉妬って自分の日常には大して転がっていない。私の周りはいつも平和だ。
    そんな私が、普段触れることのない嫉妬について煮詰めてみて、それを作品にしたらどうだろう。
    世間では良くあるネタではあるから、きっとストーリー自体はあっと驚くようなパターンにはならないだろう。
    恋愛モノでは少し詰まらない気もする。私は真っ当な、普通の恋愛しかしてこなかったので嫉妬に関する引き出しが少ない。
    私は素直すぎるところがあるから、嫉妬という感情の変化球にはついて行けない気がする。

    いや。
    うーん。

    それは私の思い込みかもしれないね。
    嫉妬についてもうちょっと考えてみようと思う。

  • 私は登場人物に会いに行っている

    私は登場人物に会いに行っている

    山本周五郎の、樅ノ木は残ったを読んでいる。
    最初はとっつきにくいな、と思った。登場人物があまりにも多く、時代小説ならではの名前が長いことや、なんとなくぼんやり似ていることなど、きちんと覚えなくてはいけないところが辛い。
    だけどそれを乗り越えたら、山本周五郎ならではの人情をちょこっと擽るストーリー展開、心情の揺れ動きがめちゃめちゃ楽しめる作品だった。だった、と言ってもまだ全4巻中の2巻目に入ったところだけど。

    小説を描く時の要素として、私は「ストーリー展開の上手さ」と「キャラクターの際立たせ方」の2つが重要と思う。
    山本周五郎はさぶ以降2作目(たぶん)で、さぶもそうだし人物の際立たせ方がとても秀逸である。ストーリーの中で、ヤマ場での立ち回り方だけではなく、そのヤマ場へ至るまでの行動、心情、それらを上手に操らないと話がまとまらない。ストーリーだけ上手に展開していったとしても、キャラクターの個性が読者にぼんやりとしか伝わらないのだとすると、それは正解ではない作り方なのだろう。

    私はストーリー展開よりも、キャラクターの際立たせ方を重視している。
    強烈な個性を持つ必要はなくて、どこにでもいるような人を登場させても良いだろう。
    シンプルにキャラクターを作り、その個性、派手さは特段いらないような個性を、きちんと読者に説明できれば良いのだと思う。
    辻村深月のゼロ、ハチ、ゼロ、ナナのように、登場人物の外見的な特徴を一切排除し、読者に委ねるという手法もなかなか、思いつかないけれどそういう書き方もあるのだね、と思ったことがあった。
    他、私の好きな伊坂幸太郎、西加奈子それぞれ、ストーリー展開もすごいしキャラクター作りもすごい。
    例えば伊坂幸太郎の砂漠のように、本当に、どこにでもいるような大学生を主人公に据えて描かれている。主人公の個性はどちらかというと薄く、だけど周りにいる人はそれぞれ何かしら特徴的な個性を持っていて(それがまた面白い)、上手いなぁ、と感嘆することばかり。
    驚くような個性を持たせる必要はないのかもしれない。だけどそれって読者にしてみると「近くにいそうな人」という、現実の延長線上にいるような人を描くことになる。読者の思いとしては、現実離れした世界の話を読みたいという人もいるだろうから、好みは様々なんだろうな、と思ったりもする。

    では、個性はどこに出てくるのだろう。
    上にもちょっと書いたけど行動、心情それぞれの描写の中に、個性が滲み出てくることが多い。
    家の鍵はいつもジーンズの右ポケットに入れる、とか、ハンカチは忘れないように育ってきたとか、そういう小さなところから個性って出てくるんだよな。

    冒頭に書いた山本周五郎など、気が向いた時に青空文庫で本を読んでいるけれど、キャラ立ちについては昔も今も変わらないよなと思う。
    これからすげー勢いのパラダイムシフトが起こらない限り、きっと、ずっと変わっていかないのだろう。

  • 距離が倍になっただけの日

    距離が倍になっただけの日

    昨日に引き続き、今日もランニングできた。
    今日は3km。昨日は1.5kmだったので、単純に二倍になった。
    ペースは相変わらずゆっくりめ、キロ6分35秒で、息は乱れず。
    天気は今日も良好だけど、昨日と比べると風が少しあった。
    今日は家族で柏の葉公園へ行ったので、そこで3km走った。
    公園には家族連れがたくさんいた。走ってる人もちらほら見かけた。
    正月だからと言って家でのんびり、という人もいるだろうけど、こういう天気の良い日だからこそ外で身体を動かす、という人を多く見かけた気がする。
    多分それは思い過ごしで、自宅でお酒でも飲みながらぼんやりとテレビを観てすごす、という人のほうが本当は多いのだろう。

