タグ: 死ぬこと

  • 4月2日

    セネカの、人生の短さについて述べられた本を借りた。こうやって大昔の人が考えていたことが、今になっても読めるという点で、やっぱ本の存在は偉大だよなぁと思う。

    さて。人生は短いと、セネカは言った。

    本当に短いのだろうか。
    私からしてみたら、長くて長くてほんと辛いのに。

    ここには目的思考という、考え方があるのかもしれない。

    私は、もしかすると、惰性で生きているから、今、ここでやり遂げたいこととかそういうレベルのものを考えないので、人生って長いわー、って感じてるのかもしれない。

    人それぞれなんだろうな。
    私の考えに賛同して欲しいか、というと必ずしもそうではないし。
    死ぬ時に、後悔するとか、そういうレベルでの話に近いのかなとおもうけど。

    そもそも後悔ってさ、なんだよ。そんなに、俺の人生にインパクトあるわけ?
    もうやりたいこと、だいぶやったわよ。
    あとやってないことってなんだ、もうないんだよ。
    バンド組んだし、バイク乗ったし、外国に住んだし、結婚したし、子供作ったし、一人でキャンプ行ったし。
    もうほんと、お腹いっぱいなんです。

    明日、癌が発覚したことを考えてみよう

    それならもし、俺が、43歳にして癌を発症したとしたら、ということを仮定しよう。

    ちょっと、胸に手を当てて考えてみる。
    やり残したことって、ほんとにないの?
    今自分が持ってるステータス、家や家族やお金や思考などを考えてみても、うーん、なかなか思いつかないんだよなぁ

  • 最期をどう誠実に生きるか

    病院の待合室にあったのでさらっと読んだ

    最期をどう生きるか

    なんか、私がずっと考えてる、いつ死んでもいいやに少し近しいところがあったのだけれど、この間のエピクテトスみたいな、避けられないものにはどう足掻いたって意味がないという系の話に近いのかなとか感じる

    家族はね、重いよね。やっぱ残された人たちに、自分の存在をどう遺していくか、お金とかじゃなく、思いや自分が生きていたという証を、どう遺していくか、きちんと考えても良いのかもしれない。

    だけどそれって、結局自分のエゴだから。自分がどう頑張っても、家族、友人、同僚たちは彼ら彼女らの感覚で、受け取るものだからね。

  • 3月26日

    amazarashiを聴きながら、ニーチェに関する本を読んでいたりすると、満たされない状態は、人間の生きる力が最高潮になっている状態なのかなと思ったりする。

    満たされないイコール、満たしたいという欲求が生まれ、それを実現するために生きるということだから。

    私は割と、今、満たされていると感じていて、だからこそあんま長生きとかしなくても良いかななんて思っちゃったりしている。

    その辺の話を家族にすると、少し寂しがられる。別に寂しがらせるために言ってる訳ではなく、私の意思を表明しただけなので、そこは納得してもらいたいところだけれど、まぁ、逆の立場で考えたら、寂しいよなぁ。奥さんは私より先に逝かないで欲しいよなぁ。

  • そっち側のこと

    そっち側のこと

    ぼんやりと、死ぬことを考える時期に入っている。
    年に数回、そっち側のことを考える。
    寒くなるからなのかな、ときっかけを考えることが良くあるけど、きっときっかけなんてその時々で違うはずで、いくつかの思考が重なり、そっち側のゾーンに入ってしまうのだと思っている。
    季節の移ろいに思いを馳せるのと同じような感覚で、死ぬことについても思いを馳せるだけ。
    たぶん、ただの暇つぶし。
    つーかだいたい全部そうだろ。

    結局人間は孤独。
    死ぬまで、ただ生きているだけ。
    その、数十年間に意味を持たせるために、自分を納得させるために活動する。
    活動自体に意味はない。
    自分や誰かを好きになろうが、嫌いになろうが、なにか功績や罪過を残そうが、死ぬまで生きているだけ。
    なにか意味を持たせようとしてしまうけど、それは本来は必要のないこと。
    意味なんてない。
    生まれてきたことすら、意味なんてないのだから。
    爆発しろ、この思い。
    考えることすら無意味。

    人間は、迷惑をかけないで生きていくべきなのか。
    死ぬことすら誰かに迷惑をかける人間という生き物は、もはや死ぬことすら自由ではなくなった。
    勝手に死んで、朽ちていくだけで良いのに。
    それを願い、樹海に入っていく人たち。
    彼らのことを考え、静かに、泣く。
    それが共感というのだろうか。
    多分、樹海に入っていく瞬間に抱く思いの、0.1%すらも理解できていない。
    多分、生きることにめんどくさくなったんだろうな、くらいしか思いつかない。

    そっち側のことを考えるのは、悪いことではない。
    生と同じレイヤーにあるべき、死という存在。
    生き物はみんなそのイベントを迎える運命にある。
    ただ、心臓が止まるだけ。
    生き物が、生き物という存在ではなくなるだけ。
    死ぬことを考えないように、という考えは違う。