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  • 幸せの形は人それぞれだろ

    幸せの形は人それぞれだろ

    公私に関わらず自分の思い通りにいかない日々が続くと、
    「なんか全然楽しくないぜ人生」と思ってしまいます。

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    生きているだけで「うまくいってる」

    期待通りの結果が得られない日々を送っていると、生きてる意味ってあるのかな、
    こんな楽しくないことばっかで、、と、だんだん気持ちが沈んでしまいます。

    これをバネに変えられる人間はすごいですね。私には無理だ。

    そう考えてしまい、負のスパイラルで、さらに落下してしまう。

    そんな人間はきっと、自分に対する期待値が高いのだと思います。

    安易に期待値を下げるようでは、成長できないじゃん、と悲観的になるのを
    いったんどこかに放り投げて、まずは、自分が元気になることが必要なのかな。

    自分に対する期待値を下げる。期間限定です。元気になるまで。

    そんな時は、生きられれば成功、それだけで「人生、うまくいってる」という
    スタンスに変えられるのかなと思います。

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    自分に対しての戒めとして、この記事を書いている

    ここまで書いていて、私は思いました。
    「はて、これはいったい誰のために書いているのだろう」と。

    これは誰かに投げかける手紙のような存在でありながら、

    実は、

    自分自身へ投げかけているのです。

    私は、周りから言われて気づくのですが、自分に対する期待値が高い人間で、
    いろんなことが一瞬でできるだろお前なら、と自分の実力を無視して
    勝手に期待してしまう人間なんです。

    だから、自分の首を絞めてしまうことになりかねない。

    なので、そうなる前に、定期的にこういうことを振り返って、予防する必要があるのかな、と。

  • 手帳の使い方で悩む人がいる。それもたくさんの人が。

    手帳の使い方で悩む人がいる。それもたくさんの人が。

    私もそちら側の人間なので、気持ちが良く分かるのですけども。
    そもそもどういう目的で手帳を持ちたいのか、それをきちんと考えてみたら良いのかなと思うんです。

    あ、そう、私の場合は目的志向ってことになるのかな。

    手帳は、人生の道しるべであるべき

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    手帳が果たすべき目的をいくつか考えてみましょう。
    大前提として持つべきなのは、自分だけのスタイルを見つけ出すこと。
    そして、自分が歩むべき人生の目的。
    それにそっと寄り添い、並走してくれるのが手帳です。

    • 日記
      毎日書き込むことができるタイプの手帳(ほぼ日手帳など)では、その日に感じ取ったことを書きこむことができます。
      「毎日書き込むことなんてないよ」と考えてしまうことももちろんあります。ですが、空白だって立派な一日と、ほぼ日手帳では謳っています。
    • 何かを継続するための、記録ノート
      英会話、ジョギング、読書など、用途は様々ですが、自分の記録として残しておく。あとから読み返すと、自分の自信につながったりします。
      …と、ここまで書くと自己啓発の一環じゃん、と思うのですが、喫煙、飲酒、などを記録するのもアリなのかな、と。自分だけの手帳ですからね。
      タバコをやめたいんだけど簡単にはやめられない。けどせめて、一日に何本吸ったかを数えておきたい、など。
    • 仕事に関する予定
      私は最初、手帳というとこのイメージしかありませんでした。多分、手帳にはスケジュールやメモを書くところが沢山あるというイメージがあったのです。

      ただ、実際、手帳を持ち始めてみると、私の場合、仕事のことってほとんど書きません。そう、仕事とは切り離して手帳という存在があります。

    障害となるものは何か

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    多くの人が手帳を持つことに躊躇してしまうのは、ズバリ、続けられるかどうかの不安です。

    別に、毎日続けなくたっていいんですよ。

    中には、ただ、手帳を持ちたいという人だっているのですから。

    思いついた時に書く。

    すぐに忘れる。

    で、ふと思いついた時に書く。

    この繰り返しだとしても、何の問題もないです。だって自分の手帳なんですから。

  • 生きることが成果として認められるのか

    生きることが成果として認められるのか

    私はつい、日々、生きる時には何かしらの成果を出すべきだと思ってしまう。
    いったいなぜなんだろう。

    そんなにせかせかと生きるような人間ではなかったはずなのよね。
    沢山もがいて、成果を求めるようになったところで、結局見えるのは何?と考えてしまう。

    結局は自己満足、そもそも生きること自体が自己満足、私自身は両親の自己満足で生まれてきただけの生き物なのだから、私は、私が満足する生き方ができれば、それで十分なんだろうな。

    上記の「成果」ということについて、私は何に対しての「成果」を求めていたのだろう。
    もしそれが、私が満足するという視点での「成果」なのであれば、それは私が成果として認めるかどうかが焦点なのであって、そう考えると私の価値観というところを考えないといけないんだろうなぁ。

    価値観なんてふとした瞬間に180度変わることだってあり得るのだから、たいして当てにならないものだとしても、

    だとしても、それを何かの拠り所として持っておくことは、人生を順当に生きるためには、正解なのかもしれないなぁ、なんて。