    なんとなく、昨日と比べると走れる距離が倍になっただけという感覚は、私の中では奇跡とは決して思えない。
    多分、走れていた頃を身体が思い出し、それに乗って走っただけな気がするから。
    まぁ、3kmくらいなら走れるよね、という感覚をシンプルに保っているだけ。

    いつかまた、10kmとか20kmを走れるようになるんだろう。
    地道に続けることが肝要という気分を大切にしていきたい。
    そして、距離は関係なく「今日も走れた」という気持ちを持ち続けていきたい。
    今日は3km。それで十分だった。

  • 昨日の自分は走っていない

    昨日の自分は走っていない

    前のブログで書いた通り、早速走ってみた。
    天気は良好。気温は多分12度くらい。無風。人通り少ない。絶好のランニング日和。
    で、意気揚々と走り始めたものの、走り始めて500mのところで息が上がる。
    まだ身体にビールが残ってるかなとか、流石に病み上がりだったかなとか、雑煮を食べすぎたかとか、すぐそうやって原因を探ろうとしてしまう。そしておそらくそれらすべてが当てはまり、ついでに言うと久しぶりに走ったから体が走れるようにできていないということが最も強く当てはまるのかなと思った。
    これ以上無理して走ってもゼーゼーしちゃって辛いだけだし、ということでペースを落とす。つっても元々6分25秒くらいのペースだったけど。めちゃくちゃ走ってた頃は5分10秒くらいで走っていて、あの頃の自分に追いつきたいという思いで、それだけがモチベーションで走っている。
    明日、もしくは明後日くらいにもう一度走りたい。今日よりは走れるかなと希望を持って考えている。今日は、途中歩いたりしたけど、トータルで1.5kmくらいは走れたと思うので、歩かずに2kmまで走れるところまで成長したい。

    過去の自分に追いつきたいというのは、正常な思いなのだろうか。普通、過去の自分を超えていけ、という思いを抱くはずだから、過去に追いつきたいと言うのはちょっと違うのだろう。だけど、自分が(自分史上一番)輝いていた(と考える)時期を目標にすることは、自然なことだ。そして今の自分と比べてみて、なにが劣っているかを冷静に判断し、その目標に向かって適切な選択肢を取り、突き進む。とても自然なことなのだろう。

    自分を軸にして、比べることは、より善く生きるためのモチベーションに繋がる。他人を軸にして考えてしまうと、育ってきた環境が違うから、その人と同じになる、というのは難しい、というか不可能だ。意味がない。だけど、いろんなものに触発されて「あの人みたいになりたい」と理想を無意識のうちに持たされることがある。気づいた時にはもう遅く、自分以外の誰かと自分を比較している自分に成り果てているのだ。
    とても残酷なように思う。そうなる原因はたくさんあって、最近だとSNSがその代表格だろう。かく言う私もインスタのリール動画をずっと見ていることがあり、その中でランニングをめちゃくちゃ走っている人とか、身体が柔らかい人とか、お腹周りに脂肪がなくてスタイルの良い人を見たりする。彼ら、彼女らに罪はない。罪、というと聞こえが悪いが、実際にそれは罪なんだと思う。他人と自分を比べ、はぁ、今の自分はなんてイケてないんだろう、とネガティブなことを考えて凹み、結局行動を起こせないまま時間が経ってしまう。
    ではどうすれば良いか。私の考えは、自分を客観視することが必要だと考える。自分の後ろに立って自分を見つめるイメージ。そして、その、理想と思う人と今の自分を比較し、どこが劣っているかを考える。その劣っている部分に対して改善の余地が大きい箇所を特定し、そこからアクションにつなげていくことが必要だ。決して、比べて凹むという負のループに陥らないように取り組むことが大切だろう。

    そうは言ってもキレイな人はキレイだし、カッコいい人はカッコいい。自分もああいう人になってみたい、と考えるのはむしろ自然なことなのだろう。そうやって向上心を掻き立て、モチベーションとなり、行動に移すというのはとても前向きなアクションで、それを地道に続けていくことが必要だ。
    昨日までの自分と比較して成長を実感し、理想と比較して自分の伸びしろを確かめ、その伸びしろを塗っていく努力をする。

    今日は1.5km。途中で歩いたし、息も上がった。
    でも、昨日の自分は走っていない。
    それだけで、今日は十分だ。

  • 億劫が君臨する朝に

    億劫が君臨する朝に

    あっという間に年が明けた。
    年末、29日から体調を崩し、熱は39度まで上がった。30日の夜あたりが一番ひどく、このままずっと高熱が続いたらどうしよう、と不安になったのを覚えている。

    けれどそれは杞憂だった。
    夜中に大量の汗をかき、寝具と身体の間の寝間着がしっとりしていることに気づいた。そこから少しずつ回復し、三日かかってようやく普段の身体に戻った。自然治癒力というのはすごい。人間の身体は、なにかおかしなものが入り込むと、ちゃんと防御反応を示すようにできているらしい。

    このブログは未来の自分に向けて書いている。
    2026年の元旦、自分はこんなことを考えていたのだな、とあとから思い出すための記録だ。今、頭にあるのは体力の低下について。ここ数年ランニングから離れ、その結果、体重が増え、体力も落ちたのではないかという感覚がある。

    ランニングを始めるための条件はすべて揃っている。
    あとは実行するだけなのに、最後の「気持ち」の部分で前に進めない。着替えるのが億劫、家のドアを開けるのが億劫。そんな些細な行動ひとつひとつが、大きな障害として立ちはだかっている。

    以前は、走ることが好きだった。
    走り抜けるときの爽快感や、走り終えたあとの達成感。気持ちの良いことに自然と目が向いていたはずだ。それが数年経ち、いつの間にか気持ちの向きが変わってしまった。ただ、それは先入観や思い込みが大半を占めている気もしている。

    新しい習慣を手に入れるとき、「気持ちを切り替える」のはあまり良くない、という考え方がある。それを信じているので、無理に自分を奮い立たせることはしないでおこうと思う。

    こうしてブログとして書いている以上、私以外の誰かが読む可能性はある。
    その分、少しだけ文章の構成を意識する必要が出てくる。それは少々面倒でもあり、同時に、将来の自分への手紙を整理する作業でもあり、文章を書く力を養う訓練でもあるのだと思う。

    今日は天気が良い。あたたかく、風もない。絶好のランニング日和だ。
    昼に少しビールを飲んでしまったので、酔いが冷めたら、街を眺めるつもりで少し走ってみようかと思っている。

    そうだ。
    ここをランニング日記にすればいいのかもしれない。誰かにシェアすることが、走るための小さな動機になる気がする。

  • 考えすぎないという知恵

    考えすぎないという知恵

    ──仕事に追われながら、心が少し救われた話。

    今の仕事になって、もう三ヶ月が経ちました。
    あっという間でした。時間が長く感じたことは一度もなく、それだけ覚えることが多く、仕事を回すのに必死だったということだと思います。そう考えると、たくさんの仕事があるのは、決して悪いことではないのかもしれません。
    なぜなら、余計なことを考えずに済むからです。

    たとえば、「なんのために生きているのか」という問い。
    誰もが一度は考えたことがある、けれど簡単には答えられないテーマです。私はその問いに、まっすぐ答える術をまだ持っていません。
    答えようとするたびに、相手の価値観と自分の価値観の間にあるズレが気になってしまうし、結局「今の自分はきちんと生きているのか」という自己否定のような考えに行き着いてしまうからです。

    けれど、そうした深い問いを考えること自体は、悪いことではありません。
    むしろ、自分に足りない部分を見つけ、成長へつなげるきっかけになることもあります。思索は、行動の芽を育てるものです。

    ただ、考えすぎると、思考が自分を追い詰めてしまう。
    仕事が落ち着いて時間ができると、つい考えすぎてしまって、出口のない迷路に入り込むような感覚になることがあります。
    だからこそ、手を動かし、目の前の仕事に集中している時間は、案外、心を守ってくれているのかもしれません。

    中途半端に考えること。
    それは怠けではなく、むしろ健全なバランス感覚なのだと思います。

  • SRV250 ルネッサ インテークマニホールドを交換しました

    前回の記事で、アイドリングが恐ろしく不調、信号待ちでエンストしてしまうと書きました。その後、致命的と名高いインテークマニホールド(インマニ)が案の定ヒビが入っており、ここを交換したらよくなるのでは?!と思い立ち、楽天で非正規品を買って交換しました。

    数年後にまた交換する羽目になるんでしょうけど、とりあえずその時のための備忘録を記録しておきます。

    • シートを外す
    • タンクを外す、この時ガソリンがダダ漏れするのでクランプか、工具を差し込んでおく
    • ガソリンコックを外す
    • ポンプを外す、ガソリンコック含め、ホースがどこからどこへ向かってるのかちゃんと確認しておく
    • インテークマニホールドを外す、必要なのは六角レンチとプラスのドライバー
    • インテークマニホールドはフロントとリアで形が違うので、インテークマニホールド本体に書いてあるFとRで区別する

    写真など。何かの参考になれば幸いです。私はタンクを外す時にガソリンがたくさん出てしまうのでここうまくやれるようになりたいなぁ。クランプをきちんとすれば大丈夫なんだろうなぁ。

    ちなみに、1月頃Y○Pに持ってった時にこれ指摘されて、修理、相当かかりますよって言われてびびったんですがこれ、1時間くらいで交換できたし、特別な工具いらないし、何より楽しいのでこのくらいだったら自分でやれちゃうなぁと思いました。

    試運転してきちんと走れたからとにかく嬉しいです。一生乗るからなと改めて思いました。

    新旧比較
    フロント側。中は大丈夫そうに見えるんだけどなぁ
    リア側。こちらも中は穴が空いてなさそうでしたが、ホースを挿すところがちょっと傷が付いているように見えなくもない。
    交換したお古のほう。見事にヒビが入ってますね
  • ブログを毎日続けることの難しさ

    ブログを毎日続けることの難しさ

    今まで何度か、「ブログを毎日書こう」と思っても続かないことがありました。
    何かを始める時、心機一転!と心を入れ替えて始めるのは必ず失敗するので、生活の一部にブログを書くことを明確にしておくべきだなと思います。
    今日みたいな休日はだいたい書けるんですよね。
    難しいのが平日。しかも会社に出社する日。
    会社ではブログを書くことなんてできないし、通勤中は本を読むか映画を見ているので、そんなガチガチに縛られた生活を送っている中で、ブログを書くことをどこかに潜り込ませるなんて至難の業。
    たぶん、私に必要なのは、時間の使い方を考え直すことなのかもしれません。
    てか、その前に、なぜブログを書く必要があるのだろう?ということを考える必要があるのかも。

    なぜ、ブログを毎日書きたいのか

    これたぶん何百回とここのブログでも書いていることなんですが、毎日が慌ただしく過ぎていく中で、忘れてしまいそうなことをきちんと拾って、どこかに残しておきたいというのが、ブログを書きたい理由です。
    そんなん、日記をつけてったらいいじゃん、って話でもあるんですが。
    そうだよな、日記を書いたらいいんだよな。
    ブログに載せる必要なんてあるものか。

    日記を何に書くか

    私は2011年からほぼ日手帳を使っていて、それに日々感じたことなどを書いていたのですが、今年は2011年以来で初めて、ほぼ日手帳を使わない日々を送っています。
    買わなかった理由は、特になくて、使わなかったらどうなるかというのを試したかったからなのかも知れません。
    書いてもあまり見返さないし、それなら100円ショップのノートでも良いんじゃん、と思ったりもしています。

    書くとか書かないとか、そういうのってどうでも良いんですよね。
    書きたい時に書けばいいんだし。書きたくないんだったら、それはそれで、と。

    大切なのは、自分の心をヘルシーな状態に保つこと

    ブログも日記も、自分が考えていることを表面化させる作業です。
    それは、心が「何か書きたい」と思っているからで、私の場合は大抵、自分の中でモヤモヤしていることがあるとか、一日が一瞬で過ぎてしまって、自分の気持ちを置き去りにしているからとか、そんなもんです。
    モヤモヤしていることは書き出せば良くて、それはブログでも日記でも良いんですけど、モヤモヤしていることを書いたとて、気持ちが整理されるかということはまた別の問題な気がします。
    書くことで、自分の考えを目で読み、再認識するという行為が、気持ちを整理するにはとても大切だとなにかの本で読みました。

  • SRV250 ルネッサ ちょっと街乗り

    SRV250 ルネッサ ちょっと街乗り

    ガソリンを5リットル入れて少し乗ったんですがまたしてもエンスト、、。ホースから漏れておらず、プラグはまだ新しく、バッテリー電圧は13v付近なので問題はないと思うのですが。。

    レギュレータかなぁ、乗り終えてアイドリングさせるとだんだん電圧が下がっていき、やがてエンスト…